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(無題)

 投稿者:float cloud  投稿日:2017年 3月23日(木)10時18分31秒
  おめでとうございます!
良い画像が撮れましたね。
薬研山、行ったことがないので、
GG-さんの記録と画像、期待しています。
 
 

リベンジ 山之神

 投稿者:GG-  投稿日:2017年 3月22日(水)14時27分9秒
編集済
   2日前の蛭川低山巡りの際、未確認で下山した山之神碑は残念無念で、気になって仕方が無く、また薬研山を登り残していたので、近場の三角点巡りを併せて登ろうと3/18に出かけた。蛭川の県道72を走っていたら目の前をカモシカが横切り民家の有る街中?なのにと驚いた。
 一之瀬集落の分岐点から目指す点名一之瀬のピークを探したが顕著な山は確認できずあれかなと推定。登山口を目指したが道路が良く判らないので山之神確認を先に済ませる事にした。

①リベンジ 山之神
 新道峠へ回って16日の鳶岩巣山登山口に駐車。左の路肩に駐車している車を見て酔狂な登山者が今日は入山しているなと思った。短時間の距離なので靴だけ履き替えてスタート。植林を登り尾根へ乗りピンクテープの踏み跡を辿って登って行くと記憶に残る斜面になった。2日前の記憶がもう曖昧で山之神はもっと短時間の場所だったがと少し戻る。再考して又登ると平坦な460m付近になりやはりおかしいとUターン。下る途中で山之神上部の割れ目に着いた。前回は怖くて覗かなかったが帰宅後改めてfloat cloudさんのレポで覗かれたとあったので落ちない様に注意しながら覗いたら有った!有った!。右手の道を下り岩の隙間を潜って広場へ着いた。改めて前回気付かなかった正面の隙間を見つけ少し登ったら右へやや屈曲した斜面に山之神は鎮座しておられた。レポ同様にお供えも有ったので戸数の少ない集落から定期的にお参りする人がおられる様で感服した。碑の背後は下り斜面が抜けていたので、次第に狭くなる隙間を横になって下り始めたが身動き出来なくなりそうで断念。メタボ試験は不合格であった。 踏み跡を僅かで尾根へ戻ったら往路はピンクテープに導かれ岩塊の右手斜面から上部方向へ登った誤りに気付いた。16日に薄い踏み跡に気付いて山之神広場へ着けたのは幸運だった。
 駐車地へ戻ったら16日に情報をもらったおばさんが「 鳶岩巣山へ行けたか?」と尋ねて来られたので礼を申し上げた。女性は山之神へ行ってはいけない習慣だそうで、関心は大いに有るらしくデジカメの画面を見せてあげた。路肩に停まっていた水戸№の車は登山者では無くて中電関係者で、リニア新幹線の送電線鉄塔設置調査に再々来ているとの事であった。リニアのルートとは外れているのに何処から電気を引いて来るのかと他人事ながら気になった。

②点名一之瀬  393.7m  4等三角点
 地形図を眺めながら登山口へ向かい東山温泉へ向かう峠手前の路肩に駐車。350mの峠東から取り付いた。明るい雑木林の踏み跡を辿り時々岩を眺めながらゆるゆると登り詰めたら大岩の手前に三角点が有った。樹林の中で展望は無いが大岩の北の岩テラスから僅かな展望が得られた。大岩の多い山は流石に蛭川と実感する。下山時に立ち寄った岩棚からひるかわゴルフ場や16日に登った若山が美しい姿を見せていた。

③薬研山 敗退 登山口偵察に終わる
 下山後登り残した薬研山へ向かう。岩寿荘横を抜け550m標高付近屈曲点からはダートな林道になる。ナビに薬研山の文字が時々見えるがドンドン走ると山名も林道表示も消えてしまった。Uターン地点も無いので先へ走り林道分岐からUターンし、途中右下への林道分岐に気付きそちらへ入ると屈曲していて薬研山北に達する林道に思えたが、ナビに林道は出ず現在地不明となってしまった。資料によれば林道から片道20分で山頂となっていたので油断していて、ここと思った林道脇から明瞭な踏み跡を進んだらドンドン下り地形図に合わないと思ったが、かなりパニックっていた様で現在地判断出来ぬまま山中を1時間余徘徊、伐採された植林帯になり山が全然違うと判断し往路を戻りやっとの思いで駐車地へ。
 我ながら情けなく納得出来ないので県道へ戻ってから、西側の林道からWEB情報の登山口を探しに走ったら今度は容易に発見できた。徘徊時にコンパスで確認もしなかったのは冷静さを失っていたと反省。ナンジャモンジャの咲く5月中旬頃にリベンジし何故間違えたか再確認してみようと思った。
 一座でも三角点詣でが出来たのは救いであるが、敗退ショックや時間遅れで予定していた幾つもの三角点巡りは不可能となり次回へ持ち越しになってしまった。

写真 ①山之神を上から覗く  ②山之神正面

 

蛭川の低山巡り

 投稿者:GG-  投稿日:2017年 3月19日(日)11時36分11秒
編集済
   WEBで恵那峡のシンボル紅岩へ登れる事を知って随分になるが機会が無かった。付近には若山や鳶岩巣山と言う珍しい名前の里山が有り美濃一人さん等のレポを見て何時かはと願っていた。思いついて前日に地形図のプリントだけしておき、好天に誘われて3/16の10時前に家を出た。時間節約で往路は高速利用、瑞浪付近から青空の下に雪の恵那山や中央アルプスが久しぶりに望め気分爽快になった。

①紅岩 460.0m  三角点なし   最高点地形図標高

 天佑稲荷の広い駐車場に駐車。石段を上った左手の由緒碑によると昭和38年代に作られた霊場とあった。本殿右から紅岩登山道が設けられ解説板が設置されている。巨大な花崗岩は高さ約27m、幅約18mでダイダイゴケの一種が寄生して橙色に覆われ中山道を通った旅人にも大井宿の道標になったと言う。酸化鉄の影響と自分は思っていたので意外。鉄塔越しに紅岩を眺めて進むと次第にジグザグの急傾斜となり踏み跡を辿ったら紅岩の上に出て眼下に恵那峡が望めた。岩を縫って紅岩の北側へ登ると樹林帯となり大きな岩のピークが460mの等高線、山とは名付けられていないが一山達成とした。

②若山 491.9m  2等三角点  点名蛭川
 この山は里山マニアが北側の交差点や東の道路から等色々なルートで登られた記録があるが、自分は百草まるさんの記録を参考に紅岩からの稜線を辿った。紅岩最高点の北で登山道が右手から合流、その先は踏み跡程度で雑木や植林の中を縫って行く。460mのピークから下った植林鞍部から右手下に林道が見えたので帰途はそこへ下る事にした。尾根を直進して行くと地形図の岩場マーク付近は右や左に巻く。山頂直下は西側を巻いて北側から山頂に立った。事前調査不充分で帰宅後点の記で確認したら2等三角点で点名も蛭川となっていて明治36年選定の古い三角点の由緒ある山だ。土が覆い樹木も有り気付かなかったが東西8.3mの大きな岩上に設置されているらしい。山名標識も見当たらずスッキリ。樹間から恵那山や焼山が望まれた。往路を鞍部まで戻り間伐の植林帯を下って新しい林道へ下り、僅かな距離で舗装の林道紅岩線に出た。途中で路傍の案内板で豆腐石ため池を知り少し覗いて駐車地へ戻った。

③鳶岩巣山 513.1m  3等三角点  とんびいわすやま  点名 鳶岩巣
 奥渡公園で次の目標登山口をナビにセットしてスタート。県道72、408を走ったがナビはとんでもない迂回路を示して大回り、該当地は岩寿温泉入口に近かった。現在地や登山口を確認の為395m標高点(美濃一人さんのレポによれば県道408は旧黒瀬街道で岩寿荘への分岐付近は新道峠と言うらしい。)西の農作業のオッサンに聞く。「とびいわす山へ行きたいが」と聞いたら「とんびいわすやまなら東山温泉へ行け」と言う。間近に見えたピークでは無い。詳しい人に聞いてあげるとの事であったがそれは申し訳ないので礼を言って別れたが地元では「とんびいわす」と言う事が分かっただけで収穫。float cloudさんのレポに有る山之神の巨岩を訪ねたいとのルート選定をしていたのでここらの筈だがと少し進み.395m標高点東の民家前でオバサンに再度尋ねた。山の事はご存知無かったが南の道が一之瀬集落へ続く事が判明し、登山口間近が確認出来た。薬研山はご存知で「山へ何しに行くのか」と不思議そうであった。県道の広場でUターンして教えられた道を南下、左の鳶岩巣山から派生する尾根地形が多く取り付き不明の為付近の民家を訪れて尋ねた。山名はご存知無かったが山之神ならこの上の山に有るとの事であった。女性が山之神へ行く事は良くないと言われ訪れた事は無いが、少し先の路肩に駐車して左の山へ入ると放置された自動車が有りそこから獣道が有るらしいと親切に教えてもらえた。指示された小屋手前に駐車、林道気配の道を僅かに登ると田圃の跡、言われた通り錆びた軽自動車を横に見て植林斜面を登って尾根に乗り右へ進んだらWEBで見た巨岩に出会った。ここが山之神に違いないと判断出来たが肝心の山之神に気付かず岩の隙間を抜けて西側から岩上の尾根に上がった。境界杭や微かな踏み跡が続いていたが雑木主体の尾根は展望も無く派生する尾根に迷ってもとこまめに赤布を結んだ。数個のコブを越えて進み490mで北からの尾根が合流。帰途に備えて左右に赤布を結ぶ。山頂直下で巨岩に阻まれた。微かな踏み跡が北側急斜面に見られたので慎重に登り東から回り込む様に登って山頂に達した。三角点に割れた山名標識が立てかけられていてこの山を訪れる人は多い様だ。点の記では点名鳶岩巣(とびいわす)となっている。樹間から御嶽山の山頂部が僅かに見え、西の岩場からは笠置山が望めたが山頂展望は無いに等しかった。下山開始直後尾根を直進しUターン、左斜面の赤布に気付いてヤレヤレ。巨岩に戻り後は赤布を回収しながら下山した。往路にパスした山之神最上部に立ち寄ったが大きな裂け目で渡れなかった。回り込んで山之神広場へ出たがやはり山之神は見つけられず残念。(帰宅後float cloudさんのレポを読み返したら裂け目の下に有るらしく再調査せねばと思った。→気になって仕方がないので3/18に再訪し確認出来た。)

 あわよくばと狙っていた薬研山は時間切れで断念、駐車地へ戻りシャツを着替えて帰路についた。鳶岩巣山の山容確認をしたくて時々停まってみたがなかなか見当たらず一之瀬の道路分岐でようやくそれらしきピークが望めたが平凡であった。
 この山のWEBレポは多く、東山温泉からのルートが展望地も多くて人気の様でルートを変えて再訪したいと思った。

 

八百津の三角点巡り

 投稿者:GG-  投稿日:2017年 3月 8日(水)15時08分41秒
編集済
   本年2月初めに美濃一人さんのブログで点名「峠」を拝見していて八百津の三角点巡りを久々に思いついた。それと何年も前に丸山バイパス新旅足橋の見物を兼ねて走った時通った鷲ヶ峰トンネルから鷲ヶ峰は何処か?と気になっていた。トンネル上のピークは地形図に山名記載は無いし三角点も無い。WEBでトンネル入口の解説板に一帯を鷲ヶ峰と称すると記載されている事を知ったので、436m標高点が鷲ヶ峰であろうと推定され、これを第一目標とし近隣の三角点巡りも併せて3/5に出かけた。

①鷲ヶ峰 436m 標高点
 バイパス横の瞑想の森への入口広場に駐車、トンネル入口解説板を見てから尾根末端へ。立入禁止のチェーン横から舗装林道へ入り僅かに登った終点から右の植林尾根の踏み跡を辿り、東から回り込む様に地形図の430m台地に着いた。境界杭が続き緩やかなコブが東西に連なり何処が最高点かハッキリしなかったが東端が感覚的に高く思えた。北側に作業道が見え西端のコブまで進んでUターンしたが何処も植林で展望は無く山名標識も無い。東端を自分で山頂と決めて早々に退散した。登っただけて何の感動も無い自己満足の山であった。

②点名渡ヶ峰 415.1m 3等三角点
 点の記によれば明治38年選定の古い三角点。所在地は字渡ヶ峰219番地・俗称鷲ヶ峰となっているのでトンネルの解説板通り一帯の地名らしい。三叉路から瞑想の森へ向けて進み二つ目のコブに取り付いてピーク立ったが三角点が見当たらない。マウンドを越え一旦道路へ下りて次のピークへ登ったら最高点より少し低い場所の松の木に白杭や紅白ポールが有った。保護石に囲まれた三角点は頭部だけ見えていたので白杭(プラスチック製)で三等の文字が見える所まで掘ってカメラに納めた。樹間から僅かに新旅足橋が見えただけの山頂。駐車地へ戻りながら古い旅足橋を見下ろし、旅足川対岸の次の目的地の山並みを眺めた。

③点名旅足 425.5m 4等三角点
 この三角点は連なる山々の先端近く、地形図では林道脇の中途半端な場所に位置する。点名は「たびそく」とされ地名の「たびそこ」とは違っている。4等でピークでも無いので魅力に欠けるが、標高差の少ない林道脇にあるので、ついで気分と川を挟んで鷲ヶ峰や渡ヶ峰の展望期待で選んだ。
 新旅足橋に駐車して目的の山を眺める。三角点位置を地形図で測ると下立(おりたて)トンネル南の林道は1㎞進んで標高差80m程の尾根登り、下新田からの林道は1.3㎞と少し遠いが三角点脇を林道が通っているのでヤブ漕ぎ不要と思われた。下立トンネルを抜けて車窓から眺めたら右手の林道は入口から荒れ模様に見えたので予定通り472m標高点北の林道分岐の路肩に駐車。車の進入も出来そうであったがススキが覆っていたので安全策で徒歩としたが1㎞位はダートながら入れた。緩やかな起伏の植林の林道を進み鋭角カーブの先に中電東部幹線61鉄塔への分岐。少し下った鉄塔から鷲ヶ峰や渡ヶ峰が望めた。林道口から1㎞程の距離を歩くと植林は終わり雑木林の尾根南を進み荒れた林道になった。三角点はそろそろかなと右手路肩を眺めつつ進んだが林道終点に着いてしまった。Uターンして尾根を僅かに登った斜面に三角点は鎮座していて中途半端な位置が不思議。帰宅後点の記を見直したら林道から僅かに高い位置となっていたが地形図には現れず、点の記を記憶しておけば良かったのにと反省。帰途の鋭角カーブで分岐する林道を誤って下り15分程ロスタイムとなってしまった。

④点名峠 467.9m 4等三角点
 旅足で昼を過ぎていたが展望期待の「水源の森」でと杣沢から久田見へ向けて走る。水源の森の看板を左折し舗装されていたがすれ違い不可能な狭い「ささ池林道」を1㎞走ったら展望の開けた駐車場に着いた。笹池地内の牧草地であった町有地にキリンビール(株)名古屋工場と八百津町などで桜やもみじ栗などを植えた森で2007年から始まったと紹介されている様に芝の丘に沢山の桜が植えられていて西・南に展望が開けていた。展望を眺めながらと思ったが車外は風が冷たく曇天なので車内で昼食を終えた。490m標高地の巨大アンテナは何の施設か確認に登ったら関電小屋ヶ根中継所のプレートが建物に見えた。隣接する展望台に登り目的の「峠」方向を眺めたが顕著なピークでは無かった。駐車場から林道を下った四差路から左の林道へ入りカーブ地点のピンクテープに誘われて右の鞍部へ登る。境界杭やテープが続き稜線の雑木を縫ってピークに着いたが三角点は見当たらず、緩やかに下り踏み跡を登ったら次の台地の雑木林内に三角点が有った。峠集落とは随分離れているのに点名が不思議。地形図最高点は少し先の470m等高線なのでここも中途半端な位置にあったが最高点を訪れる気も湧かなかった。同名の三角点を訪れた事を思い出数年前に黒川の同名の三角点を訪れた事を思い出した。滞在する価値も無いので早々に取付林道へ戻った。

⑤点名清水谷 472.8m 4等三角点
 ささ池林道を戻り県道83に合流し左折した峠地内の小屋ヶ根峠への旧黒瀬街道入口に駐車。県道北の54鉄塔巡視路のプラ階段を登り尾根に乗ると猪駆除檻が有り、右折してすぐの鉄塔台地手前の低地で理解に苦しむ場所に白杭が見えた。1994年設置のコンクリート杭に鋼製プレートの三角点では有り難みが湧かない。鉄塔のコブは木に囲まれて展望は無かった。所要時間3分、ついでに訪れただけで達成感ゼロであった。

 

個人山行 大蔵山・小島山

 投稿者:GG-  投稿日:2017年 3月 3日(金)11時26分56秒
編集済
   百々ヶ峰間近な大蔵山の名を知って久しく何時かはと思い続けて来たが、みのハイクの仲間に誘われて3/1に鏡岩(岐阜県天然記念物)からのルートでやっと実現できた。

①鏡岩
 林道古津線の駐車地で参加者全員合流。案内はこの山域に詳しいNさんに一任で詳しいルートは知らされてなかった。駐車地から鏡岩ゲートまで1.8㎞、古津の集落内では珍しい水屋構造の蔵を眺め紅白の梅も見ながらのんびり歩いてゲートに着いた。ネットが張られた扉を解錠し進入したが中から再度施錠は出来ないので帰途にしてもらう事になった。高さ30m以上かと推察される巨岩の間の細い隙間に小径が有り長短のアルミ梯子が4度続いた。切り立った東側巨岩の表面は文字通り鏡のごとく光っていたが西側は少し苔が付いていた。梯子終了後は岩場で立ち往生、念のためロープを持参しておられたSさんが先頭で登られ立木に結んで張ってもらえたので安全を確保して登れた。しかしロープ張り等で尾根までに50分を要してしまった。鏡岩を過ぎ南側の尾根に乗ってから末端のヒトツバの繁る岩峰へ立ち寄る。右を巻いて岩上に立つと岩壁と長良川、藍川橋が織りなす凄い光景が拡がっていた。冗談なから鏡岩ならぬ凄岩(すごいわ!)と名付けたくなった。

②大蔵山 194.0m  三角点なし(地形図標高点)
 岩峰を後にして明るいヤセ尾根を辿る。マイナールートにしては踏み跡が続いていた。178m標高点北側斜面に祠が2ツ有り扉を開けたがお札は無く、もう一つは扉が開かず祭神不明。祠はそれ程古くは無いのに祀る人は途絶えたらしい。ピークを越えた西斜面に22鉄塔。ピークで古津からの登山道が合流したので明瞭な道になった。僅かに登ると大蔵山の山頂尾根、すぐ先に「のぽろう隊」の大蔵山標識、その北の右折地点が194m標高点で地形図の大蔵山の位置になる。記念撮影後次のピーク(地形図計測197m 地形図破線終了地点)に立つNHKデジタル中継局アンテナ下でランチタイムとなった。計画書は百々ヶ峰登頂予定であったが鏡岩で時間を要してしまったので取りあえず「芝生広場」を目指す事になった。アンテナ東下に21鉄塔が有り巡視路が植林の樹間を北へ標高差60m程下っていてプラ階段が足に堪えた。下りきると案内標識の立つ十字分岐と言われる場所。坊ヶ洞山峰580mの標識に従って山腹を巻く広い遊歩道を行く。何処まで行っても坊ヶ洞山の標識は見当たらず。帰宅後調べたら坊ヶ洞山は直登した20鉄塔の東に有るNHKアンテナのピークらしい。途中で樫洞山350m標識も見たが辿ったルートには存在せず、WEB検索しても出て来ないので機会を見つけて調べねば。尾根道を進み林道の芝生広場への分岐から整備されたジグザグ道の上の326m峰は今では芝生は無く、二つのテーブルが設置されテーブルピークと紹介もされている。ここでいささかバテた身体を休めた。この先のルート相談となり、予定の百々ヶ峰は時間的に無理なので、未踏の小生の希望を採用してもらい松尾池から小島山経由と一旦なったが、標高差が少ないルートが楽なので松尾池はカットする事になった。

③小島山 264.6m  三角点なし(地形図計測)
 この山は東海自然歩道が通っているが三角点も無く地形図も無名峰なので山名も知らなかった。今回の山行で地形図を調べた時に2015/03完成の小島山トンネルを知り上部がそうらしいと存在を知った。WEBで山名や東海自然歩道で検索しても殆ど記録は無く標高も出ていない。芝生広場で聞いた仲間の話では展望良好との話だったので期待を抱いて326m峰から南下する尾根を辿った。仲間達には馴染みのルートでお気に入りだそうな。他の登山者にも出合わず小さなコブを幾つも越えて行く。282m標高点から南東方向へ急降下となり196m付近の展望岩場でひと息いれた。そのすぐ下が一之洞林道のヘアピンカーブ地点、駐車地方面の道も分岐していたが我々は舗装林道を西へ進み小島山北の鞍部を過ぎる。下って来た尾根の282m付近からこの峠へ直接下るのが近いのにルートが見られないのは途中の岩場マークが阻んでいるかもしれない。カーブ地点左の植林内に薄い踏み跡が見られたが先の破線ルートへ仲間が進むので止め、Sさん提案の踏み跡ショートカットを進んだ。僅かに巻くと東海自然歩道に合流、手前に新しい赤布が結ばれていた。ザレた道を登っていくと山頂直下にベンチが数個設置され金華山方面の展望が開けていた。休息中の仲間の横を過ぎて取りあえず山頂へ挨拶に向かったが平坦な尾根道にケルンが積まれているだけで何の標識も無かった。ベンチへ戻り休憩、いつの間にか曇天になっていて遠望はスッキリしなかった。往路を戻るのかと思ったら自然歩道を東へ向かった。朽ちた自然歩道標識などから付け替えられたのかも思いながら下る。(帰宅後検索したら変更はされていなかった。)フェンスの張られた岩場は長良川展望台と称される絶景地であった。160m付近から道は北斜面の植林内をジグザグに下り飽きた頃にやっと神明神社の平坦地に出た。下部にはしっかりした自然歩道標識が残っていてすれ違う単独行の男性に会ったので辿る人も有る様だ。神社前を通過したら県道で右手に小島山トンネルの出口が見えた。信号標識でkojimayamaと呼称を確認し仲間に遅れてやっとの思いで駐車地へ帰着し解散となった。
 Sさんお勧めの長良川リバーサイドウェイの旧料金所付近へ立ち寄り、鏡岩が良く見える地点から長良川越しに写真を撮った。岩の狭間の確認は困難であったが聳える岩壁は見事であった。

 個人的にはなんとか足の痛みも少なく未踏峰2座を終えられて仲間に感謝!感謝!。不明であった小島山標高はケルン付近が地理院計測で264.6mと出たので自分の記録はこの標高にした。

 

みのハイク双葉30山 三座巡り

 投稿者:GG-  投稿日:2017年 2月27日(月)21時58分20秒
編集済
   2/23にみのハイクのIさんとコーヒータイムを過ごした時に、継鹿尾山のバリルートの話が出て2/25(土)に行く事になった。折角なのでご無沙汰の可児市内の仲間も誘って出かけた。継鹿尾山だけでは短時間で終わるのでみのハイク推薦双葉30山にある各務原の三峰山・権現山も計画に組み込んだ。

①継鹿尾山   273.1m  2等三角点  点名栗栖村

 かたびら公民館をのんびりと9時5分前にスタート。最短距離の犬山市小野洞砂防公園駐車場で準備を終えてスタート。尾張パークウェイを跨ぎ市道から細い登山道へ入る。地形図では誤って2車線の道路表示になっているがどう見ても破線の徒歩道である。130m標高地点から右への尾根へ久しぶりに入った。地形図の2車線道である。心地良い雑木林を進み北への直登になると岩場めいた道になり背後の光景が見渡せる場所で立ち休憩。240m標高で左からの明瞭な登山道に合流し緩やかな尾根を辿って東屋の有る山頂に着いた。ハイカー数人に出会う。展望を楽しみ小憩後山頂を去ろうとしたハイカーにシャッターを依頼して記念写真を撮る。寂光院への道を下り始めたら御嶽山が綺麗に見えた。220mの尾根道から左の微かな踏み跡へ入る。以前辿った時は案内板が有った様な気がするが何も無く踏み跡はシダに覆われて不鮮明になっていた。沢筋に出会った地点から対岸の山腹を巻いて進んだ記憶であったがいくら探しても道が見当たらない。これは失敗だったかと反省しUターンも考えたが、沢の右岸に踏み跡が下っていてテープも見られたので最悪寂光院下に出られると思い先導した。170m付近まで下り沢に水が流れている場所の対岸へ踏み跡が続いていて微かな記憶が蘇った。ところがここからの細い道はシダが生い茂り殆ど足下を隠していて危険極まりないので注意を呼びかけつつ登った。随分長時間に感じたが10分程で190m尾根道合流点に達し、そこからは整備された登山道を下ってスタート地点へ帰着した。

②三峰山    245.0m  三角点なし  標高点

 尾崎団地を抜けてから尾崎南運動公園へ下る道の記憶が無くて2回Uターン。仲間が見つけてくれたので桜並木を下って駐車地へ到着できた。
 尾崎西町の県営住宅を抜け三峰山山麓に到着したらそこは中央登山口であった。何年も前にみのハイクを退会されたK氏の案内でここから初登頂してから何年経っただろうか?。手入れされたジグザグの急坂をゆっくり登り232m標高点の東屋へ到着。久々の大展望に感動。西や北はやや雲量が多くて山座同定は難しかった。展望が良いので当初計画通りここでランチタイムとした。昼食を終えて僅かな距離を進むと山頂。久々の山頂はベンチが増え展望も抜群になった感じがした。山頂東へ明瞭な登山道が下っておりまだまだ未踏のルートがいっぱいの山である。ハイホー氏のHPによれば「登山口は各務原市側に7ヶ所(尾崎団地から5ヵ所、東海学院大学北から2ヶ所)、岐阜市側に4ヶ所の11ヶ所で、ルートは20ルート」と記されている。たった一人の先客のオッサンは金華山→西山→舟伏山→岩田山→三峰山で5座目、山頂北の岩場ルートを登って来たそうで、これから権現山→琴塚権現山→洞山→鷹巣山と周回予定とか。その元気さにはただただ頭が下がった。シャッターをお願いして記念写真後下山開始。東登山口まで尾根を辿る計画であったが次の権現山登山口への距離が遠くなるので馬の背十字路からジグザグに下って尾崎北町登山口へ下りた。

③権現山(尾崎) 207.9m  3等三角点

 尾崎団地内を抜け尾崎小学校南斜面の梅を眺め南町集会所の登山口へ到着した。ここからの登山道は取り付き直後「落石あり通行禁止」の表示とロープが有りこれは困ったと思ったら、ピンクテープが散見されたので崩壊地の迂回路かもと思い尾根に取り付いた。ところがこの尾根は岩場や灌木の急坂ヤブ漕ぎを山頂直下まで強いられた。登山道合流地点にもロープと通行禁止表示が有った。ヤブ経験の無い仲間達には苦労させてしまい申し訳なかったが不満も出ず頑張ってもらえた。頂上は樹木が疎らになりベンチも設けられ明るい雰囲気になっていた。運動公園へ向かう下山路は整備されていたが松枯れ、楢枯れで伐採された木が多く山頂同様明るい道であった。

 帰宅後WEB検索したら落石表示は2015/11のレポで既に掲載されていた。(クラブ双葉30山踏査は2014/06実施、その時点は通れた。)また中日本ダイカスト工場付近や、瞑想の森からの東尾根コースもあるらしく(途中に御岳大神祠あり)一度辿ってみたいものだ。
 尾崎権現山の近くには芥見権現山(若葉30山)、各務原権現山(双葉30山)があるが、随分昔にクラブ山行で辿ったルートの金華山→鷹巣山→洞山を経た琴塚白山比咩神社の奥の院ピーク(190m峰)を琴塚権現山と言うそうで、(WEB情報) 一日で4ツの権現山巡りなんて遊びができそうだ。

 

大森西山地(仮称)巡り

 投稿者:GG-  投稿日:2017年 2月27日(月)20時52分56秒
編集済
   昨年2月に4回に分けて辿った仮称「大森東山地」の続編。今回の「(仮称)大森西山地」は大森川を挟んだ西の丘陵地でその南半分は1971年に転居した頃より林道を辿ったり、町・市境界を辿ったり、三角点探し等で馴染みの山域であった。北半分は居住地より尾根を適当に辿って旭小学校まで数十年前に歩いた記憶はあるがそれ以北は未踏であったので懸案解消に出かけた。

2/18 点名中組 152.4m  4等三角点

 家族に大森台団地南端まで送ってもらい関電80鉄塔への案内板より巡視路を辿る。僅かな距離の130mピーク鉄塔周辺は笹の群生で展望は無い。切り開きを期待していたが鉄塔から南の鞍部は笹の激ヤブで掻き分けて僅かに進むと雑木林となり山の神碑がポツリとあった。尾根を南へ進みピークを左折して東の尾根に乗る。138m標高点付近から平坦な尾根を南下。北姫財産区の杭が続き顕著な踏み跡を辿ったら下切の旧国道へ下ってしまい大失敗。登り返すのも面倒なので三明寺前の市道の急坂を登り大森鉄工の先で重機置き場を抜け点名中組のピークへ向かった。造成地の急崖上のぎりぎりの位置に三角点は有ったがいずれ崩落してしまうのではと思われた。崖の縁を下り市道へ出て宮町団地脇から旭小学校西へ出た。白山みどり台団地を抜けて旧旭小学校学習林の歩道から尾根に乗った。数度辿った昔の記憶は全く失せていたが微かな踏み跡を南下し関電180鉄塔から松伏団地が見えてホッとした。ここからは明瞭な巡視路であったが170mピークから松伏団地へ向けた最短尾根を選んで進んだら激ヤブに突入となり難渋した。展望もない雑木尾根の連続でわざわざ辿る意義は全く無かったが、途中唯一の三角点確認とルート北半分がどんな山地か確認出来ただけの自己満足であった。
 当初計画は主尾根をなるべく忠実に辿る積もりであったのに、北姫財産区歩道の一部から三角点中組までの約570m、旭小学校グランド南端からの約550m区間が計画とずれてしまったのでいつかリベンジをせねばと思った。

2/21 点名牧峠 194.3m  4等三角点   点名姫 186.4m  4等三角点

 (仮称)大森西山地の南半分の起点は以前訪れた点名牧峠とした。松坂町4丁目の団地入口まで送ってもらってスタート。団地北端の児童公園北コンクリート壁沿いの踏み跡僅かで懐かしい三角点牧峠に到達した。地形図では市境になっているが所在地は可児市奥山である。縦走の趣旨から市境の刈り込まれた尾根を西、北へと辿り県道83の四差路へ下り立った。林道ゲートにガードマンがいると鬱陶しいがと心配していたが幸にも無人で林道へ入れた。僅かに登った地点から西の尾根に乗り北上する。市境となっていて大森財産区の杭が続き、近年国土調査も行われた様でテープや明瞭な踏み跡に助けられた。地形図の190m標高点付近は植林帯で手入れがされていて下草も無かった。市境を離れた180mピークには携帯アンテナ、そこから緩やかに登った尾根上に白杭の三角点姫が有った。久しぶりに訪れたが白杭も真新しく、4等三角点なのに一人前にICタグまで埋められていた。点の記に平成21/11現地調査となっいるのでその際に行われたかも。少しアンテナ方向へ戻り北西に向かう尾根を辿り市境尾根へと進んだが落ち葉の樹間はルート不鮮明でやや焦った。市境尾根は途中まで毎年の様に歩いているので順調に進んだが最後の300m程を時間切れでショートカットして林道へ戻ったのが残念。

写真 ①ルート概念図  所要時間は両日共ヨタヨタ歩きのせいでほぼ3時間

 

またまた低山徘徊三座 

 投稿者:GG-  投稿日:2017年 2月10日(金)21時56分22秒
編集済
   昨年秋岐阜市山県北野の大智寺へ紅葉見物に出かけた際に門前に立てられた看板で勢引山の名前を知った。三角点も無い地形図の無名峰だが独特の山容に魅せられていた。前週の関低山巡りの時にみのハイクの仲間からこの山の話題が出て思い出し、懸案の三峰山南尾根ルートや近くの点名高富と併せた低山巡り計画を立てて2/8に仲間達と出かけた。7:20自宅スタート時の路傍温度計は-3℃の寒さであった。

①勢引山(櫂立山)150m(地形図等高線標高)
 「戦国時代初期、北野城を攻めあぐねた斎藤勢が一時勢力を引いたと言われる山。またかって長良川がここを流れていた時は急流の為舟の櫂を立てて進んだと言われている。」と岐阜・大智寺前の看板に記されていた悠久の歴史を感じさせてくれる山。WEB情報にもヒットせず地形図を眺めて南西の船国寺東の実線路からの尾根を辿ればヤブでも傾斜が緩いので到達できると推定して計画した。同行願った仲間が事前に確認されていた三輪中学間近な駐車余地と登山口らしき場所へ案内してもらった。用水路フェンスの切れ目から踏み跡を辿ったら僅かな時間で地形図に無い鞍部で尾根に乗り明瞭な踏み跡を辿って山頂へ向かう。130mのコブを右折し標高差僅かなのにきつく感じる斜面を登り詰めた台地が山頂であった。樹林に阻まれて展望は無かったが石柱が立っているので刻まれた文字を見たら御料局三角点であった。山名標識も何も無いがこの三角点の存在で山頂の雰囲気が味わえた。往路の尾根を戻ったが南は雑木、北は植林となっていて一帯は国有林かと御料局三角点から推定された。登りに気付いたが立木に巻かれた古い赤ビニールが散見されたので物好きな里山フアンも有る様だ。鞍部からは探検気分で寺に向かって地形図に現れないコブを登り詰めたら奉納旗で祭神が判った「金比羅神社」の小さな祠があった。地形図の実線はこの参道と思われたが入口の用水路切れ目フェンスはロープが張られていて個人の山かも。ロープの隙間から道路へ出て駐車地へ戻った。山麓の道を走りヤフー地図で名前を知った船国寺らしき建物付近を通ったらロープが張られて廃寺の雰囲気であった。
 予報では前日の「強い風も収まる」であったが稜線は北風が冷たかった。

②三峰山 216m (山頂標識記載標高)
 この山は旧高富町と岐阜市境に有り不動明王が祀られているだけで三角点の無い地形図の無名峰である。みのハイクのSさんに教えられて2014/1に仲間に誘われて登ったのが最初であった。その時山頂の標識に三峰山216mと標高表記されていたが、2.5万図は220m等高線、今回電子国土で見たら218.6mと出た。みのハイクの双葉30山に入れたが標高の確定が困難で山頂の標識数字とした。展望良好な里山なのにWEBでも唯一「高富の里山 三峰山210m」のユーチューブ映像(2015/4UP)にヒットしただけの不遇な山である。映像を見ると山頂標識の216mの6の文字が痛んで0にみえたのでこれで標高を210mとしたらしい。他の情報で岐阜市太郎丸北郷に「是ヨリ十八丁 昭和二年十一月建之」と刻まれた大日不動明王道標が有ると記されていたのでその頃からの信仰の山であろうか?。
 今回はクラブ踏査記録にある岐阜女子大東の尾根ルートから山頂に達し、東峰、西峰を確認する計画とした。駐車地の脇に「大日不動明王遊歩道」の標識が有りここから入山し木製階段を登って尾根に乗る。矢印案内で右折し登って行くと140mピーク手前に御岳神社の祠。南の展望が開けベンチも数個設置された絶好の休憩地でもあり小憩。ピークを越え左右の光景や前方の三峰山の展望を楽しみながら緩やかな起伏を繰り返す。159m標高点付近からは中アや御嶽山も見え始めた。山県岩からのルートを併せて幟が続くジグザグ階段を登り詰めると山頂で不動明王を参拝。次の目標である点名高富は南西に見下ろせた。標高を判定した山頂標識は禿げて山名も標高も判らなくなっていた。次第にクッキリとして来た大展望を肴にしながら昼食を終え東峰へ向かう。2015/2のクラブ山行の下山時に途中まで歩いたが記憶は失せていて踏み跡を辿って着いた展望の無いコブが東峰(地形図190m)であった。往路を戻り山頂から次は西峰(地形図210m)に向かった。こちらのコブも展望は無かったが三峰の由来を確認できただけで満足した。西峰から続く尾根に踏み跡が続いていたので「このまま高富を目指そうか」との声も出たが所要時間が読めないので往路を戻る事にした。山頂で大展望に別れを惜しみ、往路をピストン予定であったが健脚の仲間2名が車両回収に向かってくれると言うので元気印に甘える事にし残りのメンバーは短距離の山県岩登山口へ下った。のんびり下ったら到着直後に回収車が2台到着しその韋駄天ぶりに驚いた。

③点名高富 136.5m 3等三角点
 この山を何処から登るかは地形図によれば稜線に破線の道が幾つも記されているので迷った。目的はピークハントなので、ならば最短距離をと点の記を閲覧したら「松洞団地最奥から小径20分」とあった。グーグル航空写真を見たら該当地は空き地が有ると推定されたので団地の狭い道を詰めたら「売地看板」のスペースが一区画残っていてそこに駐車。石垣の背後は山林だが小径の気配が無く東斜面にそれらしき道が見えたので隣家を回って進んだ。これが小径かなーと思いながら進んだが次第に怪しくなった。雑木の薄いヤブ急坂を赤布を結びながら登り鞍部に着いたら地形図表示の明瞭な踏み跡に出会えた。左折して僅かな距離を登り詰めると周辺は雑木に囲まれて展望の無い山頂台地であった。この日唯一出会えた三角点は草に囲まれていた。間近な立木に白ビニールが巻かれ点名と登頂日26/02、KYCと記されていたので東濃地区で良く見たYUYUクラブのメンバーの物と推察した。往路の赤布を回収しながら下山し登山口で解散となった。後日検索したらH27/2に高富中学校の裏(東側)から登った記録が唯一ヒットしただけで踏み跡が有るのに不遇の山と思えた。

 短時間の低山巡りであったが懸案解消が出来同行願えた仲間達に感謝感謝の一日だった。

写真1枚目 勢引山(櫂立山)山頂

 

関低山巡り 10座 その2

 投稿者:GG-  投稿日:2017年 2月 3日(金)20時45分14秒
編集済
  ⑤山王山 まるまる山 松尾山(標高は「しもうちコミュニテイ」HPと山頂標識による)
 関SAでの昼食休憩を終え向山神社駐車場へ移動。この山々は山たまご氏の記録には無かったがたまたま「しもうちコミュニテイ」と言うHPに出会った時に知り、魅力的なルートが整備されていたので計画に入れた。向山神社参拝後左手の竹藪の登山道を登る。WEBのルート図には稜線に88体石仏(明治24年に設置)が有ると記され合流点より尾根下部と思っていたら合流点に86番石仏が有り山頂へ向かって数字は小さくなっていた。左手に見えた注連縄の岩屋内部を覗いたら役行者に似た石像が祀られていた。近くの広場で石仏群は終わり、自然林の心地良い山道を標高差50m程登ると山王山153m頂上。「山王山山頂は現在は木々が生い茂り展望のないのが残念」とHPに記載されていたが西面が綺麗に伐採されて展望の山になっていて次の目標の松尾山も望まれ、真新しい山頂標識も括られていた。山頂北は標高差40m程の急下降で鞍部から登り始める所に「←5分まるまる山」の標識が有った。計画書には記載しなかったが面白い山名に魅せられて折角だからと立ち寄る事にした。赤テープがやたらと結ばれた登山道を進むと標識の括られた山頂で「まるまる山135m」となっていた。先刻の山王山や南の展望も有り、この先も登山道が下っているらしい。往路を戻り緩やかなピークを越えて進むとルート図の「長良川展望」で登山道は90度左折する。小枝の間から川は見えたが名前負け。小枝に赤テープが巻かれていたので川畔からルート図に記載されていない道が有りそう。「戦国時代に作られたのか堀切り跡も見られる。」(城跡の痕跡やWEB情報無し)と紹介された鞍部を越えて登ると展望が開けた100mピークの岩場に到着し小休止。目前に松尾山が望まれた。長良川を見下ろす鞍部から南への下山ルートが有り疲れておられた仲間の体調に配慮してここから下山する事にし、40mの標高差を登ると大展望のピークに立った。ベンチも置かれていたが山名標識が見当たらないのでその先の地形図140mピークが山頂と思い僅かに登ったら「松尾山展望台」の標識が有った。と言う事は先刻のピークが松尾山137.1m。展望台からの眺望を楽しんでいたら北の山々は時雨模様でこれは降り出すかもと下山を急いだ。標高90m鞍部からの道は整備されていて松尾山の裾を巻き集落手前から畑を横切って狭い道路へ出た。推定20分程の駐車場までの道路歩きが随分長く思えた。途中雨がパラッとしたが駐車場へ着いたら止んでいたので一時は断念かと思った残りの山へ向かった。
⑥冨士塚
 山とは言えないが近辺では珍しい存在なので、大洞山へ向かう途中に仲間を案内した。石段を登って頂上60.1m(地理院地図計測)富士塚神社を参拝。
⑦大洞山
 山麓の登山口を探し最終的に竪仙房(たちせんぼう)公民センター南の竹藪の道から取り付いたが、道はすぐに上半分が欠けた石仏前で途絶え、その後は雑木林の薄いヤブを縫って登った。S氏が先導で自分は最後に赤紙テープを結びながら行く。稜線に出た地点僅かに南が地理院地図で計測した最高点106.1m。岩盤の露出した平坦地で木も低く少し開けた雰囲気であった。稜線には何処から来ているのか踏み跡が有り、地形図標高点は北なので平坦な道を進んだら北端の狭い空地が101m標高点の様で酔狂な先人の名残なのか古いビニールテープが下がっていた。往路を戻り駐車地で解散した。
 計画書に記載しなかったまるまる山を入れて計10座のピークハント。久々の長時間歩行であった。なんとか天気も持ってくれて懸案解消が出来、身近な里山にも意外な発見や感動が有る事を再認識した一日であった。関市内南部の山なども機会があれば巡りたいものだ。

2枚目 松尾山山頂から山王山
 

関低山巡り 10座 その1

 投稿者:GG-  投稿日:2017年 2月 3日(金)20時26分29秒
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  昨年2月に仲間達が実施された関低山巡りの続編をと計画し、2/1にみのハイク有志で出かけた。今回もWEBの山たまご氏の記録を参考にさせてもらった。

①鼻欠山 点名庄中
 登山口から送電線鉄塔目指して樹間へ突入したらすぐに巡視路に合流、前年偵察時よりヤブが濃くなった印象の道を登り鼻欠山129mへ到着。仲間の先導で稜線を辿り点名庄中123.1mへ。三角点白杭は朽ちて倒れていた。鼻欠山を眺め薄い踏み跡を辿り前年と同じ市道へ出て登山口へ戻った。
②御岳山 その1
 御岳山(125m標高点)は駐車地が無いので、高速道路関SAの駐車場から高速脇の登山口へ。雑木の急斜面が続いたが薄い踏み跡や赤テープが巻かれていて酔狂な登山者も有る様だ。岩場を巻いて8分登ると標高点ピークであった。樹林に囲まれ展望はゼロで早々に下山開始。下山途中梢越しに御嶽山を望めた。山たまご氏によれば地形図には御岳山表示されるも地元では西の御岳神社のピークが御岳山らしく、地理院の山名採取ミスではないか?とあった。
③御岳山 その2
 御岳神社参道口へ移動後鳥居を潜って登る。山頂91.3m(地理院地図計測)の祠を拝し偵察時間違えた御嶽山を探したら山王山の右に白く美しく見えたが裾が隠れ全容で無いのが惜しまれた。美濃市や関市街のパノラマを楽しみアンテナ西のピークからWEB情報の道を下ったが整備された道なのに小瀬10番町交差点間近な市道への出合には何の表示も無かった。
④高井坪
 156号線を横断してグリーンハイツ看板から登山口へ着いた。偵察時に挨拶した地主のH氏に登山許可をお願いし、広い鉄板の橋を渡ると高井坪反射板の標識が有り樹間にミツバチの巣箱が散在、落葉の整備された道を登る。僅かで山頂南西の120m峰との鞍部に達し反射板標識に導かれて自然林の中を行くとこの日最高点高井坪167.2m三角点が迎えてくれた。山たまご氏の記録は「展望残念賞」となっていたが、山頂西の反射板方面は切り開かれていて西や北の方向が望まれ、遙かな伊吹山や能郷白山等の白い峰々が確認できたのは予想外のラッキーであった。下山後御礼を兼ねてH氏に面白い山名「高井坪」の由来を尋ねたがご存知で無かった。(WEBにも情報無し)御岳神社登山口まで国道沿いを歩いたが市街地歩行は僅かでも疲れた。計画では向山神社駐車場で昼食予定としていたが寒さを心配していたら、高速の関SAで摂ろうとのグッドアイデアが出て戻った。

2枚目 御岳山・御岳神社前から望んだ御嶽山

 

散策の山 白山平山・善光寺山

 投稿者:GG-  投稿日:2017年 1月29日(日)22時07分12秒
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   「愛知の里山」HPを見ていて犬山成田山の背後の山が白山平山と呼ばれているのを知った。また山頂部に高名な古墳が有ると判ったのでこれは近々見学せねばと思っていた。北の善光寺までは数回訪れていたが山頂が善光寺山と呼ばれ公園になっている事も知らなかったので、1/28に併せて散策に出かけて来た。この日は快晴に近い好天だったが中国からのPM2.5飛来のせいか遠い山々はやや霞んでいて残念。
 尾張パークウェイ経由で成田山本堂裏へ走り古墳登り口に駐車し、小さな板の東之宮古墳案内板に導かれ整備された階段やチャートの露出した参道を登った。神社前で鳥居の有る丸山からの表参道と合流し神社に到着。神社名が何処にも記されていないのが不思議。まず右手古墳丘下の解説板を読んで神社参拝を済ませる。西の切り開きから伊木山と伊吹山が美しく見えた。神社背後の少し崩壊してシートに覆われた前方部から古墳へ登り後円部頂上へ着いた。周囲は木立に囲まれ隙間から僅かに見えるだけで展望は無い。ここが白山平山の山頂だろうが標識は無かった。地形図に標高点141mが表示されているが古墳案内板は「136mの頂上に位置する」となっているので差の5mは墳丘高かな?。帰宅後犬山市のHPを見たら標高143mとなっていてややこしい。後円部の隅に4等三角点サイズらしき石柱が埋められているが、地形図には表示無く、刻まれた文字を帰宅後PC写真で見たら御料局三角点の様に見えた。御料局三角点にしては新しい物にも見えたのが不思議。神社の左の脇社には湊川神社の石柱が有るのに肝心の社が不明なので立派な鳥居立つ表参道を下り銅板に包まれた2本目の鳥居脇に東之宮神社と彫られた大きな石柱があって納得できた。参道は丸山方面へ下っていたので分岐まで戻って駐車地へ。
 善光寺参拝者は寺横まで進入できるので車で移動し、参拝後展望台の案内標識に導かれゆるゆると遊歩道を進んだら平坦な公園に着いた。善光寺山頂上(標高140m 三角点なし 等高線標高)と思われるが平坦すぎて山頂の雰囲気ゼロで展望も無し。 南へ回ったらモンキーパークへの登山道標識が有り、モンキーパークと継鹿尾山が間近に見えた。遊歩道を北へ回った場所が展望台となっていて、大きな表示盤が設置され木曽川を眼下に養老山地、伊吹山、奥美濃等の山々が望め鳩吹山の脇に御嶽山が見えた。
 散策の超低山2峰、三角点も山名表示も無かったが2山制覇?した気分で帰途についた。

東之宮神社
祭神不明の為帰宅後犬山市のHPを検索したら次の記述。東之宮社 犬山市犬山字北白山平7 創建慶長11年(1606)、祭神  尾治針名根連命荒魂 (おはりはりなねむらじのみこと) 祭神を更に検索したら天白区の針名神社、犬山の針綱神社も同じ祭神であった。主祭神の尾治針名根連命は、尾張氏の祖先神で尾張国一宮の真清田神社の御祭神でもある天火明命(あめのほあかりのみこと)の十四世孫にあたり、父の尾綱根命とともに犬山市の針綱神社にも祀られている。古代豪族尾張氏の氏神と考えられている。

東之宮古墳 143メートルの山頂にある全長約72mの、愛知県下で最古の部類に属する前方後方墳。昭和48年(西暦1973年)の盗掘を契機に発掘調査が行われ、竪穴式石槨や豊富な副葬品が出土した。
古墳の築造年代 3世紀末~4世紀初
古墳の規模
墳丘長   約72メートル
後方部幅  約48メートル
後方部高  約8メートル
前方部幅  約43メートル
前方部高  約6メートル
副葬品(国の重要文化財)
三角縁神獣鏡を含む鏡11面、石製合子2点、石釧3点、鍬形石1点、車輪石1点、ひすい製勾玉3点、管玉大小137点、鉄刀9点、鉄斧6点、針筒1点、鉄鏃6点などが出土、これらの副葬品はすべて重要文化財に指定されており、京都国立博物館で常設展示されている。
 

低山徘徊 羽黒山・尾張冨士

 投稿者:GG-  投稿日:2017年 1月28日(土)22時11分58秒
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   昨秋近在の山をネットで見ていたら「羽黒山」の山名を見つけた。三角点の無い無名峰であったが、WEBで近時訪れた記録が有り確認したいと思っていた。1/26の好天予報に誘われて近くのF氏を誘って出かけた。
 両山の中間点に駐車地を探したが明治村の駐車場は開門前、四差路を少し西へ下ったが駐車適地は見つからず明治村駐車場近くの路肩に駐車して登山準備。まず懸案の羽黒山を目指したがWEB「愛知の里山」の取り付きは四差路から離れているので交差点の尾根を見たら電発59鉄塔への標識から微かな踏み跡が見えたのでここから進入した。すぐの場所に短いトラロープが有りここを登ると緩やかな林間の道が続いていた。巡視路らしき道を左に分けるとコシダのヤブっぽい幅広の尾根となり微かな踏み跡を辿る。上部では帰路に備えて紙テープを数ヶ所結んだ。平坦な地形が山頂の様だが何処が最高点かも判らなくて雑木に遮られ展望ゼロ。境界杭なのか石柱が1本立っているだけ。標高は205.7m(地理院地図計測によると)地形図は200m等高線台地である。WEBで登山口から15分となっていたがちょっと無理であった。魅力無しの山頂周辺を撮って早々に下山した。
 ついでの尾張冨士は過去に数回登っている。今回地形図を見て冨士となっているのに気付いた。過日、関市の冨士塚をネットで調べた時本物の富士山に対し畏れ多いので冨士塚としたと記されていた。(現地の石碑は通常の富士山神社と彫られていたのに)この山も同じ理由かも。西山麓の大宮浅間神社の所在地は犬山市冨士山3で山名と同じ。今回は四差路からの林道を辿る初めてのルートを選んだ。チェーンゲートを越えて名前不明の舗装林道を暫く進み地形図の破線経由とした。林道二つ目の屈曲部にやたらとピンクテープが見られ、保安林看板も数枚、微かな踏み跡が見られ地形図の道と思えた。付近は桧の皮を採取する場所らしい。微かな踏み跡の急傾斜を辿ると汗が噴き出した。巡視路らしき道に合流すると間もなくJパワーのアンテナに出合った。少し展望が開けた場所で真上に送電線が通っていた。送電線鉄塔の間近かと思えたが鉄塔は見えなかった。アンテナの西の山頂方向に踏み跡が続きこれを辿ったら浅間大社奥宮背後に出て右回りで正面に立ちお参りを終えた。奥宮の額は右から「尾張富士」と彫られていて神社名では無く、文字も地形図の冨士とは違っていた。275.0mの4等三角点は相変わらず献上石片隅に鎮座していた。石段からはこの山との背比べ伝説がある本宮山を左にして名古屋の高層ビル群が望まれた。奥宮背後の入鹿池を見下ろす日溜まりでコーヒータイムを終え、入鹿池ヘの正規登山道を下る。61鉄塔に立ち寄り御嶽山、中央アルプス、恵那山等を眺めて林道まで下り明治村への登山道を分けて林道を下った。
 尾張冨士と羽黒山の写真が撮りたくて「入鹿の里」へ立ち寄り、またコーヒータイムを終えて予定通り午前中で可児へ戻れた。後日尾張富士がみのハイクの双葉30山に選定されていた事に気付き目標が一山消せた。

写真 2枚目 大宮浅間神社奥宮  額は「尾張富士」とのみ
 

クラブ山行 白山・御殿山

 投稿者:GG-  投稿日:2017年 1月10日(火)22時16分26秒
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   今年のみのハイクの新年互礼会登山は掲題の山で行われた。一昨年12月に翌年度予定が計画された際に非力な小生にも担当せよと指名されていたので数年ぶりにリーダーを勤めさせてもらった。もっともリーダー云々と言う様な大それた山でも無かったので助かった。
 今年の正月は元旦から晴天続きであったが、皮肉な事に8日の天気予報だけは連日覗いてみても傘マークが消えず一旦は中止を決めて山行部長や事務局へ連絡したが、直前に予報が好転し午後からの降水確率が高かったが、なんとか昼まで持てば白山と豚汁までは終えられると決行とした。
 関の集合時にドタキャンなど少々トラぶったが、6台+2台で予定通りさくらの森へ向かう。挨拶を終え入念なストレッチを終えて未だ咲いていた四季桜を眺めて東周りコースから登り始めた。馬の背岩では曇天ながら展望が開け、霞がかった田園風景や真っ白な御嶽山が望まれた。白山三角点は立ち寄っただけ。山頂間際から白山が望め、「白山から白山を」と誰かが面白い表現をしていた。有志3名には豚汁準備で直接下山してもらい、残りの全員は白山展望台へ向かい時間調整をしながら休憩とした。下山路脇のタマミズキの赤い実を啄む鳥を眺めて思わぬバードウォッチング。休憩舎へ戻ったら早過ぎたのか未だ豚汁は未完成であった。休憩舎にはブルーシートが敷かれてザック置き場になっていて、脇にはセルフコーヒーコーナーまで設置されていて配慮に感謝であった。豚汁の煮えるのを待つ間に休憩舎横で集合写真を撮る。初冬のクラブ山行で採取準備してもらったナメコいっぱいの豚汁は寒い日だったので好評でお変わり行列が出来て大鍋2杯も早々に売り切れた。
 御殿山は無理かもと思っていたがなんとか天気も持ちそうなので、現地集合者は2台に乗り8台で地蔵峠越えの道から上水無瀬林道へ向かった。グループリーダーを頼んであったので、此処も班行動をと思っていたが、雨の心配からか全員が勝手な行動で登り始めてしまった。鳥居を潜った直後から雨粒がパラパラしたが傘を拡げる程でも無かった。元気印のメンバーばかりで付いて行くのも大汗であった。雨が降らねば神渕峠まで縦走予定であったが途中ですれ違う仲間に往路下山を指示して山頂を踏んだ。標識も無く切り株に小さなケルンのみ、いつものつまらない山頂を経て展望岩に立ち寄って下山した。車道で後続に追い抜かれ駐車地へ最後の到着した時は傘を拡げた仲間達が待っていた。雨中を待たせてはと到着早々慌ただしく終了の挨拶を終えて現地解散とした。諸役にご協力願った皆さんに感謝!。

解散直後から雨も本降りとなりラッキーであった。

写真 ①白山(通称米田白山273.7m)頂上
   ②白山下山路から御嶽山
   ③御殿山 559.0m山頂

 

本年もよろしくお願いします

 投稿者:GG-  投稿日:2017年 1月 1日(日)10時24分17秒
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  穏やかな好天の正月を迎えました。
体力の及ぶ範囲の徘徊を今年も続けたいものだと願っています。

 

クラブ山行 猿投山  629.0m   1等三角点

 投稿者:GG-  投稿日:2016年12月17日(土)13時56分51秒
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   申歳に因んだクラブ山行計画、年間最後の山と言う事で多数の参加を得て12/11に実施され、担当リーダーよりSLを依頼されたので体力に不安を感じつつお手伝いで参加した。
 未だ暗い関から7台でスタート、猿投神社北の登山者Pへ到着。既に満杯に近かったがなんとか我々の車は入れた。準備をして下見時よりクラブでなんども訪れた山だから変化をとバリルートを選定する事にしていたが前回は広沢城跡への登山口に気付かなかったので今回はぜひと願っていた。模範展示林の表示のある白杭が発見できず焦ったが案内は無いものの該当位置に幅広の薄い道があり少し入って右脇の尾根への踏み跡で尾根に乗ったら顕著な山道となり安堵、山神らしき石群を左に見て広沢城跡ルートを確信できた。急な道に数段のアルミ梯子が設置され間もなく広沢城址案内板に出会った。これによれば289mの城ヶ峯山頂に築かれた戦国期の山城で山頂・尾根一帯に遺構が残っているそうだが、ゆっくり観察の時間もなく、ピークは展望も無いとされていたので目前にしながら東山腹の巻道を進んでしまった。暫くで三叉路に出会い一瞬方向感覚が狂い迷ったら、後方より「標識があるよ」との声、確かにマヂックの表示も有って左折、下見時にここが城跡からの合流点と確認したのに記憶が消えていた。尾根道の起伏を辿って最後は直登で330mの城ヶ峯展望台へ着いた。前回確認忘れの陶製山名標識に触ってみた。城跡が城ヶ峯とするなら、標識も「猿投山の達人」ブログの様に城ヶ峯展望台とすべきだろうか?。狭い展望台で小憩後武田道へ向かう。所々の展望を楽しみつつ進み大岩展望台で小憩。504m峰手前で左折し西の宮鳥居へ到着。ここから西の宮までがこの日一番の頑張り所であった。西の宮でゆったり休憩を取り、大碓命の陵墓を見学し御船石に立ち寄りバリルートの尾根に入る。登路のバリエーションルートの案内だけはなんとしても果たさねばと思っていて、南ア展望で東海自然歩道へ合流した途端緊張が切れたのか、痛めている踵の痛みを感じ以降は恥さらしの遅れ行動になり猿投山山頂へやっと到着した。寒風が強いのにかなりの登山者が昼食中であった。迷惑を顧みず横断幕を拡げて記念撮影後早々に山頂を後にして、620mピーク南斜面の日溜まりベンチまで戻ってランチとしたが、満員で先行組は少し先のベンチだったとか。
 下山開始から最後尾を歩いたが猿投山最高点への道に気付かず先行グループが戻って来た。自分は大事をとって直接東の宮へ先着し仲間を待った。全員合流後自然歩道を鳥居へ向かう。東の宮で出会った老人は猿投山を熟知した人と聞き「達人さんですか?」と聞いたら違うと言われた。老人はここから大悲殿まで直接行けると紹介してくれた。東尾根ルート全体を何時か辿ってみたいものだ。鳥居横のトイレ休憩などを終えた時点で、足を痛めたメンバー数名は最短距離を下らせてもらう事になり、東尾根経由組と同じ下山時間になるかもと見送ってから自然歩道を下った。武田道分岐からは久しぶりの道であったが急坂もあって難渋し、林道で休憩してまた下り御門杉で平坦車道に合流してヤレヤレであった。足をかばいつつゆっくり歩いていたら東尾根経由の健脚組に追い抜かれてしまった。
 駐車地でリーダー挨拶を終え解散後、猿投神社参拝は各車ごとの判断として帰路についた。

 

個人山行 点名初音・権現山

 投稿者:GG-  投稿日:2016年11月22日(火)22時06分55秒
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   2015/06に知人から郡上に権現山と言う山が有ると聞いて、郡上市在住のみのハイク会員W氏に調査を依頼していたところ9月下旬に「峰稚児権現」が祀られたピークが有ると詳細な地図と共に教えてもらった。
 病み上がりで久しぶりの山行となるので不安はあったが、標高差、時間等からなんとか行けるのではないかと計画し、W氏も未踏との事で氏の都合がついた11/17にクラブ仲間を誘って出かけた。
 ルートは口神路(くちかんじ)からの尾根道がW氏の知人推奨ルートとの事で期待大でもありこれを採用し、点名初音を経由して権現山へ往復して「へんび岩コース」で中桐へ下る事にした。
 集合地の郡上総合庁舎から初めての県道319を経由「へんび岩コース」林道入口まで走った。情報には無かったが入口はネットで閉ざされていたので入口路肩に1台をデポし八幡トンネルまで戻り156号線を経て口神路へ向かった。駐車適地を探しながら市道を行くと川の右岸に消防倉庫らしき建物が有ったので、舗装の駐車場で登山準備を終えスタート。
 すぐ南に横たわる尾根への取り付きを探しながら市道を歩いたが見当たらず、W氏が知人から聞いておられた尾根末端の墓地脇の踏み跡から入山。暫く植林帯だったが傾斜が緩むと雑木林の道となった。尾根分岐を過ぎた平坦地で小憩、地形図では足下には東海北陸道の大瀬子トンネルが抜けている。この辺りの平坦地は馬瀬の上ヶ洞の尾根に良く似た雰囲気で紅葉美林に気分はルンルン、僅かに下った鞍部から登り返すと中電下牧大島線53鉄塔に着いたが期待の展望は無かった。鉄塔北で尾根は右折し時々植林も在ったが巡視路の歩きやすい道を行く。誰かが山の幸を発見、お裾分けを頂いた。470m尾根屈曲地は52鉄塔への分岐で、ここから踏み跡は薄くなり植林を抜けたら鮮やかな紅葉の斜面が暫く続いた。510m標高付近で南からの尾根が合流し植林帯になった。植林の中を適当に前方鞍部まで登り右へ僅かで点名初音544.4m 3等三角点(点の記によれば俗称大泊山)台地に到着出来た。南は植林が迫り北は雑木林で彩られていたが展望は無かった。寒々とした光景で空腹を覚えていたが食事をする気になれず、僅かな滞在で目的の権現山を目指す事になった。南東へ下る尾根から北東へ転じる尾根で小生がルート判断を誤り迷惑をかけた。530mピークで右折して鞍部へ下る。鞍部は朴ノ木の落ち葉で埋まっていた。鞍部から標高差30m位は雑木の落葉斜面を適宜のルートで登り詰めたが最後かと思ったもののなかなか苦しかった。先頭グループから祠発見との声が聞こえて目的達成の喜びが湧いた。砲台状の山頂に築60年余(麓の稚児権堂案内板より推察)の祠が有り下部は腐食防止の為かブリキ板に覆われていた。三角点の無い権現山の地形図標高は540m等高線、地理院地図計測すると541mの数字が出た。しかし下山後見た稚児権現堂の案内板は550mとなっており不思議。その根拠は古い地図での標高か?。
 日射しが無く少々寒く展望も無かったがここで紅葉に包まれながらのランチタイムを終えた。樹間から初音山頂を望みながら急坂を下り登り返した初音三角点で改めて記念写真を撮り下山開始。鞍部から植林を下り往路合流点を右に見て南面の尾根踏み跡を進んだ。この頃から日射しが戻り左の谷は植林であったが右の谷は見事な紅葉樹林で歓声があがった。前方にピークが現れたので現在地が470m鞍部と思われたが地形図に表示されている破線の道が見当たらない。点の記にも林道終点から北方小径500mとされていたので予想外であった。(違うルートが有ったかも)先頭グループが植林の急斜面の作業道を探しながら先導され、伐採倒木に悩まされながら10分余で50mを下り沢沿いの作業道に出た。この道も時々怪しくなり伐採木を跨いだり潜ったり、沢を右左に渡り難渋した後、草が生い茂る荒れた林道終点に出会った時はヤレヤレであった。林道口にゲートも有ったが通れても林道荒れ様では車の進入は終点までは困難だったろう。林道距離700mと判っていたので最後の頑張りと思いながら歩んだが、疲労も出て以前から痛めてい左足の痛みも酷くなり仲間に遅れた。林道終点ゲート前に到着できてホッ。デポ車で口神路の車両回収に向かって戻り林道口で解散した。
 帰宅を急がれる仲間が出て1台を見送り、W氏が郡上一揆の旗揚場所である南宮神社へ案内してくれると言うので付いて行く。途中本来の目的であった権現山由来の案内板を見つけて駐車し近くのオッサンに詳しい話を聞いた。その後神社へ向かったが歴史を感じさせる佇まいであった。帰宅後検索したら西暦700年代養老年間の建立とあった。
 農作業?中のオッサンの話では「稚児権現堂」案内板から山頂へ至る登山道は無いとの話で、案内板の様に年に1度だけ夏に祠掃除の為に地元民が登るだけで登山道も無いとの事。多分東側の林道からの最短ルートかと推察したが。地元民も下山ルートを誤り大和町側へ下山してしまい車の救援依頼もあった位人が入らないそうだ。地元で「権現山」と言うのか?と確認したらYESだったので自分に納得させた。南宮神社祭礼時に「権現山」と言う神事?が有るらしいので南宮神社で権現様の祭も合わせて行われているかも。
 なお、南宮神社参拝の帰途、W氏が下山ルートに記載しておられた「へんび岩」の確認をされたら下山時に辿った林道入口から100m程登った広場先から対岸へ渡ると「蛇状の亀裂の入った岩」が在り、それを「へんび岩」と呼ぶとの事であった。昔は標識も有ったらしいが、又機会を見つけて探索に出かけたいものだ。

 

ミニ登山? 小牧山    85.8m  2等三角点 

 投稿者:GG-  投稿日:2016年11月22日(火)21時18分27秒
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  11/07
 折角の好天、近在散歩では物足りないので近くても遠い存在で予てより懸案としていた小牧山へ向かった。小牧市役所南の駐車場から北西の信号を渡り、地形図の神社マークへ鳥居を潜り石段を登り参拝に訪れた。祠程度の大きさで神社名は表示も無く判らなかったが(後日ネット地図で調べたら八幡神社となっていた。)、愛宕社・八幡神社・白山神社・御嶽神社が合祀されているとの案内板が有りなんとも欲張った社であった。右手には大きな砲弾を象った忠魂碑が立ち、更に右手にはパンフレットに徳川源明の碑と記載されていたので立ち寄る。標識やWEBに寄れば「徳川源明公(尾張徳川家9代藩主宗睦)の碑 宗睦は、「代官制度を改めて小牧代官を置いたり」、「新川の開削」をするなど尾張藩中興の善政を行いました。昭和28年に建中寺(名古屋市東区)墓所改葬の折に、この場所に移設されました。」とあった。大きな碑の東は桜の馬場と言う広場で工事中。此処から直線で山頂へ至る道が大手道らしいが、緩やかな遊歩道を西に向かった。小牧山稲荷大明神が祀られ、右手奥には別の稲荷様が祀られている。案内板では小牧山吉五郎と名付けられた大親分格の老狐が祀られているらしい。他にも名前のある狐が居たと記されていて面白い。小牧山一帯は尾張藩に保護され、明治以降も徳川家が所有し昭和5年に徳川家から小牧町へ寄贈されたそうで、山中の堀や土塁の残存状況は良好で貴重な資料らしい。街中に在りながら深山幽谷の雰囲気が漂い野鳥の声も沢山響いて心地良い散策が楽しめた。室町末期の明応年間の子孕み鹿にまつわる間々乳観音由来の観音洞広場に立ち寄る。遊歩道を進んだタブの木の横の解説板に小牧は「駒来」と言う馬の集散地が由来とあった。そこからは直接山頂を目指したが城郭手前の石垣発掘現場を眺めて歴史館の建つ山頂台地へ着いた。ボランティアガイドが小グループに説明をしていた。問題の三角点は城郭の中で進入できないかもと想像していたら、空き地の中に鎮座していた。白杭、保護石に囲まれていたが上部が欠けてコンクリートで一部補修されていて、街中なのにICタグは無かった。点の記では明治20年設置、昭和42年移転とあり、歴史館(小牧城)設置時に写したと推定される。回り込んで100円払って歴史館へ入る。この建物は昭和43年に名古屋の事業家平松氏が鉄筋コンクリート4階の模擬城を寄贈したもの。入口付近でボランティア解説を聞いていたら、小牧は犬山を頭部とした木曽川扇状地の一画で、小牧山だけ花崗岩が突出した特殊地形とか。4階の展望台からは濃尾平野が360度見渡せた。入口付近の巨石は信長築城時の物らしいが、ほとんどは小牧・長久手合戦時に家康が再構築したものらしい。歴史を感じつつ東遊歩道の一部を辿り青年の家上部に至り小牧山稲荷へ戻った。登りに気付いた稲荷奥の「小牧山初里姫竜王大神」に立ち寄ったが案内板は無かった。名前から水の神様かと推察したが帰宅後WEB検索したがヒットせず祭神は不明で残念。

 

ミニ登山? 白山と御殿山

 投稿者:GG-  投稿日:2016年11月22日(火)20時53分3秒
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  10/31 白山 (通称米田白山)   273.7m  3等三角点

 体力回復に数日散歩をしたがやはり物足りなくて正月のクラブ山行の再々下見の積もりで出かけた。一の坂の登山口手前に数本の四季ザクラが有って少し咲いていた。白山展望地から前回同様鉄塔に立ち寄ったが展望は無くてすぐに通過。体調に気を付けながらゆっくりと登ったせいか息切れも無く馬の背岩に到着した。曇天で被写体も乏しい。見晴らし岩に挑戦しようと南面の踏み跡へ入ったが自分には厳しくて登山路側から登った。前回は先客が居たので白山槍から眺めたのみだったので満足。数人のスペースは有るがこの日は誰もおらずミカンを食べて小憩を取った。白山三角点の北側は少し伐採されていて展望があったが、前回も同様だったか記憶になかった。前回通らなかった尾根道に夕日ヶ岩と言う岩場があり展望地になっていた。曇天に立ち寄っても意味が無いので白山展望台はパスしてジグザク道を下った。地形図の標識のある下山道分岐から7分程で前回下った沢筋の道分岐に到着。随分昔に通った駐車地への道は登りがシンドイので前回はパスして沢筋から第三Pへ向かったが、時間も有るのでゆっくり5分程ジグザクシ道を登り尾根に達してから下ったら記憶の残る「まどろみの広場」の芝生地であった。そこから階段続きの道を下って駐車地へ戻った。

11/06  御殿山    559.0m  三角点なし

 10/31に続いて世話人会前にと下見の積もりで出かけた。
 2015/3月にF氏に同行した時は平木山から回遊したが、今回は鳥居からの正規ルートで白山神社を目指した。クラブ山行時は白山から移動するので、ナビタイムの時間・距離のチェックをと下米田のさくらの森へ立ち寄り石神・地蔵峠経由で計測した。28分・15㎞で少々違いは有った。
 御殿山まで500mの案内板を右に見て鳥居が思っていたより小さくて驚きながら潜り登山道へ入る。整備された道なので歩きやすい。稜線に達して最後の急坂を登り石段を登ると白山神社の小さな祠。お参りをして脇から祠背後の山頂に立ったが沢山括られていた山名標識は残されておらずスッキリ。岩場へ移動して小憩。何度も見た光景なのでカメラを向ける気も湧かず、巻道を辿り休憩舎から下り尾根道を550m峰へ向かう。こちらは標高差30mだが、神渕峠490mまではピークから60m標高差の下りで記憶より急傾斜となっていて道も小枝が煩わしい。
 神渕峠の地蔵を撮り、神渕峠からの下り道を一度歩いてみたいと思った。クラブ山行では平木山は峠到着時間をみてとしていたので今回はカットし下山した。峠からの下山道は倒木が多く山行日も難渋するかもしれないと思われた。
 山行日は駐車地から上甘屋・中甘屋・一文坂・大洞経由で伊深へ出て関へ戻る計画のため偵察を兼ねて伊深までこのルートを久々に走った。
 

散歩を兼ねて三角点巡り ②

 投稿者:GG-  投稿日:2016年11月22日(火)20時28分35秒
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   わざわざカキコする程の内容でもないし、歳のせいか面倒になってしばらくこの欄の追記もご無沙汰でした。一応メモっておいたのでいささか旧聞を纏めてUPしますが、これは自分自身が忘れない為なのでお許し下さい。

10/29 谷迫間地区
 錬成館前からスタート。田舎道を進み大清水の溜池の長閑な光景を眺めてから、コースを外れて点名下切へ向かう。バイパスを横切った西の鉄塔ピークへの斜面を木に縋りながら登ったが雑木林の細尾根には三角点は見当たらず、地形図で再確認して尾根を東へ進む。最高点から北へ少し下った雑木林鞍部付近に3等三角点下切149.1mが有った。灌木の小枝に隠れる様で注意しないと見過ごしそう。東間近にグランドが見えたのでヤレヤレと下ったが、ネットが頑丈に張られていて入れず外周をぐるりと大きく回って工業団地グランド交差点へ出た。歩道を下り左折してバイパスを潜り珍しい屋根付き鳥居の北野神社を参拝後、坂戸地区へ出て「とれった広場」脇の三角点を探す。4等三角点高坪82.1mは水路脇のコンクリート構造に埋められた金属製で杭も折られていたので余程物好きしか気付かない存在だった。可児高校への坂道途中の延命地蔵に立ち寄り駐車地へ戻った。

11/01 西可児地区
 可児市のマップは帷子公民館を起点にしているが、団地内歩行はつまらないので目的地の薬王寺を起点とした。お参りしてヒメコウホネに向かう道沿いに標識板が有り、「さんぽみち きつつきコース→」が山側に向かっていた。この日の目的三角点は寺背後の山なのでそこへ行けるかもと整備された遊歩道を進んだ。緩やかに北へ登り稜線に達しゆるゆる南へ登ったピークが遊歩道の分岐になっていて、脇に3等三角点薬師33.4mが有った。白杭や保護石が有るのに三角点頭部はかなり欠けていて痛々しい。点の記は薬王寺の所有地で明治38年設置と記されている。東へ少し下ると木製の立派な展望台が設置されていた。愛岐ヶ丘団地へ下り立ち、長洞交差点の先の三角点探しに向かう。三角点は山頂部との先入観に囚われミニ団地西端の135.8mピーク(地理院地図計測)付近をヤブ漕ぎしながら探索したが見当たらず。樹林の中に数個の石が並ぶ山神様を見つけたが今は忘れられた存在だろう。地形図を取り出して三角点位置が違っている事に気付き、ミニ団地北端の道路と下に見えた貯水池境を何度も探したが点名小林は発見出来ず断念した。
 長洞集落で青空と柿の美しい光景を眺め、光陽台へ廻り東帷子地区古瀬へ下り4等三角点五反田107.7mへ立ち寄る。田圃脇の草むらに白杭が見えたので付近をストックで突いて感触の有った場所を掘りコンクリートに囲まれた金属製三角点を発見した。三角点小林探索のロスタイムが20分程有ったので疲労感が増した。

11/02 未発見に終わった小林三角点が気になり帰宅後点の記で調べたら、何度も探した公園内北端に位置する事が判明。翌日に再調査に行き、ストックで該当地付近の草の上から突いて反応が有った場所を持参した園芸スコップで三角点を掘り出した。白杭も保護石も無く草の下から現れた三角点は金属製のコンクリート柱であったが、4等三角点小林128.3m発見を喜んだ。

11/04 久々利・我田田園地区
 距離が短いので設定ルートより大回りとした。ふれあいパークに駐車して地形図の酒井表示脇の風情の有る道へ入る。文化7年と刻まれた地蔵の頭部に4番と刻まれているので近くに地蔵巡りの場所が有ったと推定されるが?。竹藪鞍部を越えたら左手に稲荷神社、長い石段の上は津嶋神社。折角なので石段を登り神社背後の尾根に立ったが展望は無く、地形図は公園東へ続く尾根にになっていた。県道を横切り東明小学校から流れる子供達の歌声に郷愁を感じつつ公園間近に戻った。同じ道路歩きはつまらないので堰堤脇に階段がが有ると信じて進んだら偽木の階段が作られていてショートカットを喜んだが、公園境は胸丈のフェンスが張り巡られて進入出来ず、フェンスに掴まっての周遊を強いられてしまった。公園へ戻りこの日唯一の三角点を探す。何度も歩いている外周道路内側の芝生内に有ると地形図で読めたが、白杭も見当たらずしばらくキョロキョロ。生垣脇の芝生にコンクリート枠が見えたので表面の芝生を手でむしってコンクリート柱を掘り出した。4等三角点一ツ岩145.3mは埋もれて誰も感心を持たない不遇の存在だった。名前の由来と思われる岩も見当たらず造成されたグランド内に有ったのだろうか?。

    
 

散歩を兼ねて三角点巡り

 投稿者:GG-  投稿日:2016年10月27日(木)18時42分9秒
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   9月は中旬以降悪天続きで山行機会が無く、10月に入ったら日頃の不摂生が祟り短期間ながら入院と自宅静養となってしまい体力も落ちてしまいました。
 このままでは山へ行けぬと秋空の戻った今週から散歩で体力造りを始めたものの、1時間程でも弱った足は筋肉痛になるお粗末さです。

 可児市の制定したウオーキングルートに、楽しみをとルート近くの三角点探しの遊びを加えてみました。

10/26 点名 奥山 200.0m
皐ヶ丘住宅外周道路から50m程雑木林を入った場所に有りました。点の記ではS56年設置、H3/7移転となっているので団地造成前は文字通りもっと奥山に在ったかもと想像しました。200mジャストの標高にひかれましたが展望ゼロ。

10/27 点名 今 160.3m
ウオーキングルートを外れた清水ヶ丘6丁目南端から雑木林に分け入り北姫財産区のフェンス際に有りました。集落名が点名なのに今集落からはかなり離れているので意外でした。こちらも展望ゼロ。

 

山の話と播隆さん 

 投稿者:GG-  投稿日:2016年10月22日(土)17時59分59秒
  今年も播隆忌に因んだ小松屋の夕べの講演会が昨夜開催されたので出かけて来ました。

馴染みの伊吹山に関する「伊吹山おもしろ学」と題して高橋先生から多岐に渡る興味深い話が続き時間を忘れる程でした。

 

小説 燃ゆる山脈

 投稿者:GG-  投稿日:2016年10月19日(水)11時19分39秒
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   9月に信州での播隆さんの足跡の一部を訪れた際に関心を抱いた飛州新道について検索していたら、標題の新刊本にヒットしたので買い求めました。
 飛州新道開削の経緯などフィクションながら概要が掴め、播隆さんはチョイ役で登場していました。帯封に期待する程の読後感は湧きませんが、江戸末期の上高地の姿を想像するだけでも楽しいものがありました。
 小説に登場する鍋冠山から大滝山を経る旧街道の登山道を辿り、いつか蝶ヶ岳へ行ってみたいと思いました。

地図イラスト 本誌から借用

 

播隆さん名号碑巡り 玄向寺 平福寺 大日堂

 投稿者:GG-  投稿日:2016年 9月26日(月)21時07分50秒
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   9/25にネットワーク播隆さん主催による第3回名号碑巡りが企画されたので参加させてもらいました。
 太田宿中山道会館前の駐車場に集合してリーダーの黒野先生を含め15名がレンタカーで出発。メンバーは岐阜、各務原、犬山など多方面からで未知の人ばかりでした。 松本ICから市内を横断、松本駅東口で播隆さん銅像を背後から望み郊外の玄向寺(1561年開創の古刹)へ到着、彼岸参り決願の日とかで多忙の中副住職に迎えられました。
 まずは天保11年(1840年)建立の名号碑高さ135㎝と槍ヶ岳開山100年を記念して昭和初期に作られた播隆像を参拝、ここの石像は長い草刈り鎌を持っておられ初登頂の苦労の象徴だとか。碑前の石は槍ヶ岳を模していて、碑や像は槍ヶ岳方向を向いていると言われたが、実際は常念岳の陰で見えないとか。碑の前で副住職に続き十念(なむあみだぶ10回)唱和。貴重な体験をしました。玄向寺は播隆さんが笠ヶ岳再興後槍ヶ岳開山を決意し、飛騨側からの登頂困難から文政9年(1826年)に立禅(りゅうぜん)和上を訪ねたとも伝えられた信州側縁の寺なので興味深い場所でした。本堂に案内され、右手に名号軸、左手に槍ヶ岳登頂報告の播隆さん直筆書面(三昧発得記 天保5年8月 普段は公開しないが今回だけ特別に)、正面に位牌(往時は揖斐川一心寺の僧侶との往来がありその縁で。)が飾られていました。ここでも副住職による播隆さんと今回参加者の家族の為に十念唱和。今年23回目の播隆上人追慕登山の話や資料を頂きながらお茶の接待を受けました。稲田越しの常念岳を撮り副住職の見送りを受けて寺を辞し安曇野へ向かいました。
 道の駅ほりがねの里で休憩後、旧三郷村温(ゆたか)の平福寺へ向かいました。この寺は高野山真言宗の寺で、創建は寺伝によると長徳年間(995-99)であるとか。その後隆盛したが室町末期戦国の世になると戦火に見舞われ堂宇を焼失したが、天正三年(1575)武田勝頼によって再興され、江戸期には松本藩主の祈願寺として厚く信仰され、藩主が祈願に訪れるとともに、歴代の住職が松本城に登城して祈祷をつとめてたとか。この多くの建物は、明治五年(1872)廃物毀釈により観音堂を残して処分され廃寺となったが、同十八年(1885)観音堂を中心に再興されたとWEBに載ってます。観音堂から南へ石仏の並ぶ参道が続き仁王門手前に名号碑高さ150㎝が有り参加者の長老に倣って般若心経を唱えての参拝を終えました。
 名号碑巡りの最後は大日堂、名前から小さなお堂だろうと想像していましたが、南小倉の駐車地から山へ向かって急坂を喘ぎながら登り、獣害除けのフェンスを越えた植林内にやや新しいお堂が有りました。お堂手前右に48㎝の小さな名号碑が有りました。ここでも般若心経を唱えての参拝を終えました。播隆さんは大日堂の横から登られたと聞き植林の作業路に往時を偲びました。大日堂から鍋冠山、大滝山を目指し、蝶ヶ岳、槍沢を経由して槍ヶ岳へ向かわれたので、飛州新道のルート図や播隆さんの辿られたルート図を知りたいと検索したら穂刈康治氏の講演資料にヒットしましたが図面が不鮮明で残念でした。
 駐車地近くのリンゴ園で休憩後松本ICから帰路につきました。個人では行けない遠隔地で里の播隆さんの足跡や槍ヶ岳開山を偲ぶ良い機会となりました。

 

個人山行 日影平山・カブト山・大尾根

 投稿者:GG-  投稿日:2016年 9月12日(月)16時18分25秒
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   天気予報は9~10両日は良さそうだったがそれ以外は悪天予報。残暑も続き涼しくて楽な山を探していた時、数年前クラブ仲間から聞いていたカブト山を思い出しました。起点の乗鞍青少年の家の標高は1500mもあるので涼しいだろうし、カブト山周回ルートも起伏は少ないし、8/21のクラブ中止山行丸黒山で日影平山までくらいしか登れないだろうと話していたのもここを選んだ理由でした。短時間で済むのでもう一座をと付近を探し、牛首山や六方山ではつまらないしと地形図を見ていたら、林道が間近に迫っている2等三角点無名峰を発見、点名を調べて検索したら「大尾根」と言う山名で数例がヒットしました。どうせなら未踏の山へと計画に組み入れみのハイクの仲間を誘って9/10に出かけて来ました。
 美濃市で合流し予定時間前にスタート。早くもひるがのSAは混雑の表示で松ノ木PAで休憩後高山西ICで国道へ出てナビに導かれ高山市内を抜けて乗鞍青少年の家へ着きました。駐車場で準備を終え乗鞍青少年の家に立ち寄ったら、職員から「丸黒山ですか?」と聞かれたましが「とても体力的に無理なのでカブト山へ」と笑いながら答えました。
 事前に展望台位置を調べておいたので、まず第一展望台に立ち寄りました。快晴の中に薬師岳から前穂高岳まての北アのパノラマが拡がり感動、笠ヶ岳が秀麗な姿で聳えていました。笹の切り開き道を進んで第二展望台にも立ち寄り、境界調査の道を進み1533m峰西で登山道へ合流しました。日影平山は1998/7に丸黒山の帰途に立ち寄っていましたがルートの記憶は失せていました。日影峠から急登を終えた台地の先端に日影平山1595.3mの山名標識と三角点が有り、周辺の白樺林が日を受けて美しい光景でした。
 峠へ戻り標識に導かれ僅かに登ったら東屋の立つ御嶽見晴台、南面が切り開かれて山頂部に雲が懸かるも噴煙の御嶽山が望めました。東屋で休憩後カブト山まで3ツのピークを越えなければと話しながらスタート。樹間の登山道の起伏を繰り返しスキー場に出ました。荒れた斜面はパノラマコースの急坂で南側の日陰を選んで標高差40mを登り詰めたらかもしかリフト終点の平坦地でした。WEBではここがカブト山1545mとされていますが北アルプスの展望図板は有るものの山名表示は何処にも有りません。登り詰めた斜面から振り返ると乗鞍岳が雄大でした。平坦地南面の削り残したピークが山頂かもと微かな踏み跡を辿ってみましたが展望のない樹林でテープも標識も無く、三角点の無い山は充足感が湧きません。かもしかリフト終点付近で白山を眺め甲羅乾しをしながらランチタイムを終えました。乗鞍青少年の家のHPマップでは1545m標高とされていますが地形図は1540m等高線で地理院地図計測しても1545mは出ませんでした。マップに従ってパノラマコースの斜面を下り、途中右の樹林への道も見られたが案内に従って下りました。1380m標高まで下り又白樺ゲレンデリフト終点1490mまで登り返し、仲間はゲレンデを直登されたが林間コースの日陰を迂回して途中からゲレンデへ出ました。ペアリフト終点の建物陰で休憩後平坦路を僅かで乗鞍青少年の家へ帰着しました。
 靴はそのままで大尾根に向かい、県道から分岐して200m程の丹生川との境の峠から林道支線に入りました。WEB情報では林道が荒れ模様で美濃加茂から・・氏は分岐から歩いておられたので、計測2㎞を歩く計画にしていました。ところがなんとか行けそうに見えたので時々左右からの草葉に車を擦りながら走りました。林道はポンコツナビに出て来ないので左からの林道合流点を誤認し結果的に「大尾根」北東の1450m付近まで行って立ち往生。進行出来ず狭い林道で繰り返しハンドルを切って方向転換し駐車しました。道が下っているので山頂遙か手前の1420m付近かと誤認して歩き始めたがすぐに林道は行き止まり、途中の分岐らしき所も林となっていて林道が自然に還ったのかもと断念しUターン。又リベンジの機会でも有ればと心残りながら「大尾根」は諦めて帰る事にしました。
 300m程戻った三叉路の光景が記憶に有り、持参したWEBコピーと現地の光景を比較し、仲間にも見てもらいここが登山口に違いないと判断出来ました。路傍の立木に古いリボンが残っていて薄い踏み跡も見えて進入、僅かな距離に二つのコブが見え右手の高そうなコブへ進んだら北の若い植林帯との境界に苔むした三角点(点名新谷)大尾根1478.3mを発見しました。山名標識も保護石、白杭も無く、ICタグも無い三角点標石の北に白い測量杭残骸が倒れていました。展望は植林の間に僅かしか無く、狭い空間で写真だけ撮って早々に車に戻りました。これで心残り無く三角点詣でを終えられて、WEB情報の有り難さを実感しました。
 林道支線入口まで2.1㎞で事前に地理院地図での計測2㎞と大差はありませんでした。三叉路まで車で行けたのはラッキーで、緩やかな登りが続いていたので計画書の歩行時間では三叉路到達も困難だったと思われました。
 道の駅ななもりでコーヒータイムを終えて渋滞も無く帰着出来ました。お付き合い願えた仲間に感謝です。

写真 ①第一展望台から  ②日影平山  ③カブト山から大尾根方面

 

個人山行 木曽駒ヶ岳・茶臼山・将棊頭山

 投稿者:GG-  投稿日:2016年 8月31日(水)11時17分31秒
編集済
   木曽駒ヶ岳は2009年に木曽前岳・伊那前岳と合わせてへ登って以来久々。PCで山行履歴を保存している1994年以前かと思われますが、木曽駒ヶ岳から馬ノ背を経て遭難記念碑まで行き濃ヶ池経由で戻った事は有るが記念碑以北は未踏でした。
 木曽山脈の範囲については諸説あり、最も広い範囲は経ヶ岳から大川入山とする考え方で全長約65㎞になる。狭くみると大棚入山(又は権兵衛峠)から摺古木山(又は大平峠)までの約35㎞とする意見もある。そのほか南の範囲を恵那山までとする有力な説もある。また、更に南西に延ばし、矢作川水系の上村川を越えて三国山までとする考えもあるらしいが、権兵衛峠からとすれば茶臼山や将棊頭山が北端とも考えられて何時かはと思い続けて来ました。2010年頃から西駒山荘泊での構想を抱いていたが天候都合や山荘改築の1年休業などで機会が訪れず、体力も衰えラストチャンスかもとみのハイクの仲間を誘って過日出かけて来ました。
8/25
 盆過ぎの平日で混雑もせず臨時バスに乗りしらび平からのロープウェイも順調に乗り継げてヤレヤレ。気温18.8度の駅を抜けると青空の下に宝剣岳が仰げ何度見ても素晴らしい光景です。乗越浄土まで一気に登れた時期もありましが2回も小憩を取らねばならず前途多難を感じました。八丁坂を登る頃からガスが舞い始め乗越浄土はガスの中、ガスの天狗岩を眺め中岳を経て登山者で賑わう木曽駒ヶ岳山頂2956.1mに到着。昼食時はガスの切れた時に宝剣岳方面が見える程度で展望は適わず残念でした。
 又の機会は無いかもと二つの駒ヶ岳神社を拝した後、馬ノ背の下りは完全にガスの中、頂上小屋分岐を過ぎてからは早くも疲れが出てペースダウンで仲間に遅れ、紅葉が始まったウラシマツツジやチングルマの綿毛、真っ赤なナナカマドの実等に癒されるも、岩稜の下りは厳しく濃ヶ池分岐までにノンストップながらコースタイムの倍も要してしまいました。濃ヶ池分岐からは人も途絶え、ガスの遭難記念碑を懐かしく拝してゆるゆると登りました。西駒山荘へ既に荷を下ろした仲間に将棊頭山分岐で迎えてもらい、翌日は巻道で茶臼山へ向かう予定であったので遅れついでにと将棊頭山に向かいました。ガスのハイマツ帯を抜けたら低い岩峰が有り標識は無いが、何やら刻まれた石柱や国有林標柱らしき物が立っているので山頂かと思い込んで写真を撮り、北側に高い岩峰が見えたがまさか山頂と思いもせずUターンして山荘へ到着しました。玄関前の温度計は14度を示していました。2014年に改築された山荘は真新しく快適で一人一組の布団を与えてもらえました。食堂で休憩中に先客から将棊頭山の正確な位置を知らされ我々の誤認に気付き、翌日のリベンジとなりました。
 夕食は「山荘名物 宮下管理人手作りの西駒ンカレー、名水・天命水が味の決め手」とHPに記載されたカレーてした。これは定番だからと懐かしく食べていたら、途中で管理人から説明が始まり、「水質汚濁防止で皿をキッチンペーパーで各自綺麗に拭いて下さい」と。食後馴れぬ手付きで説明板を読みながら始末させられました。食後管理人の撮影ビデオが有るとの事で食堂で解説を受けながら見て、TV番組「小さな旅」にも登場したそうで締めくくりはそのDVDでした。汗にまみれた身体は気持ち悪くシャツは着替えたものの寝苦しく、8時消灯後しばらくでウトウトし始めたが時々足が痙攣しそうになり翌日が心配でした。

8/26
 午前3時過ぎ外へ出たら下弦の月と満天の星が輝いていました。ご来光は5:10と聞いていたので4:30に起床し山荘間近な岩峰「将棊ノ頭2700m(等高線)」へ薄明の中、岩を縫って数分登りました。将棊頭山と紛らわしい名前ですが地形図は無名峰、WEBでは尾根先端とする記載も有りますが山荘に記して有るのは最初の岩峰です。先客は前夜の会話でほぼコースタイムで歩けると言う健脚のオッサンだけで高級カメラで連写しておられました。挨拶を交わし刻々変わる色彩の南アルプスや中央アルプスの光景、雲海や滝雲など久々の光景に興奮しました。ヤングが一人到着しこの絶景を堪能したのは3人のみでもったいない事でした。鮮やかな色彩の雲は八ヶ岳付近でしたが、ご来光は教えてもらっていた通り八ヶ岳と甲武信岳の間に出ました。南アの彼方に富士山の頭部が見え山荘のパノラマ写真を見たら左前衛は西農鳥岳でした。北方に薄く槍・穂高も望めました。山荘に戻って見た温度計は10度。5:30からの朝食は圧力釜から各自茶碗に盛り、味噌汁も。定番の焼き海苔の他おかず少々にとろろ汁。ふと気付くとクラシック音楽が流れていて北穂山荘を思い出し、窓外からは朝日が射し込み爽快な気分になれました。
 将棊頭山のリベンジルートを管理人に確認したら、尾根上に冬道が有るがハイマツ帯にテープが無いと判りにくいし登りもきついので茶臼山のピストンを終えてから前日のルートをと勧められました。弁当やお湯、着替類などは隣の石室に置かせてもらい荷を軽くして6:13スタート。
 桂小場からのルートはロープウェイ開設以前のメインルートだったらしく、将棊頭山の東山腹を巻きながら緩やかに下りましたが、登山道脇のハイマツや樹木は朝露に濡れていて露払い役を仰せつかった自分は早くも下半身ベタベタになりました。30分程で分水嶺と称する2600mの砂礫地に到着。北に御嶽山、西は大きな谷を隔てて木曽駒ヶ岳や麦草岳、尾根の先は行者岩が聳えその先の丸い頂きが茶臼山、憧れていた光景を現実に眺めて感動でした。少し下ると胸突八丁ノ頭でここから茶臼山へはメインルートでは無いのでコースタイムはWEB情報だけ。左の尾根樹林の中に入り数分の気象観測施設の砂礫地を抜けると又樹林帯の中へ入り行者岩までは60m標高差の登りとなりました。樹林を抜けたら仰ぐ様な巨石群で基部に行者岩(2658m)の標識、赤ペンキに導かれ左側を僅かに登ったら岩峰下の標識に着きました。小憩を取り標高差も少なく指呼の距離の茶臼山は空身で向かいました。樹林の山頂かと思っていたら樹林を抜けた茶臼山山頂2652.8mは岩場と祠が有り大展望の地でした。北の雲海に浮かぶ槍・穂高連峰等の展望も楽しめました。WEBに行者岩との双耳峰と呼ぶべきかとの記載を見ましたが、地理院地図も行者岩の右に茶臼山と記されています。山荘管理人の前夜の話では国内に数多い茶臼山の中での最高峰とか。帰宅後日本山名総覧を見たら46座有りトップの城山は276座で茶臼山は12位となっていました。名残を惜しみつつUターン。分水嶺まで戻りリベンジの将棊頭山へは管理人の忠告も有りましたが展望の無い巻道より尾根コースの冬道を行く事にしました。最初の岩峰は2646m地点で展望を楽しみつつ辿りました。ハイマツ帯や砂礫の中のルートを探しながら登り詰めたケルンの立つ岩峰に白杭が立っていてマジックで将棊頭山(2730m)と記してありました。残念ながら早くもこの頃よりガスに覆われ山頂からの大展望は期待外れとなりました。ハイマツ帯を下ったら前日山頂と誤認した岩峰は間近で、この日は前日遊んだ天水岩に気付かず西駒山荘へ到着し、朝食も早かったので石室内で風を避け早めの昼食を摂りました。
 時々ガス巻かれる道を戻り、前夜の解説で遭難記念日が週末だったと聞いていたので碑前で合掌しました。帰宅後改めて遭難事故を検索したら、103年前の8/26に中箕輪尋常高等小学校の学校登山で木曽駒ヶ岳に登山、暴風雨に遭い翌27日にかけて、伊那小屋(現在の宝剣山荘)から行者岩の鞍部にかけての山中で、赤羽長重校長以下11名の生徒らが死亡した遭難があったとありました。20分程下った木曽側からの風が心地良い尾根で小憩、ガスの晴れ間から茶臼山や行者岩が見えて何時までも残りたい気分でしたが前途は長くスタート。濃ヶ池分岐からしばらくは平坦な巻道なので疲れも覚えず進みカール地形の岩場を下ったら濃ヶ池の畔でした。ガスで「逆さ宝剣」は見えず、池の近くにホシガラス、池の南を進んでいたら対岸斜面に野猿の群れが見えました。登山道脇に祀られた女性像は何なのか不思議だったので、帰宅後検索したら雨乞い伝説の女性で濃ヶ池の名前の由来を初めて知りました。濃ヶ池を過ぎてからの道は坦々としていましたが岩場が多く疲れが増し、薄い伊勢滝ルートを左の谷に分けると傾斜が増して来ました。ガラ場を渡ると道は右上斜面に向かい木製梯子を登る登山者が見えました。過去の記憶は消えていてこんな急斜面を登ったかなーと思いながら進み、二つ目の梯子を登り板橋状の道を過ぎると駒飼ノ池が有るカール地形に到着。標識は有るが埋まってしまい小さな流れが見えただけでした。天狗山荘は見えるものの疲労困憊状態でピッチは上がらず、槍沢の急坂に似た光景の中をヨタヨタの喘登を終えてやっとの思いで乗越浄土に到着し最後の休憩にしました。ガスが切れて和合山や宝剣岳、千畳敷カールが見えました。当初計画では宝剣山荘で昼食を摂ろうとしていたのに、今や最終ゴンドラ17:00にギリギリの時間となっていて、八丁坂を下り始めても岩の続く道は慎重にならざるを得ず、ヨタヨタ歩きで又々仲間に遅れてしまい、なんとか終発前に千畳敷駅に到着出来て先着の仲間と御礼の握手を交わしました。
 18.5度を示していた駅は最終便なので乗客もやや余裕でスタート、最終バスに連絡していて萱の台BCに戻り長旅が終わりました。こまくさの湯で汗を流し、夕食も終えてノンストップで美濃加茂へ戻りました。
  体力が無くて随分迷惑をかけたのに付きあって頂いた仲間達に感謝です。

写真 ①茶臼山山頂  ②茶臼山から下山途中 行者岩と木曽駒ヶ岳 ③ガスの将棊頭山山頂

 

奥三河低山散策 大栗山・月ヶ平・井山

 投稿者:GG-  投稿日:2016年 8月18日(木)18時35分36秒
編集済
   稲武の大栗山は地形図に表示が無く三角点も無い山ですが、2012/11/16に城ヶ山(夏焼)・月ヶ平・城ヶ山(中当)を巡った時に標識表示を見て、どんな山かなーと興味を抱き、月ヶ平を終えてから札場峠に駐車して1038m標高点まで訪れていました、

 過日NHKのローカルニュースで大栗山のオオキツネノカミソリが満開近しと報じていたので、好天予報に誘われて8/16に野次馬精神で出かけ、猛暑の中ですが折角なのでついでに超軽い山を二つ徘徊する予定としました。

 報道のせいか県道80号沿いの路肩Pはほぼ満車状態、群生地まで600mと記された大きな案内看板の横から植林内の作業路へ入りました。野次馬のご同類やカメラマニアがそこそこ訪れていました。観察小屋で協力金を払うと、すぐ北側の急斜面が見事な群生地となっていました。ロープが張られて周回できる様になっていて、東側の斜面を登りながら花の写真を撮りつつ進み、上端の大栗山の標識からひと登りで大栗山915mの標識の立つ記憶の鞍部に到着しました。その西のマウンドが大栗山と推定されますが、2012年にも標高がおかしいと気付いた場所で、帰宅後地理院地図計測をしたら961mと出ました。(標高の誤りについて後日一帯を管理しておられるボランティア団体「城ヶ山景を愛する会」のHPから入って再調査を依頼しましたがここでも無視されるかもしれません。WEB上の標高記録が915mとされているのが多いのも疑問です。)

 ピークでひと息入れて札場峠へ向かい、峠から標識に導かれて急な植林斜面を少し登れば緩やかな起伏の尾根道となり、前回辿った林道からの斜面は何処だったかなと思いながら進んら尾根道の屈曲点に標識と月ヶ平938.1mの三角点がありました。写真だけ撮って早々に下山し、林道月ヶ平線を下って行くと左の作業路からオオキツネノカミソリ鑑賞を終えたグループが現れました。
 駐車地から県道を車で登り面ノ木園地の駐車場へ到着しました。前回「井山」を訪れた時は舗装道路を山頂近くまで車で入りましたが、入口に「私有地無断立入禁止」の大きな看板が立っていたので今回は遠慮して歩く事にしました。入口に井山牧場入口の標柱が有り、かっての姿が偲ばれます。左手に木製の登山道入口が有った記憶ですが、草に埋もれたのか今回は気付きませんでした。朝は晴れていたのに曇り空になっていて、屈曲した舗装道路をゆるゆる登って行くと牧場跡の高原となり、3基の風力発電鉄塔と電波塔が迎えてくれました。管理人がいるかもと遠慮したのに無人でした。井山展望台標識の先の草地の台地頂上には横木のベンチが沢山横たわっていました。360度の展望に満足しながら標高1195mの涼風を浴びて休憩をとりました。下山は往路の舗装道路ではつまらないので、地形図に載っている旧登山道を歩く事にしました。休憩舎に立ち寄り東端の風力発電塔から作業道の痕跡を辿り、1160mの台地まては道の名残りが有りましたが、面ノ木峠へ向けての東斜面はススキが生い茂りヤブ漕ぎ状態となりました。樹林帯に入ったら尾根の踏み跡は途中で途切れて峠から最初の大カーブで舗装道路に出ました。
 駐車地へ戻り着替えて「道の駅アグリステーションなぐら」に寄ったら、今年も案山子コンクールが開催されていて微笑ましい光景がありました。お盆休み最終日のせいか道の駅は満車状態、ここで昼食を摂る予定で店内へ入ったら満員で早々に退散しました。

写真 ①大栗山のオオキツネノカミソリ
   ②月ヶ平山頂
   ③1160mの台地から井山
 
 

クラブ山行 瓢ヶ岳登山道整備 1162.6m

 投稿者:GG-  投稿日:2016年 8月14日(日)11時01分3秒
編集済
   お世話になっているみのハイクが例年6月第一日曜に実施する瓢ヶ岳の登山道整備を兼ねたクリーンハイクは本年は雨天中止となっていました。今年から8/11が山の日として祭日となり、この為に意義の有る行事を行えないかと6月世話人会に事務局から提案が有り、中止となった登山道整備を復活させようと計画されました。

 盛夏の事で敬遠されたのかいつもより少数でしたが8/11に行われたので参加して来ました。関市役所駐車場の清掃を早めに切り上げて中美濃林道登山口へ移動しました。今回は夏場の事なので極力体力を要しない作業とされ、中美濃林道口からの入山でした。毎度の事でピッチは上がらすヨタヨタ歩きで最後尾グループを行き、宮奥林道コースと合わせ1150mピークでひと息入れました。先発グループは休憩が済んだのかここから6台の草刈り機を駆使した作業が始まっていてエンジン音が響いていました。奥瓢ヶ岳1165m付近の笹は綺麗に刈られていて南に見下ろす今渕ヶ岳の北面は植林伐採が進んでいて林道等を含め痛々しい光景が望まれました。刈り残しの笹を手作業で刈りながら進んで山頂への催促コールに急かされて到着したら、山頂広場周辺も笹が刈られていて記念撮影と休憩となりました。作業を再開しながら骨ヶ平へ向かいましたが、久々に辿った道は笹が覆い被さる様に繁り機動力を発揮して作業が進んでいました。毎度の事ながら草刈り機を使う機動部隊の仲間には頭が下がります。骨ヶ平の緑陰で昼食を摂り、例年は此処から南岳へ作業をしたが、今回はここで終了とされ下山しました。ふくべの森駐車地へ着いたら、骨ヶ平から先発された女性数名が接待係として冷えたスイカや飲料を準備して迎えてもらえました。感謝しながら東屋内で疲れを取ってからリーダー挨拶を頂戴して解散となりました。
 早朝からの清掃参加のみなさん、暑い中での整備作業に参加のみなさん、諸役のみなさんお疲れ様でした。

写真 ①奥瓢ヶ岳から今渕ヶ岳  ②刈り込み終わった奥瓢ヶ岳付近  ③瓢ヶ岳山頂

 

にゅう・稲子岳

 投稿者:float cloud  投稿日:2016年 8月13日(土)18時30分2秒
  こんにちは~、GG-さん。
にゅう山頂へのアプローチは少し違いましたが、
わがルートとほとんど同じなので、
期待と不安が交錯する気持ちが手に取るように分かりました。
読んでいて、疲れました~。
 

個人山行 ニュウ・稲子岳・中山

 投稿者:GG-  投稿日:2016年 8月13日(土)10時50分11秒
編集済
   今年の夏は8月上旬になってから天候が安定し夏山の季節となり、仲間達の遠征の噂もチラホラ届き、1ヶ月山へ行けぬイライラと長年の懸案を解消すべく分不相応の欲張った計画を立てて8/8に出かけて来ました。目標は八ヶ岳の一画、ニュウ・天狗岳・中山・丸山と巡り、稲子岳もぜひ加えたいとして、天狗岳は計画段階より中山峠での余力次第としていました。体力に自信が持てず同行者に迷惑をかけてもいけないので単独行としました。
 深夜割引を利用する為3:00に自宅を出て駒ヶ岳SAで朝食を摂り、諏訪ICからメルヘン街道へ向かい麦草峠を越えて白駒池の駐車場まで下りました。国道299号の南北に駐車場が有り、準備を終え国道を横切り白駒池と刻まれた大きな柱から樹林帯へ入りました。広い遊歩道は所々木道となっていて、標高差50m程の峠地形に高見石小屋への尾根道分岐、木道を下ったら朝日に輝く白駒池に到着でした。白駒荘周辺にはカメラマニアがチラホラ。池の周遊道を辿り「にう・稲子岳」の標識から狭い木道の登山道へ入りました。標識はにう・にゅうとこの後は平仮名となっていました。超スローペースで緩やかな斜面を登ると小さな湿原に出合い。樹林の中を暫くで稲子分岐、ここから傾斜は急になりました。休憩適地も無くゆるゆる登ると又稲子分岐、途中で出合った下山者から「今日のニュウは絶景」と言われたので楽しみに、分岐から暫くは平坦道で最後の登りにかかると樹間から青空が見えて稜線近しを感じました。辿り着いた稜線鞍部からは硫黄岳、天狗岳の連峰や山頂部が残念ながら雲に覆われた富士山が望まれました。ニュウの山頂は左手指呼の岩場のピーク、北側から回り込んで岩場の上に立つと三角点2352.2mが有りました。岩場の上でゆっくりと休憩にしました。鞍部で人声が届いていたのに20分程居た山頂は独り占めでした。北西方向は縞枯山から北横岳へ連なる八ヶ岳連峰、西は絶壁の上の中山や天狗岳、硫黄岳、浅間山や遙かな荒船山等久々にメジャーな山々の姿を眺めて感動でした。折角だからと三角点を前にセルフ撮影を終えた後に登山者が現れ退散しました。稲子岳は間近に見えマイナーな山ですが踏み跡有りの情報から直前に見たWEB記録を参考に訪れる事にしました。鞍部から僅かな尾根から切り立った岩峰のニュウを振り返り、情報通り現れた数段の鉄梯子の手前左手に見られた薄い踏み跡に不安を覚えなから10m程下った鞍部の東尾根に明瞭な踏み跡が見えました。展望の無い樹林帯の中の緩やかな起伏を進みましたが情報では何処が山頂か判らないとあったので、これかな?これかな?と思いつつ起伏を繰り返しました。地形図では2380m標高点は台地南端絶壁の上なので未だ先かと思いながら進んだら踏み跡脇の最後のピークに「稲子岳2320m」と記された白紙がビニールに包まれて立木に括られていました。しかし標高が2380mと違う?。樹林帯を抜けて断崖沿いに少し下り進んだらWEBで再々憧れていた絶壁上の砂礫地に出ました。天狗岳、硫黄岳が圧倒的迫力で見え、ここに「稲子岳2380m」の標識が有るのも不思議でした。ニュウで青空だったのにこの頃は曇、時間も来ていたので慌ただしく昼食を摂りました。案内標識も無いので砂礫地からの進行方向は微かな踏み跡を探し崖上の樹林帯へ入り、僅かな距離でコマクサの保護地とされる砂礫地帯に到着しました。期待のコマクサは僅かな株数だけで期待外れ。断崖上の砂礫が保護地で北側にロープが張られ横に踏み跡が続いていました。砂礫の踏み跡は下り始め樹林帯に入ると標高差50m程の急傾斜の道、ジグザクに高度を下げると苔むした庭園風の鞍部を抜けWEBで見た涸沢と思われるガラ場斜面に到着しました。この沢は地形図表示も無く赤ペンキも無いので沢の対岸のルートが判らずガラ場を少し登ったら右岸の立木にテープを見つけルートを確認後休憩しました。テープの先は心細い様な踏み跡を辿って登山道らしき道に出合いました。WEBの軌跡情報では2250m付近らしく、これがしらびそ小屋からの登山道らしいが標識類はありません。合流地点の上でロープが張られ、テープも見られた地点が正規の分岐点と推察できました。急峻なジグザグ道を喘ぎながら登ると「中山峠直下は落石注意」の看板でルートが確認出来ました。二つ目の鎖場を登り切ると中山峠2410mの標識。4差路となっていて登山者が行き交い稲子岳分岐以来初めて人に出会えました。稲子岳から中山峠まてのアップダウンで疲労困憊、時刻も遅くなり天狗岳は予定通り?断念し峠横の岩場で休憩後、地形図を確認し中山・にゅう方面の標識に導かれて稜線を緩やかに登って行きました。見晴らし台を経由する尾根は稲子岳の全容が見えたりしてのプロムナードでにゅう分岐2458mまで続きました。ここから中山までの標高差僅か50m程の岩々の登りに閉口、髭を生やした同年配のオッサンにアッと言う間に追い抜かれてしまいました。中山山頂は樹林の中に2496mの標識が立っているだけで達成感は湧きません。休憩を終えたら元気な若者達が北から登って来ました。少し下ると中山展望台で岩場の平坦地でした。持参した昭文社の登山マップでは中山から高見石小屋まで45分の下りとなっていましたが、これが大誤算となり標高差250m弱の道は岩のゴロゴロしたほぼ直線の下りで、疲労と万一怪我でもしたらとのヨタヨタ歩きが続き、途中で握り飯を囓る休憩を含め2:10も要してしまいました。下山道は誰にも会わず2249mの草地鞍部から僅かで高見石小屋にやっとの思いで到着出来ました。周辺は宿泊登山者がチラホラ、折角の機会なので疲労を抱えつつ高見石への岩場を少し登り時間に追われていたので中間辺りで断念し中山方向を眺めて下りました。丸山へビストンする元気も時間も無くなり、高見石小屋からは急坂覚悟で日没と競争になりそうで早く白駒荘へ着きたいとの思いから白駒池を目指しました。中山からの下り程では無いものの足場の悪い道が続き、傾斜が緩やかになると木道が続きポンと白駒荘の横に出ました。窓越しに夕食中の宿泊客を羨ましく眺め、白駒池の暮色を愛でつつ小憩後、最後の力を振り絞りながら駐車地へ向かいました。高見石小屋からは誰一人出会えず、ヘッドランプのご厄介にならずなんとか18:50帰着出来ましたが、駐車地は風が冷たく寒いので早々に着替えを済ませました。
 体力の衰えは予想通りで、バリルートの稲子岳に苦労し中山・にゅう分岐からは地獄の行進気分、予想外の悪路と疲労で長時間を要してしまいました。休憩を含め12時間程要しこんな事は遙か昔2000年に国見峠から伊吹山をピストンして以来の事、もっともその時のスタートは2時間遅かったので今回が自己ワースト記録となってしまいました。遠距離高速料金節約で深夜割引利用のため早朝スタート、深夜帰着。バランスが悪くて捻挫骨折も心配、ひとり歩きは気ままながら不安の連続で、長時間歩行で足は攣りそうになり、疲労を抱えた帰路の運転、とても後期高齢者がやることでは無いと猛省しているところです。

稲子岳の特異な地形が不思議で帰宅後検索したら下記の様になっていました。

稲子岳の二重山稜
西2列の断崖が山稜を形成することは極めて珍しい、この成因については諸説があるがもっとも妥当であると思われる説は、「稲子岳の東麓が大月川の泥流で大崩壊して支えを失い、大規模な地滑りをおこし稲子岳が東にずりおちた、西列の断崖はずりおちた時の断面」ではないか。

写真 ①中山峠への稜線からニュウ  ②見晴らし台から稲子岳  ③高見石中腹から中山

 

播隆さん名号碑巡り 御嵩・兼山

 投稿者:GG-  投稿日:2016年 8月12日(金)14時04分58秒
編集済
   ネットワーク播隆さんが主催される秋の名号碑巡りを申し込んだ直後、名鉄御嵩駅の観光案内所で『「御嶽宿」「伏見宿」サイクリングマップ 』を入手しました。その中に御嵩・兼山の9基の名号碑巡りが記載されていたので、8/7にサイクリングならぬ車で猛暑の中半日巡って来ました。地図を読みながらのオリエンテーリング気分でもありました。
 地図を手に回りましたが、地元でも播隆さんは知られていない様で名号碑場所を聞いてもご存知無い人がほとんどでした。マップ記載の兼山の専養寺は明らかな誤りで、住職もお庫裡さんも日蓮宗のせいか播隆さんそのものも知られませんでした。ここは隣接の浄音寺が正当でした。森氏の菩提寺で名高い可成寺のお庫裡さんも入口の大きな名号碑は気付いておられず、芭蕉碑の横の小さな名号碑を教えてもらえました。寺には播隆さんの記録や伝承は無いとの事でした。
 立派な名号碑が数多く残っているのは、播隆さんが往時地元で信仰を得ていた証(1830年代)と思われますが、今回巡った場所には案内や解説板も無く、人々の記憶から失われた念仏行者の様で気の毒な思いになりました。名号碑の年代は読みにくいが1834(天保5)年と読めた物が殆どでした。

ネットから
播隆さんは、長野県、岐阜県、愛知県など広い範囲で布教活動に力を注いでいます。
現在でも「播隆講」として続けられている所があります。特に兼山町を中心とした八百津町、御嵩町などは熱心に布教活動を行った所です。お堂の前やお寺の境内に大きな自然石に「南無阿弥陀仏」と刻まれた名号碑が立っています。播隆さん独特の書体ですのですぐに分かります。可茂地区には、美濃加茂市5基、八百津町13基、川辺町5基、七宗町2基、東白川村1基、可児市2基、兼山町7基、御嵩町9基の計44基の名号碑が確認されているとのことで、 播隆に対する、可茂地区の人々の篤い信仰心が感じられます。
念仏行者であった播隆ですから、名号とは「南無阿彌陀仏」。独特の書体で刻まれています。


 

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