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リベンジ 伊木山 宝積寺山

 投稿者:GG-  投稿日:2018年 2月15日(木)16時05分29秒
編集済
   好天予報がもったいないので、2/9にみのハイクの仲間と各務原市南部の超低山を徘徊した際に訪れた伊木山の熊野神社ルート、播隆上人修行場の再確認と、時間切れで断念した宝積寺山へのリベンジに昨日2/14に出かけて来た。(2/9の伊木山は時間節約で伊木の森から往復した。)

伊木山     173.0m  3等三角点
 熊野神社の位置がナビに出ず集落内でウロウロしたが散歩中のオバさんに確認して観音寺の広い駐車場に着いた。無人の寺らしい。参拝を済ませて東側の熊野神社参道を進む。山裾の神社までは緩やかな登り道となり多くの石灯籠が整然と鎮座していた。熊野神社の創立年月など詳細は市史などでも記載が無くて不明らしいが、現社殿もなかなか立派で古く感じられ山上には本宮跡があるので相当の歴史と思われた。
 神社脇の天神様から登山道が分かれ山頂まで500m、600mの標識が立っていた。地形図では3本の破線路に分かれる所。左手上に百度石が見えたのでそのルート500mをとった。WEBでは神社より奥の百度石なので本宮跡への参道だったらしいと記されている。この道はチャートの岩道に落葉が積もった直登となっていて、落ち葉がこなれず原型で残っているのは通る人が少ないのかも。右手の尾根方向は登山者なのか賑やかな人声がしていた。尾根に達して右からのメインルートに合流してすぐの所が本宮跡であった。播隆修行場からの合流点はもっと下だった様でオヤオヤと思いながら先に山頂へ向かった。山頂へ着いたら先刻聞こえていた賑やかな集団が休憩中で鬱陶しく、先日訪れたばかりなので挨拶だけして早々に退散し播隆上人修行場標識に従って下った。手入れされた道を下りキューピーの鼻からの道に合い先日訪れたばかりの岩場に着いた。先日見落としたかもしれないと思い祠背後の背の高い石碑まで登ったが白玉竜神と刻まれ、祠左右の碑も播隆さんの名前では無い。コンクリート祠の中は空海=弘法像の様で播隆さんの浄土宗とは一致せず不思議であった。木曽川を眼下にする岩場で環境としては良く、籠もる岩屋も無いが小屋でも建てて修行されたのだろうか?。上人洞の標識だけで播隆さん修行の痕跡が残っていないのは残念。何も無い事に納得して先日のルートを西に向かった。尾根に乗った場所は神社からの3本の破線路の真ん中ルートが尾根に達する130m標高の位置であった。南側の道は良く整備されていてジグザグに下って熊野神社に戻った。参道南の公園風の道を下ったが又団体さんが参道を通って伊木山に向かっていた。平日なのに登山者が多く珍しい事に思えた。
 寺の駐車場の南にトイレが見えたので立ち寄ったら修理中、駐車場も有りここが正規の登山口になっていて案内標識があった。広くも無い舗装道路を北へ進んだら又登山口が有り、これは本宮跡へ繋がる尾根道らしい。車道を進んだら伊木の森への進入路に合流して位置関係が理解出来た。

宝積寺山    141.5m 4等三角点 点名 山崎
 地形図では無名峰であるがグーグルマップに山名が載っていて最近知った山である。先日の陰平山下山時に立ち寄ったふるさと眺望の丘展望盤にも「宝積寺山」と刻まれていたので公認の山名らしい。地形図を見て鵜沼山崎町7丁目の奥まった所に有る電波塔から至近距離と理解していた。ナビに詳細な地図が出ず国道21から斜面の輻輳した道を高い位置へとにかく向かってみた。私道との表示も有ったが狭くて斜面続きで駐車場所も無い。売却中看板の民家駐車場に停めて空身で登る途中から見えたアンテナ目指して車道を戻った。ところが道路は大きく迂回せねばならずUターンして駐車地北の廃道めいた道から尾根上に登る事にした。地形図ではアンテナ間際まで行けると思ったが途中から雑木林と化していて僅かな距離のヤブを掻き分けたら南からの車道に出会った。すぐ上の鞍部は駐車可能で左右ににアンテナが有り右はKDDIであった。(地形図のアンテナ位置は間違っていた。)アンテナの背後の尾根には踏み跡(地形図破線路)が続いていて倒木に遮られて迂回を数度繰り返し標高差20mを登ったら雑木林の中に三角点が有った。山名標識も無いが立木に1本ビニール紐が括られていた。尾根上の踏み跡が更に北東へ延びていたので少し進んだが樹間から北の住宅街がチラチラ見える程度なのであっさりUターンした。アンテナの有るT字路を直進した標高120mの頂上台地にも2軒の民家が有って驚いた。道はその先で行き止まりとなったが適当に樹間を縫って進み南へ下ったら往路の廃道に出会い駐車地は間近であった。
 宝積寺山=そこに山名が有るからと登って?みただけの山。9日に無理々々登らなかったのは正解。
 春の到来を思わせるうららかな日射しの中、ともかく2つの懸案が解消された満足の短時間徘徊を終えて予定通り昼過ぎには自宅へ戻った。

写真 ①熊野神社からの尾根道  ②播隆上人修行場  ③宝積寺山山頂

 
 

各務原 超低山駆けめぐり

 投稿者:GG-  投稿日:2018年 2月12日(月)10時46分32秒
編集済
   各務原市南部の超低山、三井山や不動山の麓は何度も通っているのにわざわざ登る機会は無く長年何時かはと思っていた。好天予報だった2/9に可児市内在住みのハイクメンバーで都合のついた仲間と誘い合わせ徘徊して来た。仲間の都合で帷子公民館を10:00と言うのんびりスタート。

三井山 108.8m
 三井山は低山ながら2等三角点で興味深かった。三井山ふれあいの森石柱付近の路肩に数台駐車可能で空身でスタートしたが朝充電時まで異常が無かったのにデジカメが故障で記録が撮れないと残念に思いながら登った。中腹の水道施設は素晴らしい展望が開け、携帯電話のカメラ機能を思い出して撮った。予備知識無しだったので山頂に御井神社の立派な鳥居を見て驚いた。三角点は祠の東に保護石に囲まれて鎮座していた。案内板にこの山は戦国時代の山城跡と記されていて不勉強を恥じた。下山に辿った道は枯れ葉が積もり途中に古墳も有りなかなか味わいの有る山であった。
 帰宅後検索したら下記の解説が有った。元々の山が昭和40年代に削られたなんて事も初めて知った。
三井山(みいやま)は、岐阜県各務原市にある標高109mの独立した小さな山である。各務原市の西部の新境川と航空自衛隊岐阜基地の間に位置する。元々は東西に長い山であった。山頂付近には戦国時代の城である三井城の址があり、二等三角点が設置されている(点名は「三井村」)。かつて山頂には、式内社の御井神社が存在し、御井神として山自体が信仰の対象だったという。磐座の祭祀遺跡もあり、多くの出土品が発見されている。また山腹には、三井山古墳(御井神社境内古墳)という古墳がある。*戦国時代、三井山は戦略上重要な場所として、土岐氏の土岐弥一郎(三井弥一郎)により三井城が築城される。このさい、御井神社は麓(各務原市三井町)の御井神社と上中屋(各務原市上中屋町)の天神社(現、天神神社)に移転している。
*1548年(天文17年)、三井城は尾張国の織田信秀に攻められ落城する。三井城が廃城後、山頂には御井神社奥之宮が創建されている。*1968年(昭和43年)ごろから、山の中央が削られはじめる。*1980年(昭和55年)ごろに採土が終わり、南北を貫く道路や、自衛隊の三井山官舎、各務原上戸町工業団地が完成した。 三井山は東西に独立した山になり、東は自衛隊の施設になった。

不動山 84.7m  点名 弁財山 別称前渡不動山 矢熊山
 前渡不動の名前で知られているが地形図は不動山。真言宗醍醐派の矢熊山・仏眼院通称「前渡不動尊」といって親しまれている。県道95沿いの駐車場からコンクリート舗装の急な参道を登ったら地蔵群の参拝路がシグザグに作られていてこれを辿ったら立派な本堂に出会った。その北の台地が最高点で360度の展望が得られる。三角点は山頂と思っていたら北側の道路脇にコンクリートで固められた保護石に囲まれてこぢんまりと鎮座していた。北側へ下る登山道が有るらしいが時間も無いので舗装された車道を駐車地へ下った。この山の北側に三角点は無いが荒井山・長平山の名が地形図に載っているしナビにも出て来る。自衛隊の基地内かもしれないが気になる山だ。不動前駐車場には承久(じょうきゅう)の乱の古戦場跡の解説板が有りここでも不勉強を恥じた。

伊木山 173.0m
 伊木山・陰平山は2008年のみのハイク清掃登山以来10年ぶりの再訪。伊木の森Pからザックを背負って道標に導かれ道路脇の谷間に入り尾根の道と名付けられた左岸を登って行く。なかなかきつくて汗が出た。15分強登り標高160m付近の稜線で西の熊野神社からの道に合流。緩やかな鞍部を過ぎた先が伊木山頂上。落葉のせいで明るくベンチまで設けられていたが展望は無い。三角点は白杭や保護石も無くかなり欠けていて痛々しく広場の真ん中に有った。昼食は展望のキューピーの鼻でと予定していたので東へ40m標高ほど下り登り返したら展望の丘であった。しばらくパノラマ光景を楽しんでから食事を摂った。この山は別名夕暮れ富士として名高いが、北方から眺めると大仏様の横たわった寝姿にも見えるので小仏山とネットにあった。又キューピーの寝姿に似ていると言われるので140m丘にキューピーの鼻の名が付いたのだろうか?。東や南の大展望の為に山名標識が設置されていたが弥勒山の位置が違っていてペンで直してあった。下山は地形図に無いが播隆小屋への標識に導かれ伊木山南側の山腹を巻く落葉の道を辿る。山頂へ戻る分岐を右に見て直進すると道は下り何処まで行くのかと不安になり始めたら「上人洞」の標識で左の崖になにやら祀られていたので立ち寄ったら石仏の回りに色々坊さんの名前の碑が林立。岩窟でも無いし、播隆さんの名前も名号碑も無いので播隆さんの遺跡はもっと先かもと進んだがそれらしき場所は無く、プリントして来た資料を見たら先刻の場所らしくもっと見て来れば良かったと反省した。そのまま西へ山腹を進み熊野神社からの登山路に合流し山頂方向へ戻る160m標高位置に熊野神社本宮跡が有った。次回は熊野神社から播隆遺跡を再確認しながら伊木山へ登ってみたいと思った。登りに着いた尾根上分岐から往路を下ったがかなり疲れも出て来た。
 この山も古城址で下記の記述にヒット
伊木山城(いぎやまじょう)は、現在の岐阜県各務原市小伊木4丁目にある戦国・安土桃山時代の日本の城跡である。伊木山の山頂にある。築城時期や伊木氏の経歴については諸説あるが、一般に信じられている来歴は以下の通りである。1561年(永禄4年)、この地を攻めた織田信長によって、武功を挙げた香川長兵衛忠次が、この地の名に因んで伊木の苗字を授けられ、伊木忠次と改名したという。そして、この伊木山に伊木山城を築き居城とした。後に信長の家臣である池田恒興に転仕した。1590年(天正18年)、廃城と成った。

陰平山 240.7m
 ここも空身でうぬまの森Pから萩の道を経由「ふるさと眺望の丘」東から展望台へ。西は靄って来ていたが展望は開けていて心地良い。ひと息入れて三角点を目指す。10年前にも記録したが各務原市のプリント地図に記された陰平山の山頂は遊歩道の最高点である。前回訪れた時は標識も無かったが歩道脇に立派な標識が立てられていて、自分が地形図で計測した240.7mと同じになっていて満足。これで宝積寺三角点を山頂ととする間違いも減る事だろう。近時見たWEBでも三角点を誤って陰平山237mとした記述が多い。舗装道路を横切り歩道を僅かに下って登り返すと点名宝積寺237.6mが有った。記憶は消えていたが傍らにケルンが築かれ樹間から振り返ると陰平山がなかなか立派に見えた。舗装の「さえずりの道」を下り再訪は無いかもしれないので「ふるさと眺望の丘」の東屋へ立ち寄り駐車地へ戻った。
 計画書ではここまでとし、余力があれば名前の紛らわしい近場の「宝積寺山141.5m」もと欲張っていたが時間も遅くなりそうなので又の機会に譲り、途中に有ったS氏推薦の洋菓子店に立ち寄りコーヒータイムを楽しんでから可児へ帰着した。

写真 ①三井山三角点  ②伊木山山頂  ③陰平山山頂標識

 

祝 多治見労山50周年

 投稿者:GG-  投稿日:2018年 2月 4日(日)20時50分14秒
編集済
   みのハイクがお世話になっている日本勤労者山岳連盟の仲間である多治見労山さんがめでたく50周年を迎えられ、本日記念講演会が開催されたのでクラブの仲間有志と参加して来た。
 講師は岩崎元郎氏、「登山の楽しさや魅力・安全登山の心構え」のタイトルで風邪をひいているがと理りながらもの四方山話を1時間半にわたって拝聴した。個人的には日本人がマナスル初登頂を果たした1956年頃から登山ブームとなり、用具としてのキャラバンシューズが普及したとの話題に、自分が山登りを始めた1960年代初期に買い求めて歩いた事を思い出して懐かしかった。
 岩崎氏の講演の前には地元のソプラノ歌手・鷲見真純さんによるフニクラフニクラ エーデルワイスの歌声を聞かせてもらい、会場の400人余が発声練習の指導を受けてから「坊がつる賛歌」「雪山賛歌」を斉唱すると言う粋な企画に感心した。懐かしい歌を歌えたのもひさしぶりであった。
 多治見労山さんの益々のご発展とガタの来た自分であるが未だ山を楽しみたいと願いつつ帰途についた。

 

入鹿池周辺 低山徘徊4座

 投稿者:GG-  投稿日:2018年 1月20日(土)15時47分6秒
編集済
   鞍馬山は数十年前に内津峠から善師野まで東海自然歩道を歩いた時に昼食を摂った展望場所の記憶が残っていた。双葉30山の案内を頼まれた仲間もいて、正月と言う事で尾張冨士とついでに入鹿池周辺の山を巡る計画を立て、暮れに登山口の偵察だけしておき、昨1/19の好天日にみのハイクの仲間と出かけて来た。
 山たまご氏の情報を得ていたので前年通過した60鉄塔巡視路の鉄梯子から入山し破線を辿ったが、鉄塔までの尾根道は急坂続きであった。60鉄塔からは山腹を巻き気味に進み昨年通った記憶の道になり、アンテナのフェンスを回り込み薄い踏み跡を詰めると奥宮に着いた。先着のオバさんがいて今日は見晴らしが悪いと言ったので振り向いたら御嶽山もボンヤリした姿であった。大宮浅間神社奥宮にまずは参拝。境内隅の尾張冨士275.0m三角点は頭部を出しているだけで埋もれそう。白杭が無かったら気付かずだろう。尾張冨士の冨士の冨の文字について受け売り話をしたが帰宅後点の記を改めて見たらこちらは尾張富士となっていた。初めての仲間もいたので記念撮影後下山開始。61鉄塔へ立ち寄ろうとしたがボンヤリ光景なのでパスした。林道経由で駐車地へ戻って入鹿大橋へ向かい、道路閉鎖トラ柵前広場が空いているか心配していたが1台もいなくて安堵。
 鞍馬山は東海自然歩道の脇に有るので楽に登れるがそれではつまらないので地形図を見て気付いた南尾根の破線路をヤブ覚悟で辿る計画とした。通行止トラ柵を抜け僅かな距離の山神と小谷を挟んだ左岸の斜面の細い踏み跡気配から取り付いた。先行はヤブ馴れしているNさんに依頼。道も消えかけていて意外に急な斜面を登り詰め130m標高台地で尾根に乗ると道はやや明瞭になった。心地良い落葉の尾根を緩やかに登って200m標高台地で小憩。石柱が有るので御料局三角点かもと苔を削ったが単なる境界杭であった。ここから北東へ下る緩やかな尾根は杭が時々有る広い明瞭な道であったがすぐに東海自然歩道の広い道に出会った。砂利道は鞍馬教会の裏手へ続き東海自然歩道はピーク手前から右へ巻いていた。教会前に回ると展望が開けて仲間達が眺めているのでまずは山頂へと促す。少彦名命や弘法大師らしき色々な石仏群の前を過ぎて背後のピークへ登ったら広場に鞍馬山212.5m三角点が鎮座していた。基部が露出して補強してあるので大きな三角点であった。白杭が離れた位置に有るので別の場所に三角点が有るのかとも迷った。数十年前に自然歩道を辿った時の記憶は薄れていたが食事を摂っただけで多分三角点は気付かずに通過したのではと思えた。教会は白く大きな立派な建物、正面に掲げられた扁額の中央は福天乃天狗、右に聖観世音菩薩、護法魔王大僧正、左に妙法蓮院毘沙門、十一面観音菩薩と刻まれいた。屋根には天狗像もあり、本殿下の看板には天狗雄惣孝力会・鞍馬教会と記されているので祭神の元は天狗様らしい?。ごちゃまぜ神様や仏様の集合体だ。WEBを見てもパワースポットとして最近取り上げが多いが、由来不明な新興宗教の様だ。下山時開山碑を見たら昭和13年1月開山となっていてかなり古い。本殿前の石段を拝借してランチタイム。辿って来た200m峰の南には次の目標の点名入鹿沼の特徴の無い頂きが望まれ、東の樹間から八曾山、岩見山、焼山が見えた。石段を下りて合流した自然歩道は車両進入禁止となっているのでなかなか自然豊かな道で、尾張パークウェイに出て駐車地へ戻った。
 荷物を軽くして次の山へ向かう。点の記で見た林道脇の「27ツ402」表示の電柱を見落とし右手の斜面の取り付きを探しながら進んだら「27ツ421」電柱の手前に植林作業路らしき明瞭な道が見えて進入。後で気付いたが地形図の破線の様だ。Hさんに赤布を依頼しながら鞍部地形から植林斜面を南へ標高差40m急登、辿り着いたのは200mピークでシダが繁っているだけで三角点の気配無く、南の樹間から少し高そうな頂きが見えたので灌木のヤブっぽい斜面を少し下って登り返したピークもシダが繁った台地。山頂の筈なので三角点をと呼びかけたら仲間が白杭を見つけてくれ、脇のシダの陰に点名入鹿沼207.5mの三角点が有った。展望ゼロの樹間で山頂の雰囲気も乏しいがまずは念願達成を喜び、写真を撮って早々に往路を戻った。下山時に402の電柱発見、その横から派生した細い尾根が山頂へ続いているらしい。不注意で大回りしてしまい反省。入鹿大橋へ戻っても時間が早かったのでおまけの積もりであった天道へ向かう事にした。登山口に駐車場が無いので「入鹿の里」へ向かい駐車許可を願ったら快く応諾してもらえた。
 ここからは短時間なので空身。稲荷参道口に鳥居か石灯籠か判らないが礎石を見て落ち葉の道を行くと荒れた稲荷跡。祠も無くなっていて拝殿だけ残っていた。石垣背後の落葉斜面を登り広い尾根を北西方向へ進んだら祠跡の石組が残っていた。天道・標高点148m山頂に達した気分も湧かないがWEBで紹介された山を終えた事に満足しよう。WEBではここに有った天道宮は江戸初期の入鹿池築造の際に前原集落へ移転と記されている。
 「入鹿の里」へ帰着後コーヒータイムを終えて解散とした。尾張三山の残り2座も未登頂の仲間がいたのでヒトツバタゴの咲く5月に登る事を約した。
 登山口の事前偵察時に日向ぼっこをしていた郷中の古老から聞いた石洞地区の「天狗山」は246m標高点の無名峰と推定されるので近いうちに訪れてみたい。

写真 ①鞍馬山 点名入鹿  ②点名入鹿沼  ③天道山頂

 

クラブ山行 高社山・八曾山

 投稿者:GG-  投稿日:2018年 1月15日(月)22時24分41秒
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   前夜雪がちらついた様でうっすらと雪化粧していて快晴の朝は冷え込んでいた。1/14はみのハイク双葉30山のうち2山を登るクラブ山行で地元の事でもあり体調を心配しながら参加した。可茂地区会員の集合時刻を30分勘違いしていておしかりやら催促のメールを頂戴してしまい、詫びを申し上げつつ単独で高社山登山口にした普賢寺へ着いたら関からのメンバー車4台は到着済みであった。

 ドコモアンテナを経て高社山登山口へ着いたら元職場後輩のI氏に遭遇。なんでも地元の皆さんで神社の清掃奉仕だとか。先行した仲間達がしっかり挨拶を交わしてくれた様で「流石に山登りのグループは違う」と誉めてくれた。急登に喘ぎ汗をかきつつ高社神社へ着いたらここにも清掃のグループがおられた。毎月行われているが地区毎の持ち回りなので年1回程度の奉仕だそうだが、地元の付き合いは大変だ。山頂手前の反射板からの展望は樹木の成長で訪れる度に狭くなっている。小憩後高社山頂へ向かったら秋葉神社分岐で偶然に美濃一人さんと再会し奇遇に驚いた。いつもお世話になっているお礼挨拶をしていたら我がクラブの山行に合わせて登って来られたとか。帰宅後調べたら再会は9年ぶり、時々メールのやりとりをしているので身近に感じていたが。小雪化粧の樹間を縫って三角点まで同行願えた。高社山416.6m三角点周辺は狭く記念写真は反射板まで戻る事になり、その前にと美濃一人さんを仲間に紹介したら隠れファンが何人もおられ挨拶を交わされた。明神洞へ下られる美濃一人さんと別れ反射板へ戻り恒例の写真を撮り、採石場上のルートから秋葉神社を経て普賢寺へ戻った。
 予定時間より早いので亀割駐車場で昼食との声も出たが計画通り設備が整い展望の良い塩河公園に向かい昼食とした。風も無くホカホカ陽気の感じられる階段に座り御嶽山や中央アルプスを眺めながら昼食を終えた。グランドでは大阪から来たと言うサッカー少年達が地元との練習をしていた。
 亀割駐車場へ移動し防火管理道を歩き山の神へ。通過していた先行グループを呼び戻し参拝後ふれあいの森②→④→⑥を経て一の門線合流地で小憩後八曾山326.9mへ。山頂で出会った女性二人は「あつた勤労者山岳会」のメンバーとか。既刊の「愛知130山」ガイドが古くなったので再調査の様な話であった。良い本を出して下さいと話しておいた。狭い空間で又集合写真を撮り西の展望地へ移動。大展望の中能郷白山が一際美しく見えていた。下山の枯れ松の展望台からも間近な山々が美しかった。仲間達も何度も訪れていたのか感激が無いのか山伏の滝も短時間で通過。心配していた積雪も無かったので斜面を慎重に登って滝上部に着いた。今回の山行のメインと思っていた八曾奥入瀬歩きだったが、仲間達の足は速くじっくり味わう程でも無く、⑯→⑲まで10分余で通過し余りにもあっけなかった。坂道を登って⑫標識で管理道に出会った。
 駐車地へ戻ったらリーダーお手配の喫茶コーナーが開かれご馳走になっていたら、ゲートから車両が続々。森林管理局の方かと聞いたら犬山ふれあいの森を30年来管理しておられると言うボランティアグループ「犬山エコアップリーダー」の皆さんであった。ふれあいの森のおかげで楽しませて頂いているお礼を申し上げ色々話していたら24から21へ繋ぐ新しい道を造ったばかりとの情報を頂いたので又新しい楽しみができた。
 気の利いた仲間達がボランティアさん達へもコーヒーサービスをしてくれた。コーヒータイム終了後リーダー挨拶を頂き現地解散となった。

写真 ①高社山山頂  ②八曾山展望地から能郷白山  ③枯れ松から高社山
  
 

八曾遊歩道散策

 投稿者:GG-  投稿日:2018年 1月12日(金)20時22分38秒
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   1/4八曾の岩見山散策の帰途に辿った八曾マス池線の廃道分岐の左側の行先が気になっていた。
 1/12は今冬一番の冷え込みで岐阜でマイナス3℃とか。午前中は晴予報であったので懸案解消の為散策に出かけた。

 いつもの亀割駐車場は寒さのせいか1台の先着車のみ。今日は歩道を歩くだけなのでスニーカーのままナップサックを背負ってスタート。寒さで頬がヒリヒリする程だが日射しが心地良い。フリースやマフラー着用のままなのに全然暑くなかった。
 防火管理道の山の神入口までは緩やかな登り、ふれあいの森遊歩道の入口番号毎に時間を計ったが数分程の違いだった。マス池線分岐北の241m標高点がこの日唯一のピークなので神様が祀られているかもと期待して灌木を縫って立ち寄ったが何も無くてすぐに歩道へ戻った。4日にマス池へ向かった分岐を左折、踏まれた平坦な道を進むと5分程で地形図の破線終点となり道は右手の谷へ下り始めた。平坦道の終わる地点からは八曾山が望まれた。植林の右山斜面を緩やかに下ると5分で右山の平坦路と谷へ下る道が分岐していた。谷側が明瞭だったのでそちらへ下ったらキャンプ場手前の路肩に黒平山の標識が立っていた。その下で厳頭洞線脇の広場に出た。先日此処から行けるかもと眺めた場所だったがそこには標識が無いので不親切な事だ。森林管理局の図にも無いのでやむなしか?。辿った道は30年程前にスポーツ少年団で釣りをした後に子供達と八曾の滝へ向かった道と思われた。
 先日下った道を登り返す時に僅かに汗が出た。八曾山を下山した時に防火管理道を又戻るより時間短縮が出来ないかとの期待が有ったが大回りと起伏で余分に時間が懸かるので相応しく無い事が判っただけでも収穫だった。
 1時間程の心地良い周回散策を終えて帰宅した。

写真 ①今日辿った道  ②241m標高点  ③歩道より八曾山

 

クラブ山行 大平山・祐向山

 投稿者:GG-  投稿日:2018年 1月 9日(火)10時27分41秒
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   祐向山は直近では2015/12/29にみのハイクのS氏から忘年山行はどうかと誘われ岐阜の雛倉からのルートを辿って登っていた。その時に大平山からの縦走が出来ると知って何時かはと願っていた。
 本年度のみのハイク新春山行に組み入れられていたので、体力に不安はあるもののせめて大平山だけでもと参加を申し込んだ。
 1/7 路傍の温度計が-1℃を示す寒さの中を走り、関集合時に総計46名と聞いてビックリ。クラブ推薦双葉30山に入っているのと新春登山にはぜひとの意気込みだろう。9台の車を連ねて山県市経由で文殊の森へ向かい現地組3名と合流。

 新年挨拶を交わしストレッチ後コース説明を聞いてスタート。西に綺麗な霊仙山、国見岳、池田山などを眺めつつ柿畑の中の道を進む。WEBでは27鉄塔から大平山への尾根途中の監視哨跡に至る記録が多く計画書に添付された図もそれをコピーしてあったが、行程は南の尾根末端の菩提寺からとあったので事前に調べておいた。本巣小の近くに旧旗本戸田氏陣屋跡の碑が立っていたが痕跡は無い。尾根南端の照空寺(加納藩分家旗本(文殊)戸田氏菩提寺)が登山口。石段を登り唐破風山門を潜り、寺らしく無い本堂脇から尾根に取り付く。石段最上部は戸田氏歴代墓所になっていた。最初の試練と思いつつ急坂を登り二つ目の尾根合流点170mはコンクリート残骸に監視哨跡の標識が有り27鉄塔や本巣小学校からの尾根合流点。大きな桜の木は戦後植えられたのか?。緩やかな尾根道を進み植林の急坂を登った場所が平坦な大平山212.5mで4等三角点がポツンと登山道脇にあった。展望もゼロ、顕著なピークでも無く南方から眺めなければ山には見えそうも無い。稜線は寒風が厳しいのか先行グループは早々に通過した様だ。平坦路を進み西に小津権現山をチラッと見て時々現れる明るい雑木林を抜けて行く。30鉄塔分岐から豚汁奉仕隊?5名が先行下山されて申し訳ない事であった。その近くの日溜まりで先行グループ休憩中、東の展望が開けて岐阜市街が望めた。立ち去る時に珍しい地積図根三角点を見つけた。31鉄塔送電線が尾根を横断する切り開きから御嶽山や城ヶ峰山塊の右に岐阜市街が見えた。240m平坦地で休憩後祐向山への登りが始まった。250mから始まる急坂を終えた標高300m尾根合流点は掛洞城跡。此処からは2015年に辿った道であった。平坦な登山道東の切り開きはこの日一番の展望地で、高賀山方面。天王山、誕生山の彼方に中央アルプスが望まれた。60m標高差を登ってようやく祐向山374.3m。昼食は下山後なので各自行動食などを摂り休憩した。相変わらず展望の無い山頂3等三角点を後にして小さな堀切を2ツ過ぎたら年末の雪が少し残っていた。緩やかな起伏の最後は望郷の展望台341mへの登り。のんびりと展望を楽しむ時間もとらず、先行者は辿って来た大平山に連なる長い尾根を眺めつつ法林寺城南道を下り始めていた。計画書添付図は2015年時と同様に権現山(山口城跡の三角点点名法林寺)経由だったのでオヤオヤ。帰宅後前回の記録を見たらその時も此処から下山予定だった様で自分が権現山三角点を確認したくて変更を願っていた。今回も同様と思い込んでいて体力的に厳しければこのルートで自分だけ下ろうとも思っていたので、結果的にはラッキーだった。急な坂道であったが落葉樹林の明るい斜面で南に拡がる展望を楽しみつつ落ち葉を踏んで下る心地良い道が続いた。登りに使うにはいささかきつそうだが。
 駐車地へ戻ったら先行グルーブは日射しを浴びながらランチタイムを開始していた。バーベキュー舎内では先行下山してもらった豚汁奉仕隊?が活躍中で、本格的な竈と羽釜で作らていた。おいしい豚汁を馳走にして自分も昼食をしていら「コーヒーコーナー」も有るよと告げられて、ヤングウェイトレスのサービスでコーヒーやおつまみも馳走になった。
 昼食後集合写真を撮りCLと豚汁奉仕隊?隊長の挨拶を頂き現地解散となり往路を関へ戻った。心配していた体調も大部隊でペースがゆっくりだったので落伍する事無く付いて行けたのは有り難かった。天気予報も奇跡の晴天となり月曜日からの雨天が信じられない様な一日であった。

写真 ①大平山  ②祐向山  ③法林寺城南道を下る

 

低山散策 岩見山

 投稿者:GG-  投稿日:2018年 1月 5日(金)21時08分59秒
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   元旦の浅間山ご来光登拝は30分の短時間登山なのに息も絶え絶えで、今年は絶不調の年かもと不安になった。4日は晴天の朝を迎え週末のクラブ山行に備えて近場で足慣らしをと思いついて出かけた。
 朝に地形図をブリントして10時過ぎに自宅をのんびりとスタート。いつもの亀割駐車場には5~6台が先着していて閑人も多い。14日にクラブ山行で八曾山は予定されているので今回は未踏ルートを少しでも歩いて岩見山のみ行く事にした。駐車場からマス釣り場を経て今井・八曽野営場線林道への地形図に記されている実線ルートを辿ろうと林道をマス釣り場へ。ところが釣り場からの道が無く経営者のオッサンに聞いたら、背後の橋が崩壊して廃道化しているとの事。犬山キャンプ場へ回ってしか行けないと言われてUターン。駐車地からの道の延長線を下ったらキャンプ場脇の厳頭洞川左岸で遊歩道に合流した。これが結果オーライで川沿いに下り、天狗平の南から分岐する八曾中歩道を使って岩見山へ向かった。初めての道は植林の谷間左岸を緩やか登り230m標高の尾根で岩見山線に達し僅か南で岩見山への分岐、樹間の道を辿って岩見山へ着いた。この山は直近では2016/05にクラブ仲間と八曾山を終えて登り対岸の厳頭洞山へ向かっていた。標高は250m等高線、当時の計測で255.8mと記録していた。晴天の割りに雲も多く遙かな白い鈴鹿山系の頂部は覆われていた。厳頭洞山の背後の本宮山、尾張富士は相変わらず美しく、高社山もドッシリとした姿で横たわって見えた。小憩をとって往路を下り始めたら又体調が悪くなり我慢しながら八曾中歩道分岐までユルユル歩き休憩をとった。体調がやや戻ってから未踏の八曾中歩道を進むと地震観測所との分岐標識に出会った。森林管理局の案内図には無いが八曾キャンプ場500mの標識が立ち明瞭な尾根道が続いていた。ほぼ平坦地形の心地良い尾根を南下すると地形図の破線と違って尾根末端から東の急斜面をジグザグに下って沢と五条川が出会う地点に着いた。下り立った斜面に「岩見山1100m」の標識が有った。八曾キャンプ場に向けての林道歩き途中で散歩のオッサンに出会い、キャンプ場で案内図を眺めていたら又空身のオッサンに出会いしばし話した。帰路はやはり未踏の地形図破線ルートを辿りたいと思っていたのでキャンプ場管理棟背後の植林の踏み跡へ取り付いた。このルートは地形図には記載されているが森林管理局の案内図にも無く、不思議な事に「可児から山登りさん」の概念図にも無いが明瞭な道であった。取り付き直後に№48標識と古い岡崎営林署の標識が立っていた。体調も戻りルンルン気分で落ち葉の道をジグザグに高度を上げ標高差50mを終えると緩やかな巻道や尾根道が続いた。八曽林道合流手前で初めて登山者に遭遇した。林道合流点にもキャンプ場取り付きにも標識が無く、心地良い道なのにもったいないが知る人ぞ知るルートなのだろう。林道脇に綺麗に咲いたサザンカの大木が有り背後に八曾山が見えた。砂利の林道を進むと241m標高点手前に標識が有る。マス池0.6㎞、亀割駐車場1.5㎞の標識が有り往路に辿ろうとしていた道の分岐であった。最後はヤブ覚悟で八曾マス池線歩道へ入った。平坦路を進むと左に道を分ける。直進はマス池へ向かっていたのでそのまま進んだら次第に荒れた道となった。マス釣り場の建物背後の沢の丸太橋は朽ちていたので小さな沢は下りて渡った。不審者に思われたのか余りに犬が吠えるので朝会ったバア様が出て来た。「道の確認に下りて来た」と言ったら「営林署も予算が無いのか橋を架け替えないらしい。通行禁止にするとか。」営林署が作ったので山裾沿いに道がキャンプ場へ出来ていると教えられ、進むと微かな踏み跡が続いていた。キャンプ場まで行くと大回りになり、対岸に林道が見えた位置は小川へ下り易く踏み跡やピンクテープが有り営林署が使っているかもと進み小石を踏んで渡り対岸へ登ったら泥濘で難儀した。もう少し下流まで進めば良かったと反省。駐車場へ戻ったら相変わらず沢山の車が有った。
 登り初めと言うのもおこがましいが、短時間ながら未知のルートを辿れたのが嬉しかった。八曾山周辺もかなり歩いたが未だ知らない道も残っているので、今の体力に合わせて徘徊したい。

写真 ①岩見山山頂から  ②厳頭洞山=焼山と尾張富士方面  ③八曾キャンプ場からの営林署管理道にて

 

おんでこ祭り 2017

 投稿者:GG-  投稿日:2018年 1月 2日(火)14時56分36秒
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   例年1/2はTVの箱根駅伝を眺めながらのゴロ寝正月を送っている。今年の東洋大学の往路完勝は見事であった。

さて、晦日に元旦にご来光が見られるか検索していたら、可児の鬼ヶ島で厄払いの行事「おんでこ祭り」が有るとかの情報にヒットしたので野次馬が出かけて来た。

可児川に設けられた仮設通路を渡って念願だった鬼ヶ島へ初上陸した。時間前なのでに焚き火に当たりながら世話役の人と話していたら10数年前から開催されているそうでPR不足が惜しまれた。ぜんざいを馳走になり開催時間を迎えた。夕刻の小雨も止んで月が顔を出していた中、21時から雨上がりの為に「短縮バージョン」であったが幽玄の世界をちょっぴり味わって来た。来年は公開されている動画の様な本格的な太鼓演奏をぜひ楽しみたいと思った。

鬼神太鼓さんのブログに詳細が載っている。

ネットで見た紹介記事は下記。

「岐阜県一の奇祭、おんでこ祭!」

大晦日の夜
開始8時55分!
終了9時45分!!
鬼ヶ島!!
で行われる厄祓いを行う奇祭です。

鬼神が鬼ヶ島に集い、太鼓を打ち鳴らす事により、祭りに集いし人々の厄を祓い新年の寿ぎを願うものです。

1/1の浅間山ご来光登拝を終えた後、前夜暗くて見落とした鬼ヶ島の「しめ縄岩」の写真を撮りに出かけたら仮設階段、橋、照明設備等は全て撤去されていて、行事終了後の作業と思われ関係者の皆さんの努力には頭が下がった。

 

おめでとうございます

 投稿者:GG-  投稿日:2018年 1月 1日(月)17時55分6秒
  本年もよろしくお願いします  

昨日の夕刊から GPSデータ

 投稿者:GG-  投稿日:2017年12月26日(火)20時45分21秒
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   登山に使う地形図は国土地理院地図をダウンロードして使っているが(ひと昔ふた昔前には2.5万図を売っている書店を探して買い求めて山の準備していたのに便利になったものだ。)登山道が有っても地形図に記されていない山は多い。
 あやふやな地形図読み能力と勘ピュータ頼りの小生には先人のWEB情報が心強い味方である。特にGPS軌跡の情報は大いに参考にさせて頂いている。

 昨日の新聞に ヤマレコ、ヤマップのデータを国土地理院が活用して登山道修正するとあった。数年すればより利用しやすい地形図が使えるかもと楽しみである。
 もっともその頃は自分の体が動かなくなっている可能性の方が大きいが。

 

京塚山 863.0m  三角点なし

 投稿者:GG-  投稿日:2017年12月25日(月)20時31分1秒
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   今年の12月は例年に無く早い雪の到来で東海北陸道の郡上八幡以北が度々チェーン規制となっていた。みのハイクの双葉30山達成に残る山も少なくなり、京塚山は根雪になる前に行きたいと焦っていた。12/17の忘年会時にKさんに尋ねたら数日前に郡上へ行ったが雪は無かったとの事で、好天予報の12/22に急遽出かけて来た。2008年/12月にみのハイク山行で登って以来9年ぶりの再訪であった。

 郡上八幡ICを出たら除雪の塊が残っていてオヤオヤ。ガイド等で見たサイクルセンターへ駐車許可をもらって準備。山肌は雪化粧なのでスパイク長靴でスタートした。学校横の集落名の看板「中々」の背後の京塚山を撮り、面白い地名に「なかなかやるなー」と笑えた。高雄山登り口標識の水槽脇から入り尾根に乗って間もなく獣害除けの柵が有り扉を開けて入った。植林の尾根道には雪は無かったが左右の林間は少し雪が見えた。登山口からのラミネート距離表示が時々結ばれていた。1200m地点は高雄山薬師堂跡で直進登山道の分岐から少し回り石段を上がると祠と地蔵が祀られていた。小憩後再び高雄山山頂への標識に出会い1400m地点の先へ登ると美しい「絶高」が見える第一展望台。倒れていた標識を起こして「絶高」を撮った。帰宅後WEBで山たまご氏のGPS記録を見たら標高640m付近の様だ。ここから落葉の自然林の中で雪も増えた。距離表示1600m地点が第二展望台で690m地点。伐採されて展望が開け、南西の稚児山、郡上市街、彼方に高賀山やゴンニャク辺りの山並みも望めた。この辺りからの雪と落葉の道は猪が掻き回していた。ノンビリながらも順調にここまで登れたが急に体調が悪くなり、蝸牛の歩みとなって深呼吸を重ねながらの喘登となった。左右にトラロープが張られた急坂が続き上を見上げるのが辛い程であった。距離表示は第二展望台迄でそこから距離400m、比高170m程をやっとの思いで登り終えたら京塚山山頂標識に着いた。三角点は無いので863m標高点が採用されている。記憶に残る1m程の石碑が有ったが文字は読めなかった。(先人のWEB記録に「文治二年高雄~」と彫字されていると記載が有ったので1186年鎌倉幕府成立の頃の碑らしい。)碑の立つ山頂は樹林と雪で座れず標識脇の日当たり場所で郡上市街を見下ろしながらのランチタイムとした。地形図の山名は863mと僅か北の854m地点の間に記されているので紛らわしくWEBでも一部の方は854mを山頂とされていて、前回自分も誤認したが山頂の雰囲気は無かったので今回はパスした。9年前と違い山頂西側が伐採されていたので素晴らしい展望の山となっていて苦しかった登りも報いられた。滝波山、美濃平家、平家岳、ひときわ印象に残る荒島岳、野伏ヶ岳はダイレクト尾根から推察出来た。薙刀山、別山等石徹白に繋がる山々が美しかった。(自分の山座同定に自信が無かったので、毎度の事ながら後日美濃一人さんにカシバード図を作って頂いて確認でき感謝。)
 下山はトラロープを利用しながら慎重に第二展望台まで下り休憩無しで登山口まで戻れた。前から「高雄山」と記されているが何処にも高雄山山頂の標識は無いのが気になっていた。疑問のまま帰宅するのも癪なので登山口の青木家を訪れた。青木老が表まで出て山を指さしながら話すには京塚山一帯を言うらしく漠然とした答であった。登山道周辺の山林を広く所有しているが採算に合わないとか、東の谷を高雄洞と言うとか話している内に大洞山の話になった。大洞山を梵天と言うとの話から絶高を梵天と記した書物を見たと言ったら、梵天に昔有った天測点の工事に携わったとの事で話が弾んだが、帰宅後調べたら明治の設置なので昭和の観測時の事と推察された。自分が大洞山へ初めて登った(1997年6月)時に台座は残っていたが、その次の時は無くなっていたと言ったら、ここらで大洞山に登った者は少ないので「アンタは大したものだ」と妙な事で誉められた。「中々」の字名の話から中上、中下へととりとめもない話が続き、駐車は青木家でも良かったのにとも言われた。切りがないので礼を申し上げて駐車地へ戻った。サイクルセンターは公共宿泊施設せせらぎ街道の宿「たかお」の看板が出ていたのでご存知かもと思い駐車御礼を兼ねて高雄山の事を管理人?に聞いた。その話では顕著なピークでは無いが第一展望台の事を言うらしい。案内図は無いかと聞いたが特に無いとか。おまけに高雄の由来話が出た。中国の北の守りは万里の長城、南は台湾の高雄でそこから北を護る場所に高雄神社が祀られたとか。勉強になりましたと言ったら「受け売りですが」との事で親切で愛嬌の有るニイチャンだった。
 登路の体調不良や下山後の長話で時間も遅れて、予定していた「点名白山2」は意欲が無くなり次の機会に譲り、間近な三角点探しに寄った。
 地形図の神社マーク脇に駐車したら高雄神社と言い「市島の舞台」「高雄歌舞伎」の文化財標識が立てられていた。帰宅後検索したら郡上で残された貴重な農村歌舞伎で口明方小学校で今も継続され、神社の祭りもユーチューブで紹介されていた。地形図を拡げて神社東方の山を眺めると京塚山から派生する尾根の南に650mから派生する尾根が別に見られ頂点が一つの山に見えたので高雄山と称する事が理解出来た。『岐阜新聞WEBでは京塚山(通称高雄山、864m)との記述が有りややこしい。』
 地形図を拡げながら神社西の畦道を進むと吉田川沿い斜面上の畦に4等三角点中上なかがみ305.2mが有った。(山たまご氏の記録にも有り同類がいたと笑えた。)この日唯一の三角点に敬意を表して駐車地へ戻った。帰路は国道156を利用して帰ったので帰宅は夕刻、冬至にしては暖かな一日であった

写真 ①第一展望台から「点名絶高」 この地点が高雄山らしい
   ②京塚山 山頂
   ③京塚山から北西の展望 左端の荒島岳から野伏ヶ岳、薙刀山など石徹白の山々の端に別山

 

RE・美濃一人さま

 投稿者:GG-  投稿日:2017年12月23日(土)21時13分29秒
  カキコミありがとうございました。
貴兄の様なパワーは有りませんが、壊れかけた老体ながらも山の空気が忘れられず、家族の心配を省みず低山ならと徘徊に努めています。
またいろいろ情報をお借りしますのでよろしく。

 

権現山(武儀)

 投稿者:美濃一人  投稿日:2017年12月21日(木)16時10分25秒
  お久しぶりです。
エッ、こんなルートもあるんだ。と、早速行ってきました。
畑の縁から丸木橋を渡りましたが、道が見付けられず堰堤の上を歩いてその沢の
右岸の植林を登りました。すると地理院地図の轡野の「く」の尾根上の道に出合いました。
後は尾根を一回りしましたが、滝ヶ洞の南はヤブ。
それに輪を掛けたヤブはP449mの北側でした。
ありがとうございました。
 

権現山(武儀)524.6m 2等三角点

 投稿者:GG-  投稿日:2017年12月18日(月)10時53分14秒
編集済
   続ぎふ百山を入手してボチボチ潰し始めていた頃、権現山(武儀)は94年5月に白山神社東の林道北の尾根からトライしたが現在地把握出来ず敗退し翌週の再挑戦で初登頂をした。情報は本の怪しげな図と解説のみ、多分5万図を持参していたと思うが地図読みも初心者で満足に出来なかった。(20年余経ったが未だに失敗続きが多いが。)以降自主山行やクラブ山行で数回訪れていた。
 2015年選定の「みのハイク推薦双葉30山」に入れたが直近は2014年1月なので改めて登らないとクラブ公認にならず12/15に再挑戦する事にした。同じルートでは面白みが無いので地形図を眺めて検討していたら、轡野集落の北に三角点峰がありここを経由して稜線伝いに権現山へ至るルートが辿れないかと思った。地理院HPで点名を確認したが点の記は北側からのルートが記載されていた。点名滝ヶ洞で検索したらなんといつも情報を拝借している「ひとり山歩き・・」「float cloud」お二人の記録にヒットした。流石マニアックな方々は凄いと感服すると同時に「ヨーやられるなー」と思わずニンマリ。「ひとり山・・」さんはなんと権現山南尾根の岩場から登られ、権現山西ルートとして下山時に辿られたが氏の記録を参考にしながらも自分は自信が無いのでルート判断のし易い逆ルートをとる事にした。地形図で距離計測をして所要時間を推定して計画したものの時間は大幅に遅れた。

 起点の白山神社背後は地形図に無い崖で直登は不可能、西側の水路沿いを目指したが竹薮や倒木で立ち往生となり水路脇から民家脇の畑の端を通り堰堤下の丸太橋を渡ったら踏み跡が現れた。30分程の急坂を終えた250m等高線付近の右手にひとり山・・さんのレポに載っていた展望岩が有り恐る恐る立ち寄った。正面に点名滝ヶ洞の美しい山容を望む平坦尾根を過ぎると左山の巻道となり三角点峰北東の310m鞍部に着いた。ザックを下ろして空身で標高差60m程の急登を終えた樹間に点名滝ヶ洞369.0m4等三角点が有った。樹林に囲まれて展望ゼロが惜しまれた。鞍部へ戻り小休止。次の449m峰を目指したが鞍部から左山の巻道が続くのでこれを辿ったら449m峰よりかなり下部を巻いていて、490m峰から南へ派生している尾根の西側の谷地形に着いていた。背後に見えた綺麗な形のピークが449m峰と推定され490m南東の岩場マークの下らしき光景で踏み跡は消え現在地確認もあやふやなまま落ち葉の斜面をヨタヨタ登り詰めて稜線に達したら踏み跡に出会った。切り開かれた平坦地でひと息入れその上の490mの平坦地形は94年にトライした時に山頂と誤認した場所の様だ。落ち葉の広い樹間は心地良い。通過すると植林の尾根下りとなり山頂へ500mの標識が有る440mの鞍部に到着。鞍部から以前は白山が見えた様な記憶だったが樹木が遮り見えなかった。ここからの急坂や尾根道は数回辿っているのに3年経過したら記憶も薄れていた。490mのピークから立木に掴まりながら急坂を下りひとり山・・さんのレポにあった岩場巻道を横に見て鞍部から60m標高差の急坂を登り返したらやっと権現山頂上であった。計画より1時間20分も遅れてしまった到着であった。お馴染みの白山や岳山を撮り三角点南斜面で風を避けて昼食を摂った。以前はここから御殿山へ連なる山々が美しく見えたのに植林が伸びて切れ切れの光景。中央アルプスも一部のみ。下山時は鞍部からひとり山・・さんの辿られた巻道へ進入、細い道の左に崖上の岩場が有り立ち寄った。この先も細い巻道が続いていたが前途不安で安全策をとり右斜面をよじ登ったら480m標高で登山道に出た。500m標識からは植林の急坂下りとなり膝に負担が懸かった。展望が開けた尾根から岩場越しに権現山を仰ぎ、木漏れ日の緩やかな尾根下りはカサコソと落ち葉を踏み締めながらの道でこの季節の山歩きの醍醐味であった。再び植林のジグザグを下って枝林道終点の登山口標識に着いた。轡野林道との分岐二又地の案内標識を見たら、権現山西の岩場巻道は500m標識鞍部まで黄色線で表示されていたのでほぼ水平に通じている様だった。又の機会があれば辿ってみたくなった。轡野林道を坦々と歩いて白山神社に帰着したのは計画より2時間も遅れていた。下山が早ければついでに美濃市の松鞍山もと欲張っていたが日没も早いので又の機会とし自宅へ帰着したら17時近くとなり一日仕事の山となってしまった。
 449m峰を結果として巻いてしまったのでひとり山・・さん紹介の松の木段々テラスや展望テラスに出会えなかったのが心残りだったが、未踏ルートを考えながら歩くのはやはり印象に残る徘徊であった。気ままな一人旅、終始人に会う事も無い久々の山はそれなりに満足出来た。権現山南面に見えた甘屋の点名象ヶ洞は近い内に行ってみたい。

写真 ①滝ヶ洞を仰ぐ尾根道  ②滝ヶ洞山頂  ③権現山山頂
 

おやす わら細工の飾り物

 投稿者:GG-  投稿日:2017年12月 9日(土)21時54分42秒
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   本年6月にみのハイクの仲間と出かけた南信州低山巡りの時、新井展望公園を経て庄田山 しょうだやま 966.5mを訪れた。そこの林道終点脇に祠があった。「下山後祠を御礼方々開けたが御幣が見えただけで祭神不明。祠前の注連縄の傍らに藁を編んだ珍しい形の筒状の花立?が有った。」と記録していた不思議な物体が「おやす」と言うものと判った。

 大町市在住の孫が世話になっている保育園で祖父母参観日が12/08に催され参加して来た。当日の子供との共同作業として地元ボランティアの指導で行われたのが「おやす作り」であった。(とても難しくて園児が出来る物では無く参加したジジババが悪銭苦闘。)
 その形状は庄田山で見かけた物と同じで「おやす」と言う神様に供える食器を象っているとか。当日はそれにシャモジを象った物も作った。信州の風習らしき説明だったが、指導者は「大町老人会流の作り方」なので違うと言わない様にと釘を刺されたので地域ごとに多少の変化が有るかもしれない。
 検索したら【「おやす」とは、門松や神棚に結び付ける藁製のかざりで、神様の食べもの を入れる食器の意味があるそうです。これを飾る風習は三遠南信地方や美濃などに残っ ているそうです。】 とあったが、大町でも実施され、美濃東部出身の自分には知らない物であった。

写真 ①庄田山の祠で見たおやす    ②保育園での作業   ③保育園での完成品

 

大町への道で

 投稿者:GG-  投稿日:2017年12月 9日(土)16時24分52秒
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  12/07所要で大町市へ向かった日の北ア風景。
伊那谷を走る頃は快晴の空に南アルプスの山々が美しく見えたので、PAに度々立ち寄って撮ろうとしたが何処も前景に邪魔が入って絵にならなかった。

写真
①安曇野SAから鹿島槍方向  ②御宝田遊水池から常念岳  ③大町郊外から北葛岳・蓮華岳

 

権現山(大野)225m 地理院地図計測標高

 投稿者:GG-  投稿日:2017年12月 4日(月)21時06分30秒
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   WEBでこの山の存在を知って数年が過ぎた。好天予報の12/02にみのハイクの仲間を誘って低山徘徊に出かけた。

 権現山は揖斐川町と大野町の境界尾根に位置し地形図に山名が記されているが標高表示は無い。WEBで各地の同名の山と区別して大野権現山とされていたので計画はこれを採用した。
 2014年のレポは墓地の駐車場から尾根に取り付いていたが獣害除けのフェンスが設けられて進入出来ない。近隣の民家で聞いたら転居間もないそうで柿畑で作業の人に聞いてくれと言う。墓地東で作業中のオッサンに権現山へ行く道を尋ねたら地元では山名は知られていない様で妙見様かと言われた。その道と答えたら「尾根先端の扉を開けて入れる、墓地駐車も可」との返事がもらえた。登山口が判ったので2台で牛洞坂へ向かい1台をデポして墓地へ戻った。オッサンに挨拶して尾根末端へ向かったら自転車で来て扉を開けて頂けた。仮締めをしておくとの事で下山後締める積もりでいたが失念してしまい申し訳無い事であった。
 尾根末端には灯籠の基礎が残っていて石段が続いていた。参道は地形図(庭園路等)に少し表示されている。倒木も多くやや荒れているが途中に妙見参道と彫られた石柱も見られ、尾根に乗ると南からの踏み跡が有ったので墓地からの道かと推定された。地形図の110m前後に鳥居と寺マークが記され参考にしたWEB記録にも廃寺写真が載っていたが今は壊された残骸のみであった。尾根芯の微かな踏み跡を進むと樹間の小さなコブ上に3等三角点清水114.5mが有った。ここからの尾根はしっかりした道となっていて所々色づいた木々の中を緩やかに登って行く。情報で見た古い椅子の並ぶ展望地?も立木が伸びて展望は無かった。金生山を望む場所を過ぎると時々樹間から池田山が望まれた。緩やかな尾根歩きが終わり50m標高差の急坂を終えると砲台状の権現山山頂であった。大きな根をむき出した倒木があるだけで三角点も標識も無い。山頂到着が計画より遅れていたのでここで昼食をとの提案が有ったが展望の122鉄塔で予定通り摂りたいとして、空身で山頂西下の三角点探しに下った。巡視路の筈なのに標識が無く落ち葉の広い尾根を適当に下る。WEBで5分程と思っていたが意外と時間を要し、緩やかなコブ上に4等三角点志津山182.1mが有った。三角点にタッチしてから健脚の仲間達に遅れてノロノロと権現山に戻った。山頂からはほぼ平坦地形を進み221m標高点で左折して鞍部へ急降下。途中の立木に熊の爪痕が見られた。160mの鞍部は山越えの峠道で明瞭な山道が東西に下っていた。僅かに登り返して待望の122鉄塔に到着した。西に展望が開け間近に色づいた権現山、彼方に池田山や養老の山々が望まれ風を避けた場所で至福のランチタイム。食後121鉄塔への標識に導かれ緩やかに登って行く。樹間の広い巡視路はプロムナード、121鉄塔の分岐を過ぎるとすぐの台地片隅に4等三角点小野255.0mがあった。WEBに牛洞山の山名標識が有ったと記載されていたが、何処にも見られず山名としても疑問に思えた。このピークから北へ進むと小野坂峠を経て城ヶ峰へ行けるらしく明瞭な踏み跡が見えた。平坦な尾根を10分程東進したコブを越えた南に120鉄塔。展望が開け東に大谷山や滝谷山がどっしりと見えていた。鉄塔から先の道が無いと先着した仲間達がワイワイ。地形図は送電線を横切る尾根が牛洞坂へ向かうので灌木を分けて強引に下ったら尾根道に合流できた。ルンルンの尾根を緩やかに下り牛洞坂直前でやや不鮮明になったが残置テープに導かれ北へ下ったらWEB情報通りの道路標識脇に出た。すぐ南が峠頂上で峠から大谷山山塊の野村山への遊歩道が始まっていて案内板が設置されていた。傍らの祠には一体のお地蔵様がおられた。デポ車で墓地まで戻り集合地の大野町役場で解散となった。
 この日巡った3ヶの三角点名=清水・志津山・小野はどれも山麓集落の名前であった。先人の踏破された記録を参考にさせてもらって短時間歩いただけで独創性無しであったが、好天の中を良き仲間達と未知の山々を辿れたのが嬉しかった。体力の無い今の自分にはこれで精一杯、次は何処を徘徊しようかなと次の機会が待たれる。

 

RE・探検ウォーク

 投稿者:GG-  投稿日:2017年11月29日(水)18時31分59秒
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  float cloudさん書き込みありがとうございました。

早速「土岐市探検ウォークブログ」拝見しましたよ。どえらい社会貢献に頭が下がりました。参加した子供達の興奮が伝わって来ました。

実家から朝晩眺めて過ごした「夕立山」は有志により登山道が造られたとの報道で、何年か前にひとりで点名駄知まで足を延ばしました。墓参の度に登山口前を通りますが今では荒れ果てていて残念です。ポランティアも一過性では駄目ですね。

日帰トンネルを検索していたら迷盤の日々さんの記録にヒットしておやおやでした。この○○にしてこの○あり とか。お二人とも立派なもんですね。

また探検ウォークの情報を拝見して小生も徘徊してみます。

駄知公民館の行事でお世話になったY氏は土岐市観光協会のエライさんとか。氏の持参されていた駄知線関連の貴重な写真集の中味を撮らせてもらい、電気機関車の懐かしい姿に興奮しました。
 

廃線ウォーク 駄知線を読んで

 投稿者:float cloud  投稿日:2017年11月28日(火)17時18分19秒
  こんにちは~、お久しぶりです。
お元気そうで、なによりです。
この廃線と夕立山(滝からのバリエーションルート)のセットで、今年の春だったか、「土岐市探検ウォーク第二弾」(土岐市観光協会主催)が実施され、その様子がブログ「迷盤の日々」に詳しく紹介されていますよ~。
ちなみに第一弾は、あの摩崖仏。第三弾は来月で、多治見境のあの丸山だそうです。
いずれも同ブログで紹介済みですが・・・。
 

廃線ウォーク 駄知線

 投稿者:GG-  投稿日:2017年11月28日(火)11時16分48秒
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   11/26に駄知公民館主催の掲題イベントに参加して来た。
 山神駅跡付近を見てから総合公園に立ち寄り県道66を戻って、橋台奥から竹薮の道を登ったがここは民有地で普段は通行禁止らしく今回は許可を取ったとの事。登り詰めると橋台の端でそこから手入れされた廃線跡ウォークが始まった。この道はNPO法人たぢもんフォーラムを立ち上げたK氏達が補助金をもらって整備しているそうだ。地理院地形図には記されていないのに廃線の狭い道がヤフーやグーグル地図に載っているのが不思議。コンクリート壁や何故か1本だけ放置されているレールを眺め、色づいた遊歩道的な道を進み山が迫ると日帰トンネルであった。近年賑わう定光寺のトンネル群には比較も出来ないがなかなか立派な煉瓦作りである。トンネルの長さは210mで170m辺りまで入れるらしいが入口から10m程に手作りの柵が設けられていた。北側の斜面に踏み跡が有りトラロープも張られ「標高差40m頑張れ」と励まされ山道を行く。僅かだが山登りそのもの。途中に有ったコンクリート柱は駄知線送電線の残骸とか。傾斜が緩やかになって巻くとガードレールの端から県道に出た。舗装道路を下った「だいじん」辺りが駄知側の出口だったらしい。道路沿いの石垣が駄知線の擁壁と言われたが低すぎてピンと来ない。ガイドされたY氏に見せてもらった写真集では深い堀割になっていたので、道路開設で埋められた高さが推定されて納得できた。
 日帰踏切跡から駄知駅を経由し終点の東駄知駅手前で2時間余の行程は終了した。

 駄知では防災訓練が当日行われたそうで、焚きだしの握り飯が残ったので食べて欲しいとの情報が届き全員が公民館へ移動し、思わぬ握り飯と豚汁をご馳走になった。

 駄知線開設に至る話題や中央線ルート決定は明治天皇行幸ルートを尊重したからなど新しい話が聞けて収穫であった。帰宅後検索したらマニアが沢山いて廃線ルートやトンネル情報が溢れていた。
 集合場所へ戻る道ではK、Y氏との久兵衛道路や大名道路(岩村藩の巡回路)の話が面白かった。20数名の参加者は駄知町在住者がほとんどらしく懐かしい駄知弁を聞きつつ、昔ながらの街中を歩くと60年前にタイムスリップした気分だった。

 

願興寺 十二神将展

 投稿者:GG-  投稿日:2017年11月25日(土)18時29分32秒
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   昨夜のNHKローカルで開催中と報じたので覗いて来た。重要文化財・願興寺本堂の全解体修理に伴う特別展とか。本年11月から約9年にも及ぶ工事になるそうで、これが見納めかもしれないので展示仏を拝観してから寺を参拝して来たが着工は未だだった。400年余も経過した本堂は確かに修理を要する状態と見られ、檀家7軒のお寺が総工費13億円のうち1億円を負担せねばならぬと保存会が動き出していた。

 帰宅後検索したら寺は立派なHPを設けておられ、詳しい寺歴や仏像紹介もされていた。拝観は出来なかったが今話題の運慶作と伝えられる阿弥陀仏もあるらしい。

由緒
○弘仁6(815)年 伝教大師(最澄)この地に施薬院(布施屋)を建立し、薬師如来像を奉納安置
○長徳4(998)年 一条天皇の勅願により、七堂伽藍が完成し、山号「大寺山」、寺名「願興寺」を賜る
○天仁元(1108)年、元亀3(1572)年に兵火により焼失するも近隣の人々により天正9(1582)年再興を果たす

追記
22日に訪れた関ヶ原歴史探訪時にガイドされた福島正則軍の先鋒隊長を務めた「可児才蔵」は美濃可児郡に生まれ幼少期を願興寺で過ごしたらしい。

 

松尾山 293.0m  3等三角点

 投稿者:GG-  投稿日:2017年11月24日(金)12時44分34秒
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   11/22にみのハイクの「おれんじの会」で関ヶ原古戦場巡りをして来た。リクェストに応えて松尾山登山?も行程に加えてもらったので感謝。民俗資料館見学を終えてスタートし最近開通したと言う戦国ロード(広域農道)を経由したルートで松尾山山麓駐車場へ到着。ここは東海自然歩道となっていて整備された道であった。道標は松尾山まで1.4㎞40分となってたが我々は休憩込みでほぼ1時間を要した。途中で冠雪の伊吹山を眺め黄葉も一部見られたがほとんどが植林と雑木で感動は無かった。ボランティアガイドの今井さんの話では元々松尾山は関ヶ原以前に築城された山城で小早川はそこを占領して陣を構えたとの事。城郭跡の所為か山頂部は平坦になっていて、三角点乞食としては三角点確認が先なのでガイドさんに位置を聞いたら先着の仲間が教えてくれた。そこは城郭の北端の展望ベンチ脇であった。ガイドさんは山頂を通過して南へ進むので付いて行く。途中城郭の説明が続き、枡形(ますがた)と呼ばれる虎口や土橋の遺構を教えてもらう。南側が大手であったらしく左右の出丸へも案内したい様な雰囲気であった。山頂に戻り関ヶ原を見下ろしながら合戦場の説明を聞いた。小早川軍は一斉に大谷陣へ雪崩込んだとの知識であったが、史実は狭い道を西側に下り大谷軍の背後から攻撃したらしい。徳川勢からの催促鉄砲も能力から弾は山頂へは届かないとか。
 下山後大谷吉継陣跡の松尾山眺望地で昼食を摂り、開戦地、島津義弘陣跡、笹尾山・石田三成陣跡、陣馬野を巡り15:00現地解散となった。
 20年位前に戦跡巡りウォーキングをした筈だが記憶はほとんど無く、懇切なガイドさんのおかげで戦国に想いを馳せる事ができた。お世話願ったHリーダーや仲間に感謝の一日となった。

写真 ① 松尾山三角点  ② 大谷陣跡松尾山眺望地  ③笹尾山解説板

 

永源寺と湖東三山

 投稿者:GG-  投稿日:2017年11月24日(金)12時21分10秒
   高校同窓生恒例の紅葉探勝は掲題の寺巡りとして11/20に行われた。
 紅葉名所として名高いが8名の参加者でも全部参った人は無く、初体験の自分を含め見頃の紅葉を満喫して来た。
 いずれの寺も山の中腹に有るので思わぬウォーキングを強いられたが、苦労して登った先には絶景が待っていた。

 

低山徘徊と権現山リベンジ

 投稿者:GG-  投稿日:2017年11月 8日(水)16時09分4秒
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   7日は好天予報となり、3日の池田山散策時も体調は良かったのでみのハイクの双葉30山巡りの日とした。今回は10/31の各務原権現山の下山ルート誤りが悔しくてのリベンジも予定していたので単独行とした。
 岩田山はWEBで三峰山を含めたサークル登山情報を得てみのハイクの仲間と2012/12と2013/3と続けて登っていた。舟伏山は1998/6にクラブ山行(小津権現の転進?)の金華山雨中登山終了後、雨が上がったので単独で西の水道タンクルートから登ったのが初。2度目は2003/10にみのハイクのバーベキュー大会前にN氏にCLを願って同じルートから登った。山頂東の鉄塔付近からの眺望が開け、彼方の山が岩田山、その先の兔走山(うそやま=続ぎふ百山より)まで縦走可能と山名と共にS氏から聞いた記憶がある。その時は岩田山が随分遠く感じられた。
 みのハイク会報20号の双葉ガイドを参考に千鳥橋南の変形交差点から300m程竹林の道を走る。登山口の巡視路標識を50m程過ぎた竹林西端の小広場に駐車。ガイドの御鍬神社は見当たらず巡視路へ戻って入る。4年前の記憶は薄く急坂の竹林を抜け植林、雑木と植生が変わるシグザグ道を喘登。やっとの思いで26鉄塔に着いて小憩。やや色づいた木々の彼方に舟伏山、金華山、長良川を眺める。背後の小さな岩田山への標識を見て尾根を登る。途中に岩田春日神社への標識が有り薄い踏み跡が見えた。前回通った時は気付かなかっただけだろうか?。里山はバリルートが多い。岩田山山頂270mには大きな板の山名標識が有ったが最高点は立木にビニール紐だけ。春日神社方面への地形図破線の道を確認したら薄い踏み跡があった。展望も無いので早々に舟伏山へ向かう。岩田坂分岐を懐かしく見て初めての道を下って鞍部へ着くと鉄塔巡視路分岐、樹間の小ピークを二つ越えると右への踏み跡が有り地形図の日野北への破線路だろう。60m程の標高差の登りはかなりきつく感じられ、29鉄塔からは平坦路となり蛇首塚を過ぎて僅かな距離の路傍に舟伏山三角点262.0mが有った。地形図と点の記は舟の字が異なる。山名標識も無い不遇の里山で途中でも案内は皆無であった。展望も無いのですぐにUターン。雨乞い伝承の有る蛇首塚は4本の石柱に囲まれて神域の雰囲気。29鉄塔でひと息入れたが樹木の成長で展望は無くなり岩田山の山容確認できる場所は無かった。南の展望地を過ぎて急坂を下る。日野北へのルートを下った方が駐車地は近いと思ったが、ルート情報も無いので次の目標に備えて安全策の巡視路ルートを下る事にした。巡視路は岩田山を巻く緩やかな下り道なので楽観していたら通る人も少ないのか細くて荒れ模様の道が続いて難渋した。26鉄塔で小憩を終えて林道へ戻り、林道北の竹薮を進んだが民家近くまでにも御鍬神社は見当たらずUターン。車にザックを下ろして少し西の石柱へ行ったら石段が有りその上に祠が有ったのでこれが御鍬神社だろう。帰宅後神社庁のHPを検索したが日野の神社はヒットせず、各地の同名の神社は豊受姫神など農業神が祀られているので同様と思われた。クラブガイドを踏査記録されたF氏の所要時間は計95分、自分はのんびりとは言え3時間程要し、彼女の韋駄天ぶりは参考にならなかった。以前に2回集合場所とした兎走山トンネル東の小公園に寄り背中を乾かしながら昼食を摂った。

 記憶も新しい秋葉神社から歩き始め前回谷を横切った先に東登山道の標識を見つけておやおや。その先で下山のオッサンに出会い東尾根ルートの情報を聞くと親切に幻の滝ルート事も話してくれた。言われた通り右山にテープの下がった明瞭な踏み跡が有った。すぐに鞍部に達し踏み跡が北の植林内に続くので辿ったが高度が下がるのでUターン。鞍部右手の微かな気配に誘われて踏み入ったらすぐにヤブ山、これは断念かと踏み跡へ戻ったら鞍部南で見落としていた明瞭な踏み跡を発見した。多少ヤブ道かもと赤布を準備していたが不要の道でヤレヤレ、途中で二人下山者に出会ったのでかなり知られたルートの様だ。100m程の標高差の道は疲れの出た体にはしんどい。樹間の道は展望は無く山火事で黒く焼けた木も散見された。230mのピークは北側から回り込んでいた。ピークの南を巻く場所に荒れた踏み跡が見られWEBで見た岩の道かと思われた。平坦な巻道になったので小憩。平坦な樹林帯を心地良く進むと又緩やかな登りとなり南が切れた展望地が有った。その先が31日に通過してしまったわらび道との分岐であった。わらび道は明瞭な踏み跡になっているが尾根道入口は枯木が数本横たえられていて進入を防ぐ雰囲気になっていた。前回も気付いたが横木が印象に残り下部で巻くかもと思っていた所。ゆるゆると行くと無人の権現山317m山頂に着き展望台東屋で小憩。天気が下り坂のせいか遠望は効かなかった。立冬と言うのに朝から汗だく、東屋の温度計は21℃を示していた。東尾根ルートは確認出来たので東屋の幻の滝(大雨の後だけ出現)写真や登山口で会ったオッサン情報で下山路を変える事にした。山頂南東の踏み跡気配は幻の滝への道かも?。参道を難渋しながら下る途中遅い時間なのに女性登山者に出会った。WEB情報では幻の滝案内標識が見られたが先日も見当たらず、左への踏み跡を探しながら下る。二ツ岩を過ぎた左の明瞭な踏み跡へ入ったら谷へ下る途中に「幻の滝」標識を見て安堵。急坂を下り谷を越えた左岸を上流に暫く登ったが踏み跡も不明瞭となったので断念し下り始めた。時々不鮮明になる踏み跡を探しながら下ると右手に滝状の岩場が有ったが標識無しの為幻の滝とは確認は出来なかった。下部の堰堤で持田洞の名前を知ったがこの谷は山火事被害が無かった様で大きな木も沢山有って深山幽谷の雰囲気がありなかなかのものであった。岩場ルートの標識脇は急坂に薄い踏み跡が見えた。堰堤工事の道が現れ緩やかに下り秋葉神社へ帰着。前回は登山道からの参拝だったので石段を登って参拝。右にも祠が有るのでついでに立ち寄り、恐れながら扉を開けさせてもらったら丸い自然石に仏像らしき姿が刻まれていた。権現山(各務原)はバリルートを二つ辿れて前回のリベンジが叶い満足山行となった。

写真 ①岩田山 ②舟伏山 ③各務原権現山
 

低山散策 2座 池田山・古城山

 投稿者:GG-  投稿日:2017年11月 5日(日)12時01分48秒
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   10/31に出かけた八木山の筋肉痛が癒えず2日間おとなしくしていたが、11/03は余りにも好天になったので家にいるのももったいないと足の痛みを考慮して登り残しの双葉30山で最も楽な2山へ急遽出かけた。
 東海環状道の大垣西ICまで走れば近いと多治見ICへ入ったら一宮周辺の渋滞情報、やはり連休の行楽日和であった。渋滞は適わないので小牧東で下り(250円)尾張バークウエイ、21号経由で道の駅池田温泉へ。ここまで走るだけで2時間も要した。小憩を終えて林道を登り池田山森の駅の駐車場に到着。木々は紅葉を始めていて今年の春同様に伊吹山はデンと横たわり、何時かは池田山から林道沿いの三角点巡りをしながら登ろうと思っている高天神919mが望まれ、養老山地、鈴鹿、霊仙山が青空の下に雄大な姿を見せていた。
 池田山は1995/4に花見を兼ねて霞間ヶ谷から友人達と初登頂、みのハイクで2008/1に登り、2016/1のクラブ山行では大津谷ルート登り始めに体調不良となり揖斐病院へ一晩検査入院した因縁の山。もう無理は出来ぬので楽々ルートのピークハントとした。昼食は戻ってからとして尾根に取り付こうとしたら作業中のオッサン達がいて挨拶。案内を見てと言われたので読んだら、垂井側は私有林で地主達が登山道整備をして来たが高齢の為、登山者に来年から協力金を募りその金で整備したいとの事であった。告知板によれば垂井側は大滝山と言うらしい。又高天神への思いがあるので林道池田-明神線の通行可能時期を尋ねたら12月中頃までとかで「高天神」は急がねば。
 登山道を僅かに登ると色づいたシロモジが陽に映えて美しい光景。喜んで進んだらすぐに植林の尾根道となりあっけなく池田山山頂923.7mへ着いた。三角点を撮って展望台へ上がったら先客2名、気温が高いせいか遠望はいまいちで樹木の成長で限られた方向のみで早々に退散。森の家Pに戻り車からコンロを出して食事準備、家に転がっていて持参したカップ麺の蓋になんと「誕生日おめでとう」の文字が入っていて驚いた。偶然の一致だったが1971年9月18日に発売した世界初のカップ麺「カップヌードル」46周年バースデー記念パッケージであった。なんか自分の誕生日を祝ってもらった気分。食事後展望を楽しみつつ隣に駐車の金沢ナンバーのオッサンと会話。全国を軽で巡っていてパワースポット巡りをしているらしい。友人のS君同様奇特な人で富士山が一番霊気を感じるとか。挨拶を交わして次の目的地古城山へ向かう。林道下山中に再開されたパラグライター飛行を間近に見た。

 はじかみ林道入口辺り地名をナビでセットしたが30数キロ表示だったのに1時間40分も要した。古城山は1999/3に単独で南面から登り、近年クラブ有志とはじかみ林道からの最短距離を登っているがみのハイク双葉30山制定の2014年以前の事で記録が見当たらず時期不明。登山口の案内板で金鶏山とも言われる事を見て今年の干支の山だった事に気付いた。時間も遅かったが短時間の山なのでゆるゆると登る。こちらは標高が低いので池田山の様な紅葉は見られなかった。記憶では稜線に乗った地点を右に登ったのに帯曲輪稜線から案内は左を指している。これは周回道かもと思い込み倒木で止められた右の尾根を登ったら登山道標識の360mピークで西に高いピークが見えていて誤認に気付いた。山頂直下の祠や大桑城の由来碑?らしき背後を登ると記憶の三角点407.4mが有った。林道走行中に見た標識の先の城山展望台は遙か下に見下ろせてわざわざ行く気も失せた。ミニ天守前で展望を楽しみ休憩後下山した。

 気温が高かったので濡れたシャツを着替えて帰宅準備。ナビで自宅をセットしたら美山町方向からが最短だったので未知の林道を北へ下った。林道終点に古い地蔵が鎮座しておられ、整備された林道以前に古い峠越えの道が有ったかも知れない。椿野は高富の地名、はじかみ(生姜)?の地名は美山町側に有るのだろうか?。検索しても「はじかみ」の由来は解らなかった。

写真 ①池田山山頂  ②森の家Pから伊吹山  ③古城山山頂

 

低山徘徊 権現山 八木三山

 投稿者:GG-  投稿日:2017年11月 1日(水)21時01分0秒
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   今年は5月末に東洞岳単独行以降は体調不良、天候不順等悪材料続きで山から縁遠くなってしまった。8月末にみのハイク有志で鉢伏山の超軽山行を最後に途絶えていた。10月例会時にI氏から山行リクエストをもらったので久々に双葉30山の登り残しを消すべく計画し昨日登って来た。各務原権現山は2012/1のクラブ山行、八木山は2000/10のクラブ山行以来で2014/4からの登頂とする双葉30山みのハイク表彰対象外であった。
 権現山の初は98/02に現在の南登山口から登り、北山、芥見権現山を経ていた。古いメモや記憶では山頂の祠裏に標高319.3mの標識が有り樹間の踏み跡を辿って北山へとなっている。2002年4月5日の山火事以前の記憶が僅かに残っていた。
 今回はWEBで調べた東登山口からのルートを辿る事にした。秋葉神社広場からスタート直後右手に秋葉神社、その奥は下山ルートかと確認して左折し階段道を登った鞍部が南登山口との合流点。体調を考えてゆっくり先頭を歩かせてもらう。ほぼ20年ぶりの道の記憶は無く一つ岩、二つ岩を経由し山頂への石段を喘登して多度神社の祠に到着。祠前に山頂標識317mが立てかけられているが背後の方が高くそこには標識は無い。展望東屋を周回して体調回復を待ちつつ休憩。
 下山は山頂から東に派生する尾根を辿って登山口へ戻る計画としていたが、赤布や明瞭な踏み跡に惑わされ辿ったらジグザグに急下降、これは道が違うと気付いたが登り返しも面倒でそのまま下った。林道に出合った南には小さな滝が有った。帰宅後地形図を見たら北山308m東の谷末端で老洞峠間近な場所と推察された。(各務原トンネル表示位置)標識も無くWEBにも紹介されていない魅力に欠けるルートを登る人が有るのには驚いた。(後日調べていたら「わらび道」として紹介されたWEB資料にヒットした。)緩やかな林道歩行後ゲートを越えると県道沿いの廃業喫茶「峠」、右折して駐車地へ戻った。
 ナビをセットして八木山小学校裏の駐車地へ。八木三山は98年以前にみのハイク有志と登っているが記録が見当たらず時期不明。東登山口標識から階段を登ると樹間のジグザク道となり傾斜もきつくないので助かる。所々御嶽教の碑が有り稜線標識から右へ岩場を登ると山頂標識296mに出会った。南に大きな御嶽山大権現と駒ヶ嶽山大権現の碑が有る。日陰を探して昼食を摂る。食後北尾根を僅かに進んだ展望地で山々を眺めた。岩場の道を鞍部まで下り登り返すと緩やかなピークに双子山248mの標識、地形図では山頂丘西端に247m標高点が有るのでWEB上もこの標高表示多い。岩場の急登から八木山を振り返り僅かで愛宕山山頂268.5m。この日唯一の三角点脇には「天御中主大神」ほか神話の神々名が刻まれた碑が有る。小憩後西登山道から下山開始、このルートは数ヶ所の岩場から展望が得られたが記憶に残っていなかった。愛宕神社奥社へ立ち寄り巻道の鉄塔を経由して登山口へ。団地が見下ろせる場所から最近通行可能に戻ったらしい「すその道」を進む。真新しい堰堤下部(藤谷)の標識に導かれて樹間に入ったら登り道となり閉口、最後は下り道となり駐車地へ戻れた。団地内歩行より快適だろうと歩いた「すその道」は起伏が多くなかなかしんどかった。権現山のロスタイムを含め自分ののんびり歩行で下山時間が予定より遅れてしまい、同行願った仲間に申し訳なかった。
 前日は木枯らし1号と報じられ台風級の強風が吹き荒れたが、当日は好天に恵まれTシャツと長袖腕まくりで歩けた。何度も訪れた山々なので大展望にも感動は薄かった。
 権現山の下山ルート誤りが悔やまれて何時かはリベンジせねば。久々で低山なのに不安を抱えつつの歩行であった。
 双葉は残り10座となりなんとか年内に終えたいものだ。

写真 ①権現山多度神社  ②八木山北尾根から愛宕山方面  ③愛宕山山頂

 

山の話と播隆さん

 投稿者:GG-  投稿日:2017年10月22日(日)15時06分20秒
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   槍ヶ岳開山で名高い播隆上人の命日10/21にあたり毎年行われている太田宿小松屋の夕べの講演会の案内を頂戴したので昨夕参加して来た。台風襲来前の雨模様なのに会場は満席の盛況であった。
 講師はネットワーク播隆の世話人でもあられる纐纈具幸氏。

 講演内容は播隆さんが文政6年(1823年)に笠ヶ岳再興を果たした時に整備された幻の登拝道を探す体験談であった。

 笠ヶ岳は文永年間(1264年~)に本覚寺の道泉禅師や元禄年間(1688年~)の円空さんや、天明2年(1782年)の南裔(なんえい)禅師一行の登拝記録があるそうだ。播隆さんは途絶えていた登拝を再開し、開設した笠ヶ岳まで9里8丁の道に阿弥陀如来像を一里塚として8体設置された。昭和の後半から飛騨山岳会、上宝郷土研究会や纐纈氏などの個人的な調査が長年続けられているがそのうち5体は発見されたが3体が不明の為4番目から8番目に至るルートが不明のままになっている。
 今回はその幻のルート探索のために纐纈氏が実際に笠谷を遡行された体験談でとても興味深い話であった。播隆さんが残された「迦多賀嶽再興記」の資料は以前ネットワーク播隆さんから頂いていたがまともに読んだ事が無かったので解説入りの朗読も面白く、探査時の写真などを投影して頂いたので登拝道のイメージが膨らんだ。往時の大衆の信仰心に驚きを感じながらの充実した講演内容であった。

①講演資料
②講師
③示された地図の赤線が笠ヶ岳に至る推定登拝道ルート どれかは幻のまま

 

久々の山の空気

 投稿者:GG-  投稿日:2017年10月11日(水)17時58分23秒
  体調不良やら天候不順、諸々の行事等に追われてスッカリ山とのご縁が途絶えてしまった。

先日、高校クラスメートと出かけた喜寿旅行で草津温泉から志賀高原を抜け、遙かなる山々を眺めて少しは癒された。

2枚目 嬬恋村から
3枚目 志賀草津ルート国道最高点から
 

ドライブの山々 4座

 投稿者:GG-  投稿日:2017年 8月29日(火)16時59分3秒
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   昨年の夏はフラフラになりながらもなんとか「ニュウ」や「将棋頭山」へ登れたのに、秋以降入院騒ぎ等アクシデント続きで体力も落ちた。山恋しの気分は未練たらしく衰えず、体力相応の遊びができないかと模索していた。そんな中で数年前に雪の大城山をSさんの供で訪れた時に未踏に終わっていた鶴ヶ峰を思い出した。ドライブで行ける高ボッチや鉢伏山を加えた山行をと考えていたが、8月の天気は不順続きで機会が無く予報を毎日検索していたら8/27日曜日のみが好天と判り仲間を誘って出かけた。
 伊北ICから辰野へ入ったらナビが違う方向を示しウロウロ、民家で確認して大城山への林道へ入った。大城山直下へ車で行ける筈なのにゼロポイント標識からの道はヤブめいていたので違う進入路を期待してそのまま走ったら舗装が切れ間もなく鶴ヶ峰へ着いてしまった。道路終点に鉄製の展望台があり登ったら360度の展望が開け、槍・穂高連峰が見えたので感激。南の大城山の彼方には伊那谷が左右の山脈を挟んで望まれたが靄っていたのは残念。しばし展望を楽しみ途中の「日本中心の標」に立ち寄った。刻まれた1277m標高は誤りで、僅か南に1277m標高点ピークが有るが、地形図では1270m等高線の展望台位置が鶴ヶ峰になっていて計測したら1276.4mと出た。山頂到達の感動ゼロで林道を北へ向かう。泥濘の林道は次第に高度を下げたが途中2ヶ所で倒木に阻まれ、除去と脇を難渋して通過。尾根通しの道も有りそうだがやばい林道回避で「しだれ栗公園」へ出て舗装道路となりホッ。勝弦峠からは公園脇の快適ドライブとなり、国道20に合流し塩尻峠を越えて標識に導かれスカイラインに入った。 牧場を左に見てアルプス展望広場の第2Pへ到着。好天の日曜日とあって観光客も多かった。ここからも槍・穂高連峰が望めしばし展望を楽しんで高ボッチ山へ。遊歩道はチップが敷かれて快適。ハクサンフウロやマルバタケブキは多かったが他の花は少なかった。次の目標鉢伏山を眺め、標柱前で集合写真を撮り諏訪湖を見ながらランチタイム。涼風と群舞するアキアカネが心地良い。南八ヶ岳方面は雲が多く諏訪湖の彼方に見える筈の富士山は靄に隠れていた。山頂の標柱は1664.9mとなっているが、地形図は1665mと記載され三角点表示も無い。1974年以前は1664.9m3等三角点点名今井が有った様だが現在は亡失状態で点の記も表示されない。塩尻市のHPも1665mとされているので記録はそれに従った。
 鉢伏山荘Pもかなりの車が有り500円の駐車代を払う。本で知った前鉢伏山を目指したが絵地図案内を感違いして1850m台地に上がってウロウロ、境界の白杭を三角点位置と誤認して徘徊20分程のロスタイム、地形図を確認して道路へ戻り隣の1840m丘を巻いて北へ進んだらた前鉢伏山への標識に出会った。標識からは草むらの中の平坦路で小高いマウンドに三角点(1836.4m)が有った。鉢伏山や美ヶ原を間近に眺め三角点北側広場が休憩地となっていて腰を下ろして水分補給をした。 往路を戻り分岐標識から鉢伏山へ向かったが、緩やかな登りなのに息切れで路肩の丸太でしばらく休み、ヨタヨタの牛歩で登り詰めたらひっそりとした鉢伏山1928.8m三角点台地到着。犬連れの観光客に写真を頼み緩やかに下った展望台脇のベンチで諏訪湖を見下ろして休憩。雨乞い遺跡へ仲間を案内し鉢伏大神も立ち寄り、下山は途中の小屋からのショートカットを考えたが、悔いを残さぬ様にと登りに通過した見晴台ピークへ立ち寄ってから駐車地へ戻った。
 天気予報が3時頃から曇となっていた通り晴れてはいてもアルプス方面は雲に隠れた。帰路に薬師平茜宿で入浴を済ませ帰途についた。高速途中で渋滞情報も出ていたが「神坂PA」で休憩後も渋滞皆無で美濃加茂へ帰着できた。
 おかげさまで今夏のラストチャンスの晴天に去りゆく夏を体験でき同行願った仲間に感謝。

写真 ①高ポッチ山 ②前鉢伏山 ③鉢伏山
 

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