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花見ドライブ

 投稿者:GG-  投稿日:2018年 4月18日(水)14時46分58秒
編集済
  桜とハナモモ鑑賞に昨日旧友達と昼神温泉方面へ走って来た。

写真 ①寺のガラスに映える夫婦桜  ②黒船桜  ③駒つなぎの桜

 
 

八曾山 326.9m 

 投稿者:GG-  投稿日:2018年 4月16日(月)20時32分38秒
編集済
   本年1月のクラブ山行を終えた時、亀割駐車場でボランティアグループ「犬山エコアップリーダー」の皆さんに会い、色々話していたら24標識から21標識へ繋ぐ新しい道を造ったばかりとの情報を頂いた。ツツジが綺麗とも聞いていたので、前夜来の雨が止み急速に天候が回復した4/15の午後に急遽出かけて来た。
 亀割駐車場に着いたら数台駐車中。周囲のヤマザクラは既に散っていて林道脇のツツジも色あせた中を歩く。山の神に挨拶して外周路を進んで10番標識から入山。24標識へ着いたが案内板に新しい道の表示は無く周囲を見ても5番へ南下する道と23番へ西進する道しか無かった。方角的に西なので23番方向へ6分程進んだら南方向への道が別れていた。歩道の左右に伐採した小丸太が横たえられ比較的新しそうに見えたので進んだが、植林尾根が続き湿原展望テラスの南へ出た。何処にもつつじは見られず聞いた話と違っていたので新道では無いかもしれない。記憶の歩道を南下したら湿原南端を経て4標識に出会った。シデコブシの残骸が数輪残っていた。
 ルート探索目的は済んだが折角なので八曾山頂へ向かう。新緑の美しい山頂周囲の石垣を反時計回りに進み西側へ回ったら今年も新緑の森が眼下に見られた。何度見ても飽きない絶景、犬山の樹海と名付けたい程お気に入りの場所である。今年もこの光景を眺められたと感謝しつつ暫し酔いしれた。背後の踏み跡を登ったらま新しい山名標識が括られ三角点の背後に出た、崩れた祠前の岩に腰を下ろして小憩。見上げればコナラの若葉が青空と白雲の下に輝いていた。なんと優しい色彩なんだろうと見慣れた樹木なのに感動した。再度展望地へ戻り絶景を眺め周回して山伏の滝ルートへ向かう。枯れ松の展望地からも樹海の彼方に高社山や弥勒山が美しく聳えて見えていた。山伏の滝へいつもと同じルートでは面白みが無いので、標高250m付近のカーブから右手樹間の薄い踏み跡へ入って下った。次第に踏み跡が不鮮明になり適当に樹間を辿ったら沢に出た。八曾の奥入瀬と称されるいつもの沢であったが、位置確認の為少し下流に進んだら数分で山伏の滝上部の16標識に出合えた。現在地確認が出来たので奥入瀬を遡行したが日陰光景で色彩はイマイチであった。いつもは19標識から左の山への歩道を登るけど、湿原西の21標識に24標識から道が繋がっているか確認したくなった。19標識から5標識へ登りかけたが渓流の先の確認もしたくなり戻って沢沿いの薄い踏み跡を拾って進んだら僅かな時間で中央横断道に合流しシデコブシの先で4標識に着いた。21標識の右手には明るい湿原が拡がっているが湿原横断の道は見られず、ミツバツツジが少々咲いていたのでこの事をボランテイァさんは言ったかもしれない。21標識から湿原西を進み湿原の北端を横断するとハルリンドウが数輪、ショウジョウバカマの脇に咲いていた。その先の23標識から西の植林内を進んだら9標識の外周歩道へ出た。駐車地へ戻ったら車は2台のみであった。3時間余の短時間だったが収穫の多い散策に満足して帰路についた。

この日の収穫
①24標識からの新ルート(多分)を歩けた。②山頂西や枯れ松からの新緑の樹海を今年も眺められた幸せ。③滝上に至るバリルートを歩けた。④19標識から僅かながら渓流上部が確認できた。

写真 ①八曾山から犬山の樹海  ②山頂  ③八曾奥入瀬

 

アカヤシオを訪ねて 納古山633m

 投稿者:GG-  投稿日:2018年 4月11日(水)12時33分45秒
編集済
   4/2に地元の浅間山でヒカゲツツジの咲いているのを見て、納古山のアカヤシオに思いを馳せていた。
 天気予報は11日は雨、10日は快晴なので10日に数年来懸案としている大牧谷川東の尾根を辿ってみる予定とした。ところが前日に元同僚の訃報が入った。2016/4の南尾根からの記録を読み返したら山頂まで4時間余を費やしていて、通夜に間に合わなくなる可能性も有るので短時間で済む前年のルートを単独で行く事にした。
 美濃加茂の牧野への通勤車両で思わぬ渋滞に遭ったが信号を抜けたらスイスイ。川辺で食料調達して木和谷林道へ入る。案内標識辺りに数台駐車しており上は満車かなと心配しながら走る。中級コース登山口周辺はほぼ満車、準備中の登山者も多数でこの時期の人気が判る。帰途を考えて前年同様終点までと走らせたら林道工事で旧終点手前で通行止、幸にも駐車ゼロだったので狭い道幅でUターンし路肩に駐車した。
 町境尾根を目指して10分程下り中級コース入口でバッタリと準備中であったみのハイクの仲間達に出会いオヤオヤ。自分の予定コースに同行しても良いと言われたので町境尾根を先導させてもらった。静かな尾根では今年は誰にも会わなかった。大牧谷分岐で小憩、自分のペースで登りたかったので元気な仲間には先行願ったらあれよあれよと引き離され一人歩きとなった。天空岩標識が去年も有ったかなと思いながら晴れ渡った御嶽山を眺めた。ヒカゲツツジの群落に感動しながら登り、第二展望台で今年も絶景を眺められ至福の時を過ごした。少し高度を上げたら満開のアカヤシオに出会えてタイミングが良かったのを喜んだ。初級コース合流点のアカヤシオを眺め鞍部へ向かうと今年のミツバツツジは未だ満開状態を保ち右手のツバキの赤が鮮やかであった。納古山山頂はどうせ登山者で満杯だろうと思われたので先にアカヤシオの620m峰へ向かった。到着したら先行したクラブ仲間が花の下のテーブルで昼食を摂ろうとしていたタイミングであった。相当時間差が有ったと思ったのにそれ程遅れず、山頂回避は誰も同じ思いと驚いた。ベンチの隙間に席を空けてもらったが、前年無粋なベンチと非難したのに今年は満開の花がテーブルに懸かる程の贅沢な席に座らせてもらって感謝となり我ながら勝手さに呆れた。10日程前にも来た登山者は未だ開花前だったと話していた。昨年は19日に来ていたのでやはり今年の開花は早かった様だ。至福の花見ランチを終えて山頂へ。朝は靄って心配していたが最高の天候となり大展望を楽しんだ。恵那山の左にボンヤリ白いのは南アルプスだろう。くっきりの中央アルプス、御嶽山、乗鞍岳、その左の白い遠景は北アの一画(帰宅後映像拡大したら槍ヶ岳方面にも見えたが?。)、白山・別山も雄大であった。好天と花と展望 何度も花の時期の納古山を訪れてるがこの日が最高の様な気がした。

 下山は西尾根斜面のヤマザクラ遠景を眺めつつ初級コースを下った。鞍部下のカエルの声は未だ小さかった。植林内の深山幽谷の雰囲気だった登山道も、途中標高310mの谷合流地付近から林道工事で変わり果てた景色となり工事中の林道を15分も歩いて駐車地へ戻った。数年は工事で進入が阻まれるかもしれないし、落ち着いた光景に戻るにはかなりの年数が必要だろう。
 仲間達は七宗道の駅でコーヒータイムをとるがと誘ってくれたが、通夜の準備も有るので失礼して帰途についた。

写真 ①第二展望台絶景  ②620m峰アカヤシオ  ③納古山山頂から中央アルプス

 

クラブ山行 松鞍山・平成山・高曝山

 投稿者:GG-  投稿日:2018年 4月 9日(月)21時46分12秒
編集済
   新年度第1回みのハイクの例会山行としてクラブ推薦の双葉と若葉の山が企画されたので参加させてもらった。松鞍山は2月に個人山行で訪れたばかりだが、平成山は2001/4/22のクラブ山行以来であり平成時代も来年までなので訪れておきたいと言う気持ちがあった。暫く暖かい日が続いたのに寒の戻りとかで寒い朝、美濃加茂で4℃の表示を眺めて集合地の関へ。
 松鞍山の登山道は桜の花びらが敷かれた様になっていた。鞍部へ着くと西の山々が白く見えひと雨来るかと感じていたら一時雪が舞った。松鞍神社へ着き参拝後松鞍山316.2m三角点に立ち寄り前平山へ。天気も急に回復して展望も良くなっていた。下山は南への緩やかな尾根下り。雑木の新芽の美しいこの尾根を下るのは2002/10のバーベキュー大会以来で懐かしかったが山麓の神社の記憶が無かった。尾根の先端間近の通行止横木から急斜面を下ると小さな祠が有り参拝、下った県道手前の鳥居横に微かに御嶽神社と読める立て札があった。県道を少し歩いて駐車場へ戻り、運転手だけ靴を履き替えて道の駅平成へ移動し休憩。
 県道58から平成谷沿いの狭い林道へ入ったが先頭車が登山口への分岐を見落として鋭カーブで気付き苦労してUターン。分岐林道へ先行した車から全部駐車は無理との伝令が来たので我々は分岐の路肩に駐車した。靴を履き替え最後に仲間を追ったが登山口までの急な車道で早くも疲労気味となった。全員揃ったところで登山開始。記憶は失せていて僅かな距離の階段急登が辛かったが巻道になってヤレヤレ。尾根に乗って緩やかに北上すると狭い平成山381mの頂上で記憶通りの樹林の中で展望無し。又来る事は無かろうと思いながらも魅力ゼロの山頂は早々に退散。平洞への急坂はしんどかったが路傍の満開のミツバツツジに慰められた。狭い点名平洞424.2mは31名の仲間で溢れた。目標の高曝山は遙か先で前途が不安になった。小憩を終えて緩やかな尾根を南下、東へ方向が変わると57鉄塔まで又急な下りであった。鉄塔からは南北に展望が得られるがゆっくりする間も無く前進。二つ目のコブ440m峰は南側斜面を巻いていて苦労が無くて助かった。数個のコブを越えて17年ぶりの高曝山457mは相変わらずの樹林の中で標識とケルンが有った。山頂南の僅かな切り開きは日が射して暖かそうなのでそこでツツジを眺めながら昼食を摂った。日陰は寒さが強いのか予定時間より少し早く下山開始の声。名残を惜しみつつ周囲を眺めたら切り開き東面に武儀権現山らしき姿が見えた。
 57鉄塔で休憩時西に反射板の大仏や本城山、古城山などを眺め、平洞への登りと急な下りを終えて登山口へ帰着。帰路の平成自然公園でコーヒータイムを終えリーダー挨拶を頂いて解散となった。
 高曝山の17年前の記憶はほとんど消えていたが、楽々登れた様な記憶に比べ今回は意外に手強く感じたのは体力の衰えのせいだろう。

関へ帰着したら当日福井県境の小白山へチャレンジしたクラブ仲間に会えた。天候を聞いたら50㎝の新雪でラッセルに苦労し杉山までしか行けなかったとの事であった。野伏ヶ岳も見えなかった程の悪天だったらしい。我々がちらついた雪に驚く寒さだったので石徹白で雪は当然だったかも。又のチャレンジをと励ましておいた。

写真 ①平成山山頂  ③高曝山山頂

 

美濃一人さん ありがとうございます

 投稿者:GG-  投稿日:2018年 4月 7日(土)11時16分44秒
編集済
  いつもご教示ありがとうございます。
境界が昔の地形図と違っているとは驚きました。最近の地理院地図でもかなり誤りが有ると聞いていますので過信してはいけませんね。

体力も無いのに地形図を眺めていると次々未踏のピークが気になります。意外な所でも検索すると誰かが登っていて羨ましくなります。いつまで登れるか判りませんがボチボチ懸案を消して行きたいと願っています。

教えて頂いた象ヶ洞も未だ。仲間から高社山西の谷をとの声もあり最近北小木の歴史に興味を持ちました。明治初年に南小木村があったとネット情報を得たので近々多治見図書館へ出かけてみようと思っています。

4/3に先輩と花見ドライブに出かけました。八百津→中野方→蛭川→苗木と走る路傍に時々黒瀬街道の標識を眺め美濃一人さんのご苦労を偲びましたよ。

苗木さくら公園からの写真 手前は鳶岩巣山だと思うのですが?。
追記 4/8 美濃一人さんから浅間山とご教示頂いた。未踏の山なので訪れてみたい。ありがとうございました。

 

点名見行の所在地

 投稿者:美濃一人  投稿日:2018年 4月 6日(金)21時34分7秒
  最近はすごいですね。山歩き強化月間ですか。

添付の大正元年発行の地形図で、三角点見行が恵那市の外にあることは
覚えていました。でもまさか「点の記」で恵那市中野方町だったとは。
後になって「点の記」に合わせて境界を修正したのでしょうね。
まあ、等高線の形も今のとはかなり違いますが。

この地形図の坂折峠は現在の赤河峠になります。
現坂折峠は福地峠と呼ばれていたとか。では、現福地峠は小倉坂とか。
この辺りは峠が多くて呼び名も向こうとこっちで、ゴチャゴチャです。
地図屋さんも大変ですね。
 

個人山行 見行山 905.1m

 投稿者:GG-  投稿日:2018年 4月 6日(金)11時45分25秒
編集済
   恒例となったみのハイク可茂地区会員親睦登山が、11名参加で4/4に開催されたのでお供して来た。
 集合した可児市役所の桜は間もなく終わりそう。分乗してまず八百津の蘇水公園へ向かいしばし名残の花見を楽しんだ。人道の丘や道中の桜は車窓から眺めつつ県道402脇の見行山登山口へ着いた。福地はまさに山のまた山の奥の実感がする。新ルートは近年福地の村おこし団体「福地いろどりむら」が整備されたといつも厄介になる写真店の福地から通勤される親父から聞いていたので何時かはと思っていた。県道北側にまだ新しい案内図とトイレが有るが駐車場は4台位までの広さで標高630mと記されていた。登山準備中にトイレへ入ったら綺麗で木の香りが漂いこれだけでも見学の価値があった。(前年の平成29年2月新築)
 県道南の山頂まで1300m標識に導かれて登山道へ。道は階段を下り建設中の体験ハウスの脇から植林の中を進む。数度沢を渡ったりして登るとポンと再び県道へ出た。少し下った山側に標識が有り此処にも登山道入口の標識、山頂まで870mと記されていた。整備されているが階段続きの植林の急登は息がきれる。先頭のSLさんは歳を感じさせないハイピッチだ。山頂まで650m標識が植林終了地点に立ちその手前で立ち休憩。標識を過ぎ雑木の緩やかな巻道を進み木々が払われた明るい尾根を進むと山頂まで400m地点(標高800m)で展望が開け福地集落が見下ろせベンチも設けられた展望台とされる位置。山頂が近づくと一帯は皆伐状態で記憶の山頂と様変わりであった。地形図で山頂まで実線の道が記されていたのでオヤオヤと思っていたがここまでとは驚いた。広い作業路は山頂南から南東へまだ延びていた。作業路を横断して丸裸の斜面を数分登ると三角点の立つ山頂であった。前回は2013/4/5に中野方の坂折からみのハイク有志で訪れていたが今や展望の山に変わっていた。前回は黄砂で遠望は無かったと記録していたが、今回も高温のせいか遠望は効かなくて新しく設置された山名標識盤は役に立たなかった。冬場の遠望の効く時に再訪してみたい。北側の大展望には足跡を残した白川町の懐かしい里山が連なって見えたが標識盤には近くの山名は記載が無かった。山頂南側に平坦地が作られて長椅子ベンチが設けられていたのでそこでランチタイムとした。テーブルも欲しいと贅沢な仲間の声もあった。
 見行山は八百津町最高峰とされているが、地理院地図で検索すると白川町と出て来る。地形図は八百津、白川、恵那市の境界線が交わる位置にあるが点の記の三角点設置場所は中野方町字山名とあり三角点が境では無いらしい。
 山頂で集合写真を撮り名残を惜しみつつ下山。県道から山頂まで登りは休憩を取りつつノンビリと50分を要したが、下りはノンストップで30分であった。足場の悪い植林内よりはと県道を10分下って駐車地へ戻った。Kさんが準備下さったコーヒーを馳走になり、所要が有るTさんと別れて五宝の滝へ向かった。県道83の桜を眺めつつ下り五宝滝駐車場へ到着。空身で滝周回をしたが名残の桜と芽生えの新緑が美しかった。駐車場へ戻りリーダーSさんの挨拶をもらって散会となった。

写真 ①② 5年間前との山頂光景比較 ③山頂から西方向 同じ八百津の権現山もボンヤリ

 

里山散策 浅間山・点名久尻

 投稿者:GG-  投稿日:2018年 4月 3日(火)18時00分59秒
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   当地の桜は満開、浅間林道沿いの桜もそろそろ見納めかもと思われ懸案解消を兼ねて正月以来の浅間山へ昨4/2に急遽出かけた。懸案とは山たまご氏が今年1月に掲載された浅間山登山レポに「展望岩」なる地点を地図に記されていたのでその位置確認であった。例年ご来光を拝していた丘の近くらしいが辺りは近年植林が伸びて展望が無くなっている。
 気温が高くなる予報はあったが鳥居から参道を登り始めたらすぐ汗になった。鳥居に展望台まで20分の案内が有るがヨタヨタ登ったのに17分で浅間神社に到着出来た。元旦より体調は良さそう?。神社の参拝を終えて最高点の展望台へ。山たまご氏のHPは浅間山・多治見市となっているが起点を多治見市にされて誤認されたのか?。可児市最高点とされ地形図では372m標高点は市境界線の僅か北に記されているが微妙?。元旦には無かったが立木に真新しい小さな山名標識「浅間山372m」が括られていた。ファミリー登山の山なのに今までしっかりした標識が無かったのが不思議ではある。薄曇りと高温で遠望は効かなかった。
 ご来光遙拝場所へ移動、そこから尾根芯の踏み跡を山たまご氏の展望岩を探しながら緩やかに下ったが林道に合流してしまい発見できず。いつもは林道歩きばかりだったので期待していたのに残念。(帰宅後山たまご氏のレポを見直したら尾根芯の踏み跡から僅かに外れているらしく再確認したい。)目的は果たせず林道を下って桜鑑賞に切り替えて帰ろうかと思ったが、折角なので久々に点名久尻を訪ねる事にした。(記録が見当たらず山のらくがき帳を遡ったら前は2014/8/31に訪れていた。)
 咲き始めたミツバツツジを眺めながら黒岩林道を進み記憶の取り付きへ。標識もリボンも無いので通過しそうになる。尾根道は最近森林組合が手入れされたのか小枝が散乱していた。小さなコブを越えて緩やかに登ると点名久尻377.7m。近時4等ばかりに馴れたせいかここの2等三角点が随分大きく感じられた。刈り払われた空間だが植林の成長で相変わらず展望は無い。南東へ尾根切り開きが続くので展望有るかもと少し進んだか期待できそうに無くUターン。地形図では可児市と多治見市の境界線上に三角点が記載されているのに点名は土岐市の地域名で不思議。ここは浅間山より標高が高いので可児市最高峰としてPRしても良いのに植林の中では登山者の意欲は湧かないかもしれない。念のため帰宅後点の記を見たら所在地は可児市久々利柿下入会字奥磯山となっていて正真正銘可児市の山であった。地形図の市境は三角点南東110m付近で東に折れ、南方向の土岐・多治見間尾根上250m峰まで途絶えて北側が表示されていないのは確定していないのだろうか?。
 黒岩林道に戻り浅間林道まで下り奥磯林道合流広場を目指す。途中でヒカゲツツジも咲いていて納古山のアカヤシオも来週早々には咲くかもと思われ気が急いた。林道合流点広場の桜は今年も綺麗に咲いていた。芽生え始めた木々の緑も美しい。林道沿い所々の桜を愛でながら駐車地へ戻った。

写真 2,3枚目 奥磯林道合流広場にて

 

里山散策 古城山280m(美濃金山城跡)

 投稿者:GG-  投稿日:2018年 4月 1日(日)10時41分37秒
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   3/30に知人と会った時桜談義をした。その際蘭丸ふるさとの森も満開だろうとの話が出たので急遽出かける事にした。そこの桜は数年おきに上部駐車場まで走って観賞しているが以前から麓から登ってみたいと思っていたので3/31は麓の第一駐車場から登った。

 御嵩町高倉団地の北端から桜に彩られた古城山を撮って麓の駐車場へ。地形図通り駐車場の西へ下ると石段の大手道標識があった。沢沿いの蘭丸広場への直登が大手道、少し先で「ひのきの径標識」を左に入ると地道の林間コースでジグザグに高度を上げる。標高差50m程を登ると蘭丸広場を見下ろす高台で山肌は満開の桜に彩られ感動。緩やかに登った舗装道路終点位置が出丸跡であった。舗装道路から下が案内板に古城山千本桜と記されている場所で数字は怪しいが見事な桜満開の光景が拡がっていた。
 整備された遊歩道脇には真新しい解説板が要所々々に設置されていて古城の雰囲気を楽しみながら進んで山頂に着いた。2009/03/30に友人達と訪れてから丁度9年経過していて山頂の光景はすっかり変わっていた。山頂に有った神社は城跡の発掘調査で麓へ下ろされたそうで広場になっていた。北側の木々が切り払われて八百津の権現山や砥山までの展望が拡がり、西の米田白山も望めた。ベンチで話した地元のオッサンによれば東側の伐採計画も有るらしい。展望も良いけど自然も残して欲しいものだ。29日の揖斐ではヤマザクラが満開だったがここの山頂も数本の木が見頃を迎えようとしていた。小憩を済ませて下山開始。物見の櫓展望台で眼下の桜を楽しみ桜の下の遊歩道を辿り蘭丸広場へ。そこからは自動車道路を歩いて兼山小学校へ。
 以前から調べてあった学校内の三角点点名兼山の探索目的であった。門扉を開けて進入し点の記で見ていた記念碑を探す。建物前に小さな卒業記念碑が有ったがその周囲に三角点が見当たらない。他に記念碑が有るかもと校庭の南端まで進んでみたが見当たらずUターン。記念碑へ戻って前を探しなおしたが花壇が作られ碑との間には雑草防止の為かオレンジのシートが鉄杭で固定されていた。この下に違いないと捲ろうとしても不可能で確認を諦めた。学校も三角点には無関心らしいが教育的にどうだろうか?。帰宅後点の記を改めて見たらやはりオレンジシートの下に有りそうで残念。
 帰途にもう一つ課題にしていた三角点探しに立ち寄る。地形図を眺めながら伏見地区内へ入り右手の細い舗装道路を登り詰めたら水道タンクで行き止まり。左の台地には関電の鉄塔が立っていたが高さも低く珍しい形であった。三角点は送電線の南に表示されているので刈り払われた笹を踏み締めて進んだら白杭が有り脇に保護石に囲まれた三角点を発見できた。点名伏見153.8m4等三角点であった。東に旧水道タンク跡なのか大きな石垣が残っていた。笹が繁っていたら探すのも大変だったと思われ今回は幸だった。
 点名兼山は未確認に終わったが一つだけでも確認できて安堵し昼に自宅へ戻った。

写真1枚目 古城山山頂

 

花山行 城山→間戸山周回

 投稿者:GG-  投稿日:2018年 3月31日(土)16時54分45秒
   個人山行で2010/3に揖斐川町の西ノ山・東ノ山へ仁坂坂から登った時に揖斐川の「創造の森」を知り記憶の片隅に残っていた。花見山行を考えていた時に揖斐川の城山が「さくらの森」として整備されている情報を得て地形図を眺めて間戸山への周回をしてみようと思った。みのハイクの仲間9人で好天の3/29に出かけて来た。
 大野町に集合して2台で城山駐車場へ。花見散策を徒歩でと考えていたがSさんの提案で山頂Pまで車で登り僅かな距離の北方城址碑の有る平坦な山頂に到達。北方城は、建武・延元の頃に吉田休三入道によって築かれたと云われている。
 城山201m山頂からの展望は素晴らしく揖斐川対岸に聳える小島山山塊中腹の山桜が美しく見えた。様々な桜を楽しんでから、仲間には登山準備をしてもらい桜を愛でつつ山麓駐車地まで下ってもらう事にして、2台の車はデポ地探しに奥ノ平集落へ向かった。桜の美しい大垣CCの間を通り抜けて集落へ着いたが道路幅が狭く駐車余地が無い。困っていたら軽トラの吉田と言われるオッサンに会え、「間戸山へ登るが駐車場所を探している」と言ったら「我が家を使え」と言ってもらえて感謝感謝。自分は登山準備をしてデポ車としてSさんの車で城山駐車場へ戻ったら仲間は到着していた。山麓駐車場間近には珍しい緑の桜ギョイコウが数本咲いていた。創造の森への造林作業道林洞線を登るとヤマザクラが満開で美しかった。みはらし広場はカットして舗装の道を登り歴史広場で小憩。北に間戸山が連なる山並み、南は広い平野の展望が開けているが春霞で遠望は効かなかった。広場の先のピークには点名乙門242.0m4等三角点が鎮座していた。作業路脇は猪が掘り返していたがワラビが沢山有ってご婦人連は驚喜でしばし採取に余念が無かった。色々な学習施設に立ち寄り高度を徐々に上げ標高230mの体験広場で創造の森は終わった。地形図を誤認して左へと指示したら舗装林道はドンドン下り鋭角カーブで間違いに気付いた。急傾面で直接上部林道へ行く踏み跡も見られずUターンして体験広場へ、約20分のロスタイムとなってしまった。小憩中にSさんが尾根を偵察して踏み跡発見、地形図の破線ルートであったがそれ程明瞭とは言えない道でこの日初めての山道の雰囲気、しかし最後は消えてしまい強引に急斜面を登って林道に出た。点名椋実のピークらしき台地の左に新しい作業路が分岐刈られた斜面を仲間は進んだが、林道を登り詰めた所から破線が有るので自分はそちらから迂回して数分で三角点に達した。切り払われた平坦地の隅に点名椋実377.6m4等三角点が鎮座し南東背後に西ノ山が見えていた。林道の木陰に戻り待望のランチタイム。吹く風は心地良かったが汗でシャツが濡れていたので少し寒かった。食後緩やかな林道歩きを開始。420m峰を右に見て進むと送電線が現れ巨大な鉄塔に驚いた。390mのコブの南尾根を下山予定としていて確認したらピンクテープが1本結ばれているだけ。地形図では右からの林道合流点先から破線が記されているが急斜面で道の形跡は無かった。少し先に南へ下る巡視路標識が有ったが360mの鉄塔までかもと判断した。緩やかな登りの林道は間戸山の南を巻いて進み突端が終点であった。北西方向に飯盛山が間近に聳え背後の白い山は美濃俣丸辺りだろうか。林道終点から広い雑木斜面を僅かに登ると鉄塔が有りその南にひっそりと間戸山443.3m3等三角点が有ったが背後は樹林で展望は無かった。林道終点に戻り展望を楽しみつつ小憩。新北山トンネル上の尾根を「ひとり山歩き・・」さんは辿っておられるが厳しそうなので予定通りピンクテープの尾根まで戻った。最初は顕著な踏み跡が見られずヤブ気味の中を下ったがやがて明瞭となり地形図通りと思った。雑木の道は心地良かったが通る人は少ない気配で落ち葉に埋もれた道は慎重に辿った。尾根末端近くでは地形図通り西側の谷間へ下ったが道が消えてしまい、植林の斜面を強引に下りて谷間の杣道に下り立った。地形図は沢の左岸に破線が記されているが実際は右岸を辿り民家の横を抜けて車道に出た。すぐ近くに航空写真で見た木工房木・木が有り、朝駐車を願った吉田家は僅かな距離であった。仲間達はここで待機願い城山のデポ車回収に向かい即Uターン。
 吉田家にお礼をと玄関を叩いたが不在なので、自分の名刺裏に礼文を記してポストに置いた。女性陣からコーヒータイムは何処でと問われたが適当な場所も無いので揖斐川の県庁舎へ向かったが駐車場は満員、結局大野町まで戻りバス停留所の休憩室を借りてコーヒータイムを終え解散した。同行願えた仲間に感謝。
 好天と花と展望の周回コースは起伏も少なくて楽しい山行であった。間戸山の稜線林道では桜は殆ど見られなかったが樹間から創造の森稜線を見下ろす道であった。仲間の万歩計は最高19000歩とかで長距離を歩いた事は間違いない。
 ネット記録によれば間戸山林道沿いの鉄塔からは北側等の展望が良いらしく立ち寄らなかったのが悔やまれた。

写真1枚目 城山の桜からスタート
 
 

里山徘徊 点名上小屋・点名小田沢

 投稿者:GG-  投稿日:2018年 3月25日(日)16時30分14秒
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   近年屏風山周辺を随分歩いた。南北に連なる山系の全山を繋げたいと2014/12に屏風山から点名小田沢、2015/02に北端の点名佐々良木から点名上小屋まで、2016/03に南端の馬頭ヶ峰と点名小里まで歩き、2016/3/26にはみのハイクのメンバー多数で常磐口から登り屏風山から点名小里まで縦走した。残した区間の点名上小屋と点名小田沢の間を歩きたいと機会を狙っていたが3/24にやっと機会が訪れみのハイクメンバー3人で出かけて来た。(2015年の続きなので当時の参加者を誘ったが都合が合わず)
 道の駅で小憩後椋実集落へ入って八幡神社脇に駐車した。畦道を通って川を渡り山間の小径へ入った。計画では途中から右の尾根に取り付き2015/2に下った尾根を辿る事にしていたが。直前に点の記を見たら沢沿いの小径30分と記されていたので破線の道を進んだ。(ルート誤りもしたが我々は1時間程要した。)猪除けで道が遮られて隙間から竹薮を抜けたら又沢沿いの小径に出た。ところが地形図の破線終了地点の先で道は消えていた。沢が3本合流する地点の向かい尾根に踏み跡が有りここから急坂を登った。現在地把握曖昧なままで進んだが尾根の平坦地で北に見覚えの有る樹林の上小屋ピークが見えて1本南の尾根を登っている事に気付いた。尾根を登り570m峰は巻いて稜線に達した。小さなコブを越えた鞍部から急坂を登り右からの尾根に合流した少し先が山頂なので初登頂の仲間に先に山頂を踏んでもらった。点名上小屋 585.4m 3等三角点。三角点背後の祠の左右に三笠山大神、八海山大神の大きな石碑が有り2つの山は御嶽山王滝口に有るのでこの山が御嶽山と言われるのが頷ける。切り開きからこの日も御嶽山が綺麗に見えた。祠は荒れ果て注連縄も門松の残骸も無いので今では祀る人も途絶えたかもしれない。東の切り開きから恵那山と夕立山も望めた。
 山頂を後にしていよいよ念願の縦走に入り正面に見えた3つのピークの右端が634m標高点と推察された。往路に巻いた570m峰の登りは敬遠して又巻道を進んだが倒木に遮られ結局折角だからと言う事でピークを踏んだ。634m標高点峰直前は尾根が複雑で先頭のSさんに慎重に方向を選んでもらった。このピークも特徴のない樹間で北側の大きな枯木が目に付く程度であった。660m峰は下山に林道へ至る位置としていたので下山に備えて尾根の確認をして赤布を結んだ。南側2方向に尾根が有るが顕著で無いので慎重に選んだ。この辺りから植林帯となり鞍部を越えてゆるゆる登って点名小田沢 686.9m 4等三角点に到着した。相変わらず展望は無い。風が冷たいので風を避けた山頂直下でランチタイム。眼下にみずなみCCの枯れた芝が見え、彼方には樹間から中央アルプスの山々が望めた。
 660m峰へ戻り南東方向の尾根を下る。この尾根にも踏み跡が続いてラッキーだった。途中にはかっての鳥屋跡なのか地面にカスミ網が沢山残っていた。造林小屋?らしき建物から道は顕著になり尾根末端で近時車が通った気配も無い荒れた林道に出た。。地形図では未だ道は西に続いているが果たして通れるか?。廃田が続く光景を眺めながら林道を下り舗装道路に合流。豪邸が並ぶ集落に感嘆しつつ駐車地へ戻った。お礼参りにと八幡神社を参拝したが市指定文化財の陶製狛犬「阿(あ)」・「吽(うん)」一対には気付かなかった。社殿前は平成8年寄進の石造り狛犬が鎮座していた。
 ヤブ漕ぎも無くてほぼ計画通りの下山時間だったので、事前に調べておいた近場の三角点探しに走った。椋実ダム堰堤から大滝観音の案内に従って山へ入ったら集仙院と言う宗教施設(建立20年程とwebに)が有り青銅色の大きな観音像が見えた。間近から斜面を登って参拝。webでは高さ12mの「揚柳観音菩薩像」と紹介されている。三角点は観音像周辺に有る筈と探してもらったら石垣角に埋められていた。4等三角点大滝観音526.8m。観音像背後崖上は小高い山で周辺はもっと高い山々なのに何故人工物の上に三角点が有るのか不思議。同行者は寿老の滝も見た事が無いそうなので伐採作業の重機の間を縫って滝見物に走った。寿老の滝から先の林道は通行止めになっていたので黒の田湿原へも時間がかかりそう。

 美濃一人さんはじめ先人の情報や仲間達のおかげで念願の縦走達成がかない感謝。

写真3枚目 4等三角点大滝観音526.8m
 

内田康夫さんのこと

 投稿者:GG-  投稿日:2018年 3月20日(火)11時10分53秒
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   何を読んでも右から左へ抜けて記憶に残らぬ脳味噌だが、内田作品は文庫本が出る度に随分楽しませてもらった。読み残した作品も沢山あるだろうが、色々なテーマやほのぼのとしたロマンスも面白かった。
 たまたま過日買って、就寝前の睡眠薬代わりに読んでいる文庫本が遺作(完成品では)とは偶然だった。惜しい人も病魔には勝てず残念。

 

リベンジ 朝ヶ脇

 投稿者:GG-  投稿日:2018年 3月19日(月)18時16分37秒
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   18日の日曜日は17日に続き絶好の天気予報だが月曜日からしばらく雨予報。貴重な晴天なので前夜に何処かへと資料を漁っていた時に、2/18の松鞍山から周回した時に疲労困憊と時間切れで断念した「朝ヶ脇」のリベンジを思いつき単独で出かけた。

 大平賀まで走ったら関シテイマラソンで通行止めとなり予定したルートが走れず、富加IC交差点から志津野へ入り県道343,286を経由し美濃市境手前から桧峠へ向かう市道へ入った。こちらは通行量もほとんど無く中電北部変電所施設が見える広い路肩に駐車。帰宅後計測したら桧峠の150m程東地点であった。
 無名の溜池の北側に地形図通り巡視路が続き谷間の№2鉄塔案内標識から右手の急坂に入った。落葉と小石混じりの荒れた道を7分程ジグザグ登ったら尾根に乗り歩き易い道となった。№2鉄塔は展望が開け間近な本城山がどっしり見える。目標の朝ヶ脇をコンパスで確認したら間近な隣峰の鉄塔付近。地形図の破線はここで途絶えていたので心配して臨んだが№3鉄塔の小さな標識の先に荒れた巡視路が見えた。急坂を下り鞍部から登り返すと大展望の№3鉄塔であった。鉄塔脚部の露地に三角点が有る筈と思い込んでいたのに何も無い。鉄塔北西の山頂尾根は僅かに高いので少し進んだが三角点は送電線が130度屈曲する南に表示されているのでUターン。見つけられないかもとの不安がよぎり落ち着いてと小休止。南へ下る尾根に№4への標識が見えて露岩脇の巡視路を僅かに進んだら巡視路東に点名朝ヶ脇262.8m三角点を発見出来てヤレヤレ。ここもピークでも無い不思議な位置に設置されていた。周りを見たら久々にUUクラブのプレートを見たので同類の存在に笑えた。ここからの下り道は2/18に想定していたルートだったが巡視路が有るとは知らなかった。鉄塔北西に270m最高点が有ったのに訪れる事も忘れたのが惜しまれる。鉄塔で展望を眺め直して懸案解消に満足しながら下山した。帰宅後点の記を見直したら詳細な図が載っていて事前勉強の怠りを反省した。
 三角点への所要時間は2/18の計画書では桧峠から1時間としていたがほぼ同じ時間であった。


写真 ①№3鉄塔から関市街方面  ②朝ヶ脇三角点  ③№2鉄塔より 轡野権現山 御殿山 地蔵山方面

 

久々の三角点遊び

 投稿者:GG-  投稿日:2018年 3月19日(月)18時04分12秒
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   3/17は絶好の天気なのに両親の墓参日と決めていたので山へ行けず。折角なので陶町への所要ついでに陶町近辺の短時間三角点巡りをした。以前から気になっていた小里川ダム展望台へ立ち寄ったら、そこはダム建設のケーブルクレーン跡との看板が有りコンクリート展望台が作られていた。登ってみたら田代山が間近、南西方向を眺めると曽良山や三国山が望まれ、近くにはこれから訪れようとしている曽木や乱曽らしき頂きが見えた。

点名 下久手 416.1m 4等三角点
 ダム湖畔に有り以前から気になっていた三角点名。展望台から下りダムからの道に合流したすぐ先路肩に地形図では三角点表示されている。路肩の広場には見当たらず東側に削り残した小山が有ったので北側から数分登ったら保護石に囲まれた三角点が有った。南側の踏み跡は古い木製階段が道路脇へ続いていたが三角点の為に作られたのだろうか?。この小山は地形図に現れていないので10m未満と言う事になる。後日調べたら三角点の選定は2004年7月、小里川ダムの竣工は2004年3月なのでダム測量の為に三角点が設置されたとも思えずこの場所に有るのが不思議。

点名 曽木  521.9m 3等三角点
 カシミールでプリントして持参した地形図は国道363から蘭仙集落へ向かう道路が表示されていなかったが遙か昔の記憶で開拓道路の標識から曲がりくねった道を登った。(帰宅後チェックしたら縮尺小であれば道路が出るが、拡大すると送電線南の道路が消えて不思議、地理院地図は正しく出るし、グーグル地図も間違いないのに。)集落へ入って蘭仙バス停留所標識を見たが現在地が掴めない。送電線位置から現在地を推定して南へ向かったら地形図の池が現れて確認出来た。地形図では点名曽木山頂近くまで実線が数本記されているが南側道路の最高地点路肩に駐車。北側の山を覗いたら微かな踏み跡が見られたので左植林と右雑木の境目を緩やかに登った。時々念のため赤布を結んだ。平坦な山頂台地に着いたが白杭が見つからない。地形図では台地北西端に三角点が表示されているので進んでみたが下りになってUターン。諦めかけたら植林と雑木の境付近に三角点の石柱だけが少し頭を出していて発見を喜んだ。保護石無し、白杭無し、ICタグ無し、展望無し。旧曽木村の名前を頂いている割りには不遇な山である。愛知県境の曽良山712.4mが土岐市最高峰で曽木と細野の境界とか。県境の稜線には無名ながら600mを越えるピークが有るが曽木村中心の最高峰と言う事で名前を頂戴したかも。後日調べたら何年も前に稲津側から訪れた点名蘭仙が同じ521.9m標高で偶然ながら驚いた。

点名 乱曽 466.2m 4等三角点
 往路に通過してしまったので点名曽木を訪れた後にUターンし送電線直下の路肩に駐車。121鉄塔の標識から入り削られた平坦地の先から緩やかな尾根を登った。雑木林の平坦な山頂台地最高点付近に三角点が見られず、地形図では南の端近くに表示されているので少し下った位置に保護石に囲まれて鎮座していた。三角点の南も少し高く鞍部の様な位置に選定されているのが不思議だった。後日調べたら最高点は地理院地図計測で468mを示した。乱曽三角点の位置は蘭仙集落の南と思っていたが、地形図を見直したら市境界は送電線の西を直線に走っていて瑞浪市大川であった。

 

懐かしいブロッケンの写真

 投稿者:GG-  投稿日:2018年 3月15日(木)10時12分36秒
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  最近古いアルバムの整理をしている。

表銀・槍・穂高を歩いた1974/07/23に槍ヶ岳山頂で撮ったブロッケンの写真があった。山荘で休息、夕立の後に槍の山頂へ登り2度目の出会いと記してある。
当時は未だ槍ヶ岳を開山された播隆さんの名前も知らなかったが上人もきっと眺めたに違いない。

往時の体力はもう無いのでただただ懐かしい。

 

リベンジ 点名西池

 投稿者:GG-  投稿日:2018年 3月13日(火)11時40分28秒
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  点名西池 103.3m 4等三角点
 3/10に登った時に赤尾八幡神社参道の先からヤブ斜面に取り付いたので帰途を考慮して念の為に赤布を適当に結んでおいた。三角点到達後は往路と違う林道を下ってしまったので残したテープが気になっていた。3/12も晴天となりルート判断誤りの再確認を兼ねて赤布回収に出かけた。
 10日と同じ駐車地からスタート、点の記を読み返しておいたので下山したルートを逆に辿り、車も通れない道幅の林道を登って切通し地形の峠へ。西の尾根に取り付き三角点に到達して改めて眺めたらビニール紐が4本周囲の小木に結ばれていた。展望も樹間から僅かで無いに等しかった。切通しへ戻り赤布回収の為尾根分岐へ登ったら立木に1本残っていた。尾根と斜面のテープを回収しつつ前回の林道行き止まりに下りた。赤尾八幡からの地形図の実線は往路の林道?に繋がっているので覗いてみたが倒木と崩壊のせいか道は確認出来なかった。この状況判断が出来ず前回間違えた要因の一部と反省。狭い道を下り前回道から見上げた赤尾八幡神社参拝の為63段の石段を登った。山腹にへばりつく様に祠が有った。下りは石段を避けて巻道を通り駐車地へ戻った。

点名柳洞 158.2m 4等三角点
 西池のリベンジだけではつまらないので、前回の低山巡り計画で外した三角点に立ち寄る事にした。駐車地から短時間過ぎるのと金属製4等三角点と言う事で魅力無く除外していたものである。
 点の記を良く読まず迫間台団地の「水道タンク」の記述のみメモした地形図で訪れた。樹林でタンクが判らず電発御母衣南幹線22鉄塔のプラ階段から入り、団地周回道路脇の尾根の微かな踏み跡を南下、途中道路からの明瞭な道(地形図実線)に合流し進んだピークにフェンスで囲まれた水道タンクが有った。通常工事や管理の為に作業道路が有るのに此処は山中に突然存在。工事はどうしたのだろう?。フェンス内に三角点が有る筈と1周回ったがそれらしき物が見当たらない。タンク付近だったかもと南の尾根を少し進んだが高度が下がるのでUターン。発見できない無念さでフエンス内を再度眺めたが見当たらず駐車地へ戻った。22鉄塔の展望が良さそうなので立ち寄ったら稲口ゴルフ場クラブハウスの背後に過日偵察に訪れた点名物見峠180.8mが三角の山らしい姿を見せていた。その遙か彼方には真っ白な能郷白山が望まれ、この光景が見られただけでも収穫と思った。
 帰宅後「柳洞」の点の記を開いて確認したら、三角点は水道タンクの屋上と記されていて探しても見つからない筈であった。三角点標高は石柱の上端の高さとされるから、この山?の標高は水道タンクの高さを引かねばならぬのか?ややこしい。三角点確認はフェンスで遮られ鉄梯子も登らねばならぬのでそんな事有りかと思ったが、何年も前に3等三角点虎渓を探した時も防火水槽の上(低いので登れたが)に有った事を思い出した。
 

関市の低山巡り6座

 投稿者:GG-  投稿日:2018年 3月12日(月)20時46分11秒
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   みのハイクの仲間と関市内の低山巡りを2年冬場に続けたので、今年は残された南部の山を巡りたいと2/27に登山口の偵察をしておいた。南部では無いが最近仲間のMさんが登られた未知の千疋北山も計画に加えて、(千疋北山を検索したら1件だけ数年前の記録にヒットしただけで知る人ぞのみの山の様である。)昨年参加されたメンバー等7名で3/10に出かけた。

千疋北山 180m 三角点無し
 塚原遺跡公園に集合し2台に分乗して登山口へ移動。時間節約でピストンを提案したが「周回しないと意味が無い」と言われMさんに先導を願った。右に湿地を眺めて進むと巡視路分岐となり左は下山路で右に向かう。70mの標高差をジグザグに登るが短時間ながら出足からしんどかった。130m標高の20鉄塔で稜線に乗り展望が開ける。小さなコブの続く尾根を西に進んだ130m峰は展望地で地形図の北側尾根は東海環状線工事でピーク間際まで大きく削られフェンスが張られていた。北山麓のオンダ製作所工場脇まで道路工事をしていた。登山道はこのピークで南へ曲がって下り鞍部から50m標高差を登りきると南面が開けた岩場の展望台。先着陣は休息していたが地形図の最高点では無く、西の尾根に道が有るとMさんに教えられたので空身で10分程緩やかに登った最高地点が180m標高点、道は北西方向に折れていたが山名標識も無い雑木林であった。岩場に戻り小憩後急斜面を下り21鉄塔脇を過ぎて北側の林間へ下った。いい雰囲気の雑木林を抜けると綺麗な水の池、新緑や紅葉時の光景も良さそう。池の堰堤下が往路の鉄塔分岐であった。この山はU字形の尾根巡りで短時間ながら収穫の多い山であった。

点名千疋 85.7m 4等三角点
 千疋大橋の北に有るこんもりとした小山。地形図を見ていて三角点が有ると気付いてついでに訪れた。千疋神社の急な石段を登って参拝。社殿はU字形の谷間に有り背後は登れず、Kさんの先導で社殿左の伐採跡の急坂を藪漕ぎして達した小さなピークに三角点が鎮座していた。背後には古い上水道設備の残骸があった。下山は神社の東の尾根方向への微かな踏み跡を辿り石段上部に下った。

点名山田 140.5m 3等三角点
 登山口に駐車地が無いので国道156沿いのパチンコ店の片隅を拝借し駐車、空身でスタートした。10年位前にMさん一度案内願ったが記憶は薄れていた。道路下の神社の鳥居に分不相応の大きな注連縄が飾られていて笑えた。上水道タンクまでは舗装道路、広い道が奥へ続いていて前回はその道を辿り稜線に達して西へ戻って山頂に達したが、タンクを過ぎた場所から西斜面に取り付き良く踏まれた小径をジグザグに高度を上げてポンと山頂広場に出た。展望の開けた山頂や日の丸は記憶に残っていたが前回辿った東の道はヤブ化していた。御嶽山、乗鞍岳、能郷白山等の白い山を眺めてから下山した。

点名新屋敷 114.9m 4等三角点
 百年公園は随分昔に散策したが三角点の存在は今回の下調べで初めて気付いた。南口から入場も初体験。計画では山頂の展望台付近で昼食としていたが駐車地付近で済ませて空身で行く事になった。駐車場で咲き始めの桜を眺め、地形図では駐車地の西の尾根に破線が有るのでこれを辿ろうとKさんに先導願ったが15分程の軽いヤブ漕ぎであった。遊歩道に出会い最高点近くから少しヤブを登ったら三角点が有った。北側法面は舗装管理道で削られていて削り残した丘と言った雰囲気。公園に訪れる人には関心も払われ無いので荒れた山頂であった。標高105m地点のコンクート展望台は高さ12mとかで折角なので登って展望を楽しんだ。午前に登った点名山田が間近に見られた。展望広場からは立入禁止で遮られた旧遊歩道を利用してショートカット、途中危険箇所も無く何故閉鎖されたか不思議であった。

台所山 141.8m 3等三角点
 この日予定した山巡りで唯一地形図に名前が載っている山。自分としては百年公園北口付近から連なる尾根を辿って歩いて見たかったが時間節約の為に点の記のルートを採用した。ここも一度違うルートでMさんに案内願ったが、点の記ルートからは初登山。Mさんは近々2度も登っておられたらしいが付き合ってもらえた。偵察していた巡視路標識先の小さな流れを渡って左の尾根に取り付く。10鉄塔を左に見る地点で稜線に乗る。心地良い尾根歩き僅かで左手の谷間へ下りオヤオヤと思っていたら深い鞍部で百年公園からの尾根に合流し11鉄塔下の台所山三角点に到着した。集合写真を撮って下山する緩やかな尾根からは乗鞍岳、御嶽山が美しかった。鞍部からのトラバース道にはショウジョウバカマが数輪開き始めていた。点の記では林道から15分となっていたので最短距離と思っていたがもっと近いルートがあるらしい。我々は余裕を持った計画書通り30分を要したので地理院関係者は余程韋駄天揃いらしい。

点名西池 103.3m 4等三角点
 偵察時に赤尾八幡神社参道を見つけていたのでこれを利用すれば短時間で到達と考えていた。藤谷川沿いの墓地横に駐車して参道を少し登ると右に長い石段が有りその上に神社が見えていて立ち寄らず下から参拝。竹薮の道を抜けると倒木等で通行不能となった。上に稜線が見えたので短時間薮漕ぎで稜線に達し北西へ向かった。僅かな距離のピークで尾根が北と西に分岐、残置テープに導かれて西に向かうと堀割地形、地形図に現れていないので気になった北のピーク(帰宅後地形図を見たら100m峰)を確認したが何も無いのでUターン。堀割方面からの呼び声に応えて進んだら堀割は立派な林道が通っていて、上からKさんが三角点発見したとの声、自分の判断ミスを恥じつつシダの繁る尾根を進んだら雑木林のシダの空間に三角点が有った。色の褪せた黄色ビニール紐が此処にも、途中からも続いていたので酔狂な登山者があった様だ。下山は歩きやすい林道を下ったら太陽光発電工事真っ最中の田圃に出た。駐車地から200m程西であった。駐車地へ戻ってから自分は疲労困憊気味だったので、残された計画の点名物見峠へ「まだ行くの?」と声を出したら「又の機会に郷部山やカナクズ山と一緒にやったら」と言ってもらえたので甘えて今回の里山徘徊は終了とした。塚原遺跡へ戻って遺跡や見事な紅白の梅を眺め、精算を済ませ解散した。同行願った皆さんに感謝。

写真3枚目 台所山下山時尾根から乗鞍岳・御嶽山

 

岐阜低山徘徊 4座

 投稿者:GG-  投稿日:2018年 3月 6日(火)12時26分26秒
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   2016/01に船来山の個人山行へ出かけた後にみのハイク仲間のN氏から岐阜市民公園(畜産センター)から西に連なる山はどうかと勧められていた。西端に点名彦坂が有り起伏の少ない稜線歩きが楽しめそうと思っていた。みのハイクの双葉30山の最後に残した点名石谷・城ヶ峰を併せて周回してみようと計画しN氏と相談して3/4にクラブ仲間と出かけて来た。

 長時間を要すると思われたのでスタート時間をいつもより早めた。公園内の遊歩道最高点から尾根に取り付く予定にしていたのでN氏の推薦で南展望台、中野峠経由で進んだ。遊歩道とは言え40mの管理棟から中野峠まで約140mの標高差があり案内図の15分では無理だった。中野峠標識が有るピークから10m余下った鞍部に行き止まり表示とロープが張られていた。ロープを潜って侵入した尾根には明瞭な踏み跡やビニール紐が続き登山者が多い雰囲気。稜線近くでは踏み跡も不明瞭な雑木の急斜面となったが適当に縫って190m標高付近で稜線に乗った。整備された道の250m峰を越えて進んだ247m標高点に「里山」の標識が括られている。WEBで存在は知っていたが地元の呼称とも思えぬ陳腐な名前。樹林の道に過ぎず展望も無く山頂の実感も無い場所。この先の道は手入れも少なく雑木に囲まれ緩やかな起伏を繰り返して進んだ。右手に釜ヶ谷山を眺め「彦坂」は未だか未だかと嫌気が射した頃やっと鉄塔の立つ点名彦坂188.1mに着いた。事前に地形図計測で247m峰と彦坂の距離2㎞、起伏は少ないので1時間を見込んでいたが1時間20分要した。南北が切り開かれて展望が開けていて関電486鉄塔の西の小ヤブの中に白杭と金属製の三角点がひっそりと有った。金属製の三角点は毎度の事ながら有り難みが無い。三角点脇に彦坂山の標識が括られ、点名プラス山でこの名前も信じがたい。小憩後次の目標城ヶ峰山塊を眺めつつ送電線巡視路を下り石谷集落の墓地に出た。田園の中の伊自良川添いの道を進み、親橋で辿った連山の写真を撮った。彦坂は顕著なピークでも無く益々彦坂山の名前はおかしい。最後に渡った橋には「石谷橋 いしがいばし」の表示が見られ難しい読み方。墓地からの時間は予想より短かったが平坦な舗装路歩きに疲れて点名石谷登山口へ着いた。参加者全員このルートは下山はしたが登るのは初めてで覚悟を決めて急坂に挑んだ。歩幅を小さくゆっくり歩を進めたら息も上がらずなんとか展望岩までノンストップで登れた。岩場でランチタイム開始。登りに汗だくとなり濡れたヤッケを脱ぎシャツ姿で充分の陽気は予報通りの高温であった。(帰宅後調べたらこの日岐阜市の最高は19℃)前回の記憶は消えていたが展望岩は220mピークの東に有り地形図も岩マークとなっていた。展望を楽しみ疲れをとりながらのんびり過ごした。最終目的の城ヶ峰は未だ遙か先に見えていた。昼食を終え小さな鞍部を越えて登り詰めると点名石谷(点の記はいしがや)254.7mの台地。写真だけ撮って通過し、198mの最低鞍部の金属三級基準点を眺めてから60m標高差の登りはきつかった。城ヶ峰直前の展望地から御望山東に東海環状自動車道の岐阜ICが出来るとかで変わりゆく光景や、辿ってきた起伏の山波が望めた。
 平坦な城ヶ峰288.0m台地に着いて休憩。同行願った仲間から双葉30山達成の握手と思いがけずプレゼントまでもらい感謝。市民公園から彦谷に至る山塊には名前が無いとN氏も言われたので我々は「石谷アルプス」と仮称する事にした。城ヶ峰からの下山は中電50鉄塔手前の分岐までは想定時間通り、椿洞への下山路は地形図の破線ルートとは大幅に異なり清水団地すぐ東の尾根に下っていて途中の沢道はゴロゴロした砂礫道が落ち葉に覆われ難渋、標高差約200mの巡視路は険路であった。平坦な清水団地に着いてヤレヤレ。目前の眉山や右手の百々ヶ峰を眺め、春の野花や咲き始めた梅を眺めつつ舗装の田舎道をのんびり辿ってやっと駐車場へ戻れた。お付き合い願った仲間に感謝。
休憩込みほぼ8時間、老体にはちょっと無理した長時間計画だったがなんとか懸案解消や完登ができて良かった。

写真3枚目 城ヶ峰山頂光景
 

点名 物見峠 180.8m

 投稿者:GG-  投稿日:2018年 2月28日(水)12時15分34秒
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   昨年と一昨年の冬場に関市内の低山巡りをみのハイクの仲間と行ったので、今年も残された南部の山を巡りたいと思っていた。

 2/27は今週一番の好天気予報となり家にいてももったいないので、関市内での所要を済ませた後に登山口の偵察をして来た。

 点名山田、台所山は2ヶ所、点名西池の登山口を調査してから、以前から気になっていた点名物見峠登山口に向かった。

 点の記によれば北側のゴルフ場から短距離で到達となっていたが山登り気分を味わうルートは南側からだろう、巡視路利用も可能かもと期待していた。
 県道367沿いの向山町団地を右上に見て左折し林道か農道か判らない道に入りT字路を右折し地形図と見比べながら進み最初の谷の実線道入口に駐車。周辺は田圃ばかり。日も高いし折角だから此処だけで下見をしてみるかと雑木林の中幅広い作業道をゆるゆる進んだが倒木が数回道を塞いでいた。地形図の実線が左へ曲がる辺りで電発の巡視路標識に出会う。地形図に記されていないが右の谷方向に№18の標識が立っていて道は狭いが手入れされていて時々ピンクビニール紐を見ながら高度を上げた。18鉄塔は斜面に建っていて展望は無かった。鉄塔東北の尾根からは地形図の破線が記されている。落葉の道の2ッの小さな鞍部を越え稜線に向けてジグザグに上がり稜線ピークを左にして南東へ向かうと峠地形。南北に踏み跡が見られこれが点名由来の物見峠かもしれない。その先も地形図は破線が記されているが明瞭では無く、灌木を縫って僅かに登ったコブに物見峠3等三角点180.8mが鎮座していた。戦国時代の遺跡かもと物見峠の名前に惹かれた期待の展望は樹林に遮られて無かった。山名標識も無いが酔狂な登山者の痕跡なのか黄色のビニールテープが立木に巻かれていた。
 片道30分、ヤブ漕ぎ覚悟で赤布も準備していたがラクチン偵察に終わった。

写真 18鉄塔  点名物見峠山頂
 

みのハイク おれんじの会

 投稿者:GG-  投稿日:2018年 2月22日(木)17時38分11秒
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   みのハイクのおれんじの会がHリーダーのお骨折りで2/21に開催されたので参加させてもらった。今回は大垣城下町 史跡巡りがテーマで興味津々で臨んだ。
 国道21の渋滞回避の積もりで関ICから高速を一宮JC経由で大垣へ向かった。ところが名神高速道路安八スマートインターチェンジの3月供用開始に向けた建設工事で一部1車線となり渋滞、集合時間に遅れるかと心配したがなんとか間に合って良かった。

 立派な「奥の細道むすびの地記念館」内ではボランティアガイドの後藤氏から芭蕉の足跡紹介や映像、大垣の先賢者の偉業紹介、文化財の茶室などを学び、記念館前で集合写真を撮ってから史跡散策が始まった。記念館前の芭蕉と俳友・谷木因(ぼくいん)の像の説明や「蛤のふたみに別行秋ぞ」と詠んで、水門川の船町港から桑名へ舟で下った話を聞き、水門川を回って住吉燈台や船町川湊の光景を眺め説明を受けた。その直後に仲間の体調不良から慎重を期して記念館へ戻り30分の休憩。休息後句碑や歴史遺産を訪れたり眺めつつ大垣公園へ着いてランチタイム。公園内に「戊申の役顕彰碑」が有り幕末期の大垣藩の話も興味深かった。二本松の戦いでは多くの犠牲を出し、会津の戦にも参戦したとか。帰宅後検索したら「慶応4年(1868年)1月の鳥羽・伏見の戦いでは大垣軍と新政府軍が戦い、朝敵に指定される(藩主の入京禁止)。しかし新政府に召されていた家臣の小原鉄心は直ちに大垣に帰国して先々代藩主である氏正とともに氏共や佐幕派を説得して尊王派に藩論を統一して謝罪、戊辰戦争では新政府軍に与して東山道軍の先鋒を務めている。そのため、明治元年8月には鳥羽・伏見の戦いに関連して同年4月に受けた処分が解除され、2年(1869年)6月に新政府から賞典禄3万石が下賜された。直後の版籍奉還で氏共は大垣藩知事となった。」とあった。
 間近な大垣城は戦災で消失した再建城であったが、かつての内柳門が東門として移築されている。この旧内柳門が本来とは別の位置にあるものの、城内に残る唯一の現存建物であると教えられ興味深かった。石垣は赤坂の石灰岩が主なので化石が残っている物が有った。城内最上層で周囲を眺めての関ヶ原合戦の話が面白かった。間近な郷土館では関ヶ原合戦絵図屏風(津軽屏風)の複製が目を引きここでも合戦の話が良かった。大垣城の城郭模型は往時の壮大さが偲ばれた。八幡神社は大垣まつりの起源の場所とか、自噴水の「大垣の湧水」をみやげに汲んだ。圓通寺は戸田氏の菩提寺、歴代の墓所で最後の藩主戸田 氏共(とだ うじたか)は、明治から昭和期の華族。これも検索したら「美濃国大垣藩第11代藩主。大垣藩戸田家12代。位階勲等爵位は従一位勲一等伯爵。官職はオーストリア=ハンガリー全権公使、式部長官などを歴任」、墓標に刻まれていた妻:極子(岩倉具視の三女)は鹿鳴館3美人の一人で琴を良くしウイーンでブラームスとバイオリンの協奏をしたとの逸話も聞いた。
 水門川は大垣城の外堀であったが川沿いが「遊歩道四季の路」として整備され、自噴水を主とした水源の綺麗な水流にセキショウモの緑が美しく、鴨やアオサギも見られ、歩道脇のミニ奥の細道とされる句碑の解説を聞きながら記念館に戻った。
 長時間を飽きさせない後藤氏のガイドぶりに感謝を申し上げて解散となった。日曜日の山行の疲れが脚に残っていたが、知らなかった大垣の歴史や光景を巡る散策はとても有意義な一日であった。


 

個人山行 松鞍山ほか

 投稿者:GG-  投稿日:2018年 2月19日(月)17時40分46秒
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   みのハイクの双葉30山完登まて残り2座となり美濃市の松鞍山を計画したのは1月下旬であった。目的の山だけなら短時間で終わってしまうので地形図を眺めながら松鞍山の北の連山を周回し点名朝ヶ脇を巡るルートはとれないものか考えて計画していたが、天気も雪模様が続いたりして機会が無かった。昨2/18にみのハイクの仲間7人の賛同をもらえたので共に出かけて来た。
 自宅を出た頃は-3℃の冷え込み、コンビニは何処も欠品続きで3軒目でやっと握り飯が買えた。登山口に着いたら現地組は既に到着しておられた。松鞍山へ初めて登ったのはクラブ山行の2002/10で、クラブの自主山行でその後1回登った記憶はあるが時期は忘れていて南登山口からは今回が初めてであった。松鞍山への地形図の破線路は途中から消えていて道は前平山との鞍部に至っている。鳥屋平鞍部から道標に導かれて左折すると前平山見晴台。町並みや遠くの白い山々が美しかった。鞍部へ戻り比丘尼岩を経た急登の先に松鞍神社が鎮座している。養老3年(719年)泰澄大師の創建と登山口の案内板に記されていた。祠の背後に松鞍山316.2m三角点、立木に山名標識があり白山遙拝所の標識が有るが立木に隠されて周囲も見えない。山頂台地の先は地形図破線も急坂でSさんがロープを出そうかと言われたが立木に掴まりながら薄い踏み跡を辿り鞍部に達した。鞍部から東北の286m峰には「日本トムソン」の境界杭が有り踏み跡も明瞭だった。286m峰北の平坦地形末端から踏み跡は消えて急斜面のヤブや岩場。190mの鞍部からも激ヤブとなり先頭のSさんにナタで道を切り開いてもらった。この尾根は東海北陸道の崩壊地南側で北側は掘削され尾根中心南側の急斜面に鉄線の柵が巡らされ掴まりながらの移動を強いられた。北からの強風が強く190m鞍部のやや緩やかな南斜面で風を避けながら昼食場所とした。GPSを見てもらったら東海北陸道表示の「陸」の南とか、流石に文明の利器である。180m鞍部から此処まで100m程に30分を要していた。早々に昼食を終えて230m峰に向かったがこれが又々急坂のヤブで苦労した。230m峰に達したら稜線地形の真ん中に踏み跡が続いてヤレヤレ、位置は地形図の「自」の下でここも距離100m、標高差30mに30分要した。やっとの思い310m無名峰に到達、樹間から松鞍山が望めた。300m標高からはシダの繁る見通しの悪い広い斜面の下りで南へ下る尾根芯から外れて北東の谷間に下りてしまった。疲れた仲間から南西の市道116m地点へ直接下れば近いとの提案があったが、斜面の下りで鉄塔が間近に見えていたので鉄塔に達すれば巡視路が期待出来、またヤブを下るより楽と判断した。谷から鉄塔への直登は急なので西の尾根まで僅かに登ったら踏み跡に出会えた。未だ116地点へのこだわりが有った様だが先導して緩やかに登ったら192鉄塔に着き南へ明瞭な巡視路が続いていた。次の鉄塔は展望が開けていて間近に本城山、轡野権現山が秀麗、御殿山から地蔵山などが望め、彼方に中アの一角やどっしりとした恵那山が望めた。69鉄塔から起伏の楽な谷間へ下る予定に変更したが、70鉄塔の標識に導かれて進んだ道は当初予定の尾根道で最後のピーク200mへの登りがきつかった。谷間の植林帯を抜けると桧峠の市道に出会いホッとした。想定外のヤブや起伏で疲労困憊、時刻も計画より1時間半も遅れていたので、点名朝ヶ脇は断念して登山口へ向かった。舗装道路の1.6㎞は疲れた身体に堪えた。駐車地へ着いたら優しい仲間がカフエを開いて下さり、自分はしるこを馳走になり疲れが癒された。
 個人的な趣味の山に付き合い願った仲間達にお礼挨拶をして現地解散とした。

 情報のほとんど無い探検登山、低山ながら変化に富み、久しぶりに5時間余も要した歩行で日が変わっても足腰の疲労感が大きかった。

写真 ①松鞍山山頂  ②310m峰から松鞍山  ③下山路鉄塔からの展望

 

リベンジ 伊木山 宝積寺山

 投稿者:GG-  投稿日:2018年 2月15日(木)16時05分29秒
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   好天予報がもったいないので、2/9にみのハイクの仲間と各務原市南部の超低山を徘徊した際に訪れた伊木山の熊野神社ルート、播隆上人修行場の再確認と、時間切れで断念した宝積寺山へのリベンジに昨日2/14に出かけて来た。(2/9の伊木山は時間節約で伊木の森から往復した。)

伊木山     173.0m  3等三角点
 熊野神社の位置がナビに出ず集落内でウロウロしたが散歩中のオバさんに確認して観音寺の広い駐車場に着いた。無人の寺らしい。参拝を済ませて東側の熊野神社参道を進む。山裾の神社までは緩やかな登り道となり多くの石灯籠が整然と鎮座していた。熊野神社の創立年月など詳細は市史などでも記載が無くて不明らしいが、現社殿もなかなか立派で古く感じられ山上には本宮跡があるので相当の歴史と思われた。
 神社脇の天神様から登山道が分かれ山頂まで500m、600mの標識が立っていた。地形図では3本の破線路に分かれる所。左手上に百度石が見えたのでそのルート500mをとった。WEBでは神社より奥の百度石なので本宮跡への参道だったらしいと記されている。この道はチャートの岩道に落葉が積もった直登となっていて、落ち葉がこなれず原型で残っているのは通る人が少ないのかも。右手の尾根方向は登山者なのか賑やかな人声がしていた。尾根に達して右からのメインルートに合流してすぐの所が本宮跡であった。播隆修行場からの合流点はもっと下だった様でオヤオヤと思いながら先に山頂へ向かった。山頂へ着いたら先刻聞こえていた賑やかな集団が休憩中で鬱陶しく、先日訪れたばかりなので挨拶だけして早々に退散し播隆上人修行場標識に従って下った。手入れされた道を下りキューピーの鼻からの道に合い先日訪れたばかりの岩場に着いた。先日見落としたかもしれないと思い祠背後の背の高い石碑まで登ったが白玉竜神と刻まれ、祠左右の碑も播隆さんの名前では無い。コンクリート祠の中は空海=弘法像の様で播隆さんの浄土宗とは一致せず不思議であった。木曽川を眼下にする岩場で環境としては良く、籠もる岩屋も無いが小屋でも建てて修行されたのだろうか?。上人洞の標識だけで播隆さん修行の痕跡が残っていないのは残念。何も無い事に納得して先日のルートを西に向かった。尾根に乗った場所は神社からの3本の破線路の真ん中ルートが尾根に達する130m標高の位置であった。南側の道は良く整備されていてジグザグに下って熊野神社に戻った。参道南の公園風の道を下ったが又団体さんが参道を通って伊木山に向かっていた。平日なのに登山者が多く珍しい事に思えた。
 寺の駐車場の南にトイレが見えたので立ち寄ったら修理中、駐車場も有りここが正規の登山口になっていて案内標識があった。広くも無い舗装道路を北へ進んだら又登山口が有り、これは本宮跡へ繋がる尾根道らしい。車道を進んだら伊木の森への進入路に合流して位置関係が理解出来た。

宝積寺山    141.5m 4等三角点 点名 山崎
 地形図では無名峰であるがグーグルマップに山名が載っていて最近知った山である。先日の陰平山下山時に立ち寄ったふるさと眺望の丘展望盤にも「宝積寺山」と刻まれていたので公認の山名らしい。地形図を見て鵜沼山崎町7丁目の奥まった所に有る電波塔から至近距離と理解していた。ナビに詳細な地図が出ず国道21から斜面の輻輳した道を高い位置へとにかく向かってみた。私道との表示も有ったが狭くて斜面続きで駐車場所も無い。売却中看板の民家駐車場に停めて空身で登る途中から見えたアンテナ目指して車道を戻った。ところが道路は大きく迂回せねばならずUターンして駐車地北の廃道めいた道から尾根上に登る事にした。地形図ではアンテナ間際まで行けると思ったが途中から雑木林と化していて僅かな距離のヤブを掻き分けたら南からの車道に出会った。すぐ上の鞍部は駐車可能で左右にアンテナが有り右はKDDIであった。(地形図のアンテナ位置は間違っていた。)アンテナの背後の尾根には踏み跡(地形図破線路)が続いていて倒木に遮られて迂回を数度繰り返し標高差20mを登ったら雑木林の中に三角点が有った。山名標識も無いが立木に1本ビニール紐が括られていた。尾根上の踏み跡が更に北東へ延びていたので少し進んだが樹間から北の住宅街がチラチラ見える程度なのであっさりUターンした。アンテナの有るT字路を直進した標高120mの頂上台地にも2軒の民家が有って驚いた。道はその先で行き止まりとなったが適当に樹間を縫って進み南へ下ったら往路の廃道に出会い駐車地は間近であった。
 宝積寺山=そこに山名が有るからと登って?みただけの山。9日に無理々々登らなかったのは正解。
 春の到来を思わせるうららかな日射しの中、ともかく2つの懸案が解消された満足の短時間徘徊を終えて予定通り昼過ぎには自宅へ戻った。

写真 ①熊野神社からの尾根道  ②播隆上人修行場  ③宝積寺山山頂

 

各務原 超低山駆けめぐり

 投稿者:GG-  投稿日:2018年 2月12日(月)10時46分32秒
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   各務原市南部の超低山、三井山や不動山の麓は何度も通っているのにわざわざ登る機会は無く長年何時かはと思っていた。好天予報だった2/9に可児市内在住みのハイクメンバーで都合のついた仲間と誘い合わせ徘徊して来た。仲間の都合で帷子公民館を10:00と言うのんびりスタート。

三井山 108.8m
 三井山は低山ながら2等三角点で興味深かった。三井山ふれあいの森石柱付近の路肩に数台駐車可能で空身でスタートしたが朝充電時まで異常が無かったのにデジカメが故障で記録が撮れないと残念に思いながら登った。中腹の水道施設は素晴らしい展望が開け、携帯電話のカメラ機能を思い出して撮った。予備知識無しだったので山頂に御井神社の立派な鳥居を見て驚いた。三角点は祠の東に保護石に囲まれて鎮座していた。案内板にこの山は戦国時代の山城跡と記されていて不勉強を恥じた。下山に辿った道は枯れ葉が積もり途中に古墳も有りなかなか味わいの有る山であった。
 帰宅後検索したら下記の解説が有った。元々の山が昭和40年代に削られたなんて事も初めて知った。
三井山(みいやま)は、岐阜県各務原市にある標高109mの独立した小さな山である。各務原市の西部の新境川と航空自衛隊岐阜基地の間に位置する。元々は東西に長い山であった。山頂付近には戦国時代の城である三井城の址があり、二等三角点が設置されている(点名は「三井村」)。かつて山頂には、式内社の御井神社が存在し、御井神として山自体が信仰の対象だったという。磐座の祭祀遺跡もあり、多くの出土品が発見されている。また山腹には、三井山古墳(御井神社境内古墳)という古墳がある。*戦国時代、三井山は戦略上重要な場所として、土岐氏の土岐弥一郎(三井弥一郎)により三井城が築城される。このさい、御井神社は麓(各務原市三井町)の御井神社と上中屋(各務原市上中屋町)の天神社(現、天神神社)に移転している。
*1548年(天文17年)、三井城は尾張国の織田信秀に攻められ落城する。三井城が廃城後、山頂には御井神社奥之宮が創建されている。*1968年(昭和43年)ごろから、山の中央が削られはじめる。*1980年(昭和55年)ごろに採土が終わり、南北を貫く道路や、自衛隊の三井山官舎、各務原上戸町工業団地が完成した。 三井山は東西に独立した山になり、東は自衛隊の施設になった。

不動山 84.7m  点名 弁財山 別称前渡不動山 矢熊山
 前渡不動の名前で知られているが地形図は不動山。真言宗醍醐派の矢熊山・仏眼院通称「前渡不動尊」といって親しまれている。県道95沿いの駐車場からコンクリート舗装の急な参道を登ったら地蔵群の参拝路がシグザグに作られていてこれを辿ったら立派な本堂に出会った。その北の台地が最高点で360度の展望が得られる。三角点は山頂と思っていたら北側の道路脇にコンクリートで固められた保護石に囲まれてこぢんまりと鎮座していた。北側へ下る登山道が有るらしいが時間も無いので舗装された車道を駐車地へ下った。この山の北側に三角点は無いが荒井山・長平山の名が地形図に載っているしナビにも出て来る。自衛隊の基地内かもしれないが気になる山だ。不動前駐車場には承久(じょうきゅう)の乱の古戦場跡の解説板が有りここでも不勉強を恥じた。

伊木山 173.0m
 伊木山・陰平山は2008年のみのハイク清掃登山以来10年ぶりの再訪。伊木の森Pからザックを背負って道標に導かれ道路脇の谷間に入り尾根の道と名付けられた左岸を登って行く。なかなかきつくて汗が出た。15分強登り標高160m付近の稜線で西の熊野神社からの道に合流。緩やかな鞍部を過ぎた先が伊木山頂上。落葉のせいで明るくベンチまで設けられていたが展望は無い。三角点は白杭や保護石も無くかなり欠けていて痛々しく広場の真ん中に有った。昼食は展望のキューピーの鼻でと予定していたので東へ40m標高ほど下り登り返したら展望の丘であった。しばらくパノラマ光景を楽しんでから食事を摂った。この山は別名夕暮れ富士として名高いが、北方から眺めると大仏様の横たわった寝姿にも見えるので小仏山とネットにあった。又キューピーの寝姿に似ていると言われるので140m丘にキューピーの鼻の名が付いたのだろうか?。東や南の大展望の為に山名標識が設置されていたが弥勒山の位置が違っていてペンで直してあった。下山は地形図に無いが播隆小屋への標識に導かれ伊木山南側の山腹を巻く落葉の道を辿る。山頂へ戻る分岐を右に見て直進すると道は下り何処まで行くのかと不安になり始めたら「上人洞」の標識で左の崖になにやら祀られていたので立ち寄ったら石仏の回りに色々坊さんの名前の碑が林立。岩窟でも無いし、播隆さんの名前も名号碑も無いので播隆さんの遺跡はもっと先かもと進んだがそれらしき場所は無く、プリントして来た資料を見たら先刻の場所らしくもっと見て来れば良かったと反省した。そのまま西へ山腹を進み熊野神社からの登山路に合流し山頂方向へ戻る160m標高位置に熊野神社本宮跡が有った。次回は熊野神社から播隆遺跡を再確認しながら伊木山へ登ってみたいと思った。登りに着いた尾根上分岐から往路を下ったがかなり疲れも出て来た。
 この山も古城址で下記の記述にヒット
伊木山城(いぎやまじょう)は、現在の岐阜県各務原市小伊木4丁目にある戦国・安土桃山時代の日本の城跡である。伊木山の山頂にある。築城時期や伊木氏の経歴については諸説あるが、一般に信じられている来歴は以下の通りである。1561年(永禄4年)、この地を攻めた織田信長によって、武功を挙げた香川長兵衛忠次が、この地の名に因んで伊木の苗字を授けられ、伊木忠次と改名したという。そして、この伊木山に伊木山城を築き居城とした。後に信長の家臣である池田恒興に転仕した。1590年(天正18年)、廃城と成った。

陰平山 240.7m
 ここも空身でうぬまの森Pから萩の道を経由「ふるさと眺望の丘」東から展望台へ。西は靄って来ていたが展望は開けていて心地良い。ひと息入れて三角点を目指す。10年前にも記録したが各務原市のプリント地図に記された陰平山の山頂は遊歩道の最高点である。前回訪れた時は標識も無かったが歩道脇に立派な標識が立てられていて、自分が地形図で計測した240.7mと同じになっていて満足。これで宝積寺三角点を山頂とする間違いも減る事だろう。近時見たWEBでも三角点を誤って陰平山237mとした記述が多い。舗装道路を横切り歩道を僅かに下って登り返すと点名宝積寺237.6mが有った。記憶は消えていたが傍らにケルンが築かれ樹間から振り返ると陰平山がなかなか立派に見えた。舗装の「さえずりの道」を下り再訪は無いかもしれないので「ふるさと眺望の丘」の東屋へ立ち寄り駐車地へ戻った。
 計画書ではここまでとし、余力があれば名前の紛らわしい近場の「宝積寺山141.5m」もと欲張っていたが時間も遅くなりそうなので又の機会に譲り、途中に有ったS氏推薦の洋菓子店に立ち寄りコーヒータイムを楽しんでから可児へ帰着した。

写真 ①三井山三角点  ②伊木山山頂  ③陰平山山頂標識

 

祝 多治見労山50周年

 投稿者:GG-  投稿日:2018年 2月 4日(日)20時50分14秒
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   みのハイクがお世話になっている日本勤労者山岳連盟の仲間である多治見労山さんがめでたく50周年を迎えられ、本日記念講演会が開催されたのでクラブの仲間有志と参加して来た。
 講師は岩崎元郎氏、「登山の楽しさや魅力・安全登山の心構え」のタイトルで風邪をひいているがと理りながらもの四方山話を1時間半にわたって拝聴した。個人的には日本人がマナスル初登頂を果たした1956年頃から登山ブームとなり、用具としてのキャラバンシューズが普及したとの話題に、自分が山登りを始めた1960年代初期に買い求めて歩いた事を思い出して懐かしかった。
 岩崎氏の講演の前には地元のソプラノ歌手・鷲見真純さんによるフニクラフニクラ エーデルワイスの歌声を聞かせてもらい、会場の400人余が発声練習の指導を受けてから「坊がつる賛歌」「雪山賛歌」を斉唱すると言う粋な企画に感心した。懐かしい歌を歌えたのもひさしぶりであった。
 多治見労山さんの益々のご発展とガタの来た自分であるが未だ山を楽しみたいと願いつつ帰途についた。

 

入鹿池周辺 低山徘徊4座

 投稿者:GG-  投稿日:2018年 1月20日(土)15時47分6秒
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   鞍馬山は数十年前に内津峠から善師野まで東海自然歩道を歩いた時に昼食を摂った展望場所の記憶が残っていた。双葉30山の案内を頼まれた仲間もいて、正月と言う事で尾張冨士とついでに入鹿池周辺の山を巡る計画を立て、暮れに登山口の偵察だけしておき、昨1/19の好天日にみのハイクの仲間と出かけて来た。
 山たまご氏の情報を得ていたので前年通過した60鉄塔巡視路の鉄梯子から入山し破線を辿ったが、鉄塔までの尾根道は急坂続きであった。60鉄塔からは山腹を巻き気味に進み昨年通った記憶の道になり、アンテナのフェンスを回り込み薄い踏み跡を詰めると奥宮に着いた。先着のオバさんがいて今日は見晴らしが悪いと言ったので振り向いたら御嶽山もボンヤリした姿であった。大宮浅間神社奥宮にまずは参拝。境内隅の尾張冨士275.0m三角点は頭部を出しているだけで埋もれそう。白杭が無かったら気付かずだろう。尾張冨士の冨士の冨の文字について受け売り話をしたが帰宅後点の記を改めて見たらこちらは尾張富士となっていた。初めての仲間もいたので記念撮影後下山開始。61鉄塔へ立ち寄ろうとしたがボンヤリ光景なのでパスした。林道経由で駐車地へ戻って入鹿大橋へ向かい、道路閉鎖トラ柵前広場が空いているか心配していたが1台もいなくて安堵。
 鞍馬山は東海自然歩道の脇に有るので楽に登れるがそれではつまらないので地形図を見て気付いた南尾根の破線路をヤブ覚悟で辿る計画とした。通行止トラ柵を抜け僅かな距離の山神と小谷を挟んだ左岸の斜面の細い踏み跡気配から取り付いた。先行はヤブ馴れしているNさんに依頼。道も消えかけていて意外に急な斜面を登り詰め130m標高台地で尾根に乗ると道はやや明瞭になった。心地良い落葉の尾根を緩やかに登って200m標高台地で小憩。石柱が有るので御料局三角点かもと苔を削ったが単なる境界杭であった。ここから北東へ下る緩やかな尾根は杭が時々有る広い明瞭な道であったがすぐに東海自然歩道の広い道に出会った。砂利道は鞍馬教会の裏手へ続き東海自然歩道はピーク手前から右へ巻いていた。教会前に回ると展望が開けて仲間達が眺めているのでまずは山頂へと促す。少彦名命や弘法大師らしき色々な石仏群の前を過ぎて背後のピークへ登ったら広場に鞍馬山212.5m三角点が鎮座していた。基部が露出して補強してあるので大きな三角点であった。白杭が離れた位置に有るので別の場所に三角点が有るのかとも迷った。数十年前に自然歩道を辿った時の記憶は薄れていたが食事を摂っただけで多分三角点は気付かずに通過したのではと思えた。教会は白く大きな立派な建物、正面に掲げられた扁額の中央は福天乃天狗、右に聖観世音菩薩、護法魔王大僧正、左に妙法蓮院毘沙門、十一面観音菩薩と刻まれいた。屋根には天狗像もあり、本殿下の看板には天狗雄惣孝力会・鞍馬教会と記されているので祭神の元は天狗様らしい?。ごちゃまぜ神様や仏様の集合体だ。WEBを見てもパワースポットとして最近取り上げが多いが、由来不明な新興宗教の様だ。下山時開山碑を見たら昭和13年1月開山となっていてかなり古い。本殿前の石段を拝借してランチタイム。辿って来た200m峰の南には次の目標の点名入鹿沼の特徴の無い頂きが望まれ、東の樹間から八曾山、岩見山、焼山が見えた。石段を下りて合流した自然歩道は車両進入禁止となっているのでなかなか自然豊かな道で、尾張パークウェイに出て駐車地へ戻った。
 荷物を軽くして次の山へ向かう。点の記で見た林道脇の「27ツ402」表示の電柱を見落とし右手の斜面の取り付きを探しながら進んだら「27ツ421」電柱の手前に植林作業路らしき明瞭な道が見えて進入。後で気付いたが地形図の破線の様だ。Hさんに赤布を依頼しながら鞍部地形から植林斜面を南へ標高差40m急登、辿り着いたのは200mピークでシダが繁っているだけで三角点の気配無く、南の樹間から少し高そうな頂きが見えたので灌木のヤブっぽい斜面を少し下って登り返したピークもシダが繁った台地。山頂の筈なので三角点をと呼びかけたら仲間が白杭を見つけてくれ、脇のシダの陰に点名入鹿沼207.5mの三角点が有った。展望ゼロの樹間で山頂の雰囲気も乏しいがまずは念願達成を喜び、写真を撮って早々に往路を戻った。下山時に402の電柱発見、その横から派生した細い尾根が山頂へ続いているらしい。不注意で大回りしてしまい反省。入鹿大橋へ戻っても時間が早かったのでおまけの積もりであった天道へ向かう事にした。登山口に駐車場が無いので「入鹿の里」へ向かい駐車許可を願ったら快く応諾してもらえた。
 ここからは短時間なので空身。稲荷参道口に鳥居か石灯籠か判らないが礎石を見て落ち葉の道を行くと荒れた稲荷跡。祠も無くなっていて拝殿だけ残っていた。石垣背後の落葉斜面を登り広い尾根を北西方向へ進んだら祠跡の石組が残っていた。天道・標高点148m山頂に達した気分も湧かないがWEBで紹介された山を終えた事に満足しよう。WEBではここに有った天道宮は江戸初期の入鹿池築造の際に前原集落へ移転と記されている。
 「入鹿の里」へ帰着後コーヒータイムを終えて解散とした。尾張三山の残り2座も未登頂の仲間がいたのでヒトツバタゴの咲く5月に登る事を約した。
 登山口の事前偵察時に日向ぼっこをしていた郷中の古老から聞いた石洞地区の「天狗山」は246m標高点の無名峰と推定されるので近いうちに訪れてみたい。

写真 ①鞍馬山 点名入鹿  ②点名入鹿沼  ③天道山頂

 

クラブ山行 高社山・八曾山

 投稿者:GG-  投稿日:2018年 1月15日(月)22時24分41秒
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   前夜雪がちらついた様でうっすらと雪化粧していて快晴の朝は冷え込んでいた。1/14はみのハイク双葉30山のうち2山を登るクラブ山行で地元の事でもあり体調を心配しながら参加した。可茂地区会員の集合時刻を30分勘違いしていておしかりやら催促のメールを頂戴してしまい、詫びを申し上げつつ単独で高社山登山口にした普賢寺へ着いたら関からのメンバー車4台は到着済みであった。

 ドコモアンテナを経て高社山登山口へ着いたら元職場後輩のI氏に遭遇。なんでも地元の皆さんで神社の清掃奉仕だとか。先行した仲間達がしっかり挨拶を交わしてくれた様で「流石に山登りのグループは違う」と誉めてくれた。急登に喘ぎ汗をかきつつ高社神社へ着いたらここにも清掃のグループがおられた。毎月行われているが地区毎の持ち回りなので年1回程度の奉仕だそうだが、地元の付き合いは大変だ。山頂手前の反射板からの展望は樹木の成長で訪れる度に狭くなっている。小憩後高社山頂へ向かったら秋葉神社分岐で偶然に美濃一人さんと再会し奇遇に驚いた。いつもお世話になっているお礼挨拶をしていたら我がクラブの山行に合わせて登って来られたとか。帰宅後調べたら再会は9年ぶり、時々メールのやりとりをしているので身近に感じていたが。小雪化粧の樹間を縫って三角点まで同行願えた。高社山416.6m三角点周辺は狭く記念写真は反射板まで戻る事になり、その前にと美濃一人さんを仲間に紹介したら隠れファンが何人もおられ挨拶を交わされた。明神洞へ下られる美濃一人さんと別れ反射板へ戻り恒例の写真を撮り、採石場上のルートから秋葉神社を経て普賢寺へ戻った。
 予定時間より早いので亀割駐車場で昼食との声も出たが計画通り設備が整い展望の良い塩河公園に向かい昼食とした。風も無くホカホカ陽気の感じられる階段に座り御嶽山や中央アルプスを眺めながら昼食を終えた。グランドでは大阪から来たと言うサッカー少年達が地元との練習をしていた。
 亀割駐車場へ移動し防火管理道を歩き山の神へ。通過していた先行グループを呼び戻し参拝後ふれあいの森②→④→⑥を経て一の門線合流地で小憩後八曾山326.9mへ。山頂で出会った女性二人は「あつた勤労者山岳会」のメンバーとか。既刊の「愛知130山」ガイドが古くなったので再調査の様な話であった。良い本を出して下さいと話しておいた。狭い空間で又集合写真を撮り西の展望地へ移動。大展望の中能郷白山が一際美しく見えていた。下山の枯れ松の展望台からも間近な山々が美しかった。仲間達も何度も訪れていたのか感激が無いのか山伏の滝も短時間で通過。心配していた積雪も無かったので斜面を慎重に登って滝上部に着いた。今回の山行のメインと思っていた八曾奥入瀬歩きだったが、仲間達の足は速くじっくり味わう程でも無く、⑯→⑲まで10分余で通過し余りにもあっけなかった。坂道を登って⑫標識で管理道に出会った。
 駐車地へ戻ったらリーダーお手配の喫茶コーナーが開かれご馳走になっていたら、ゲートから車両が続々。森林管理局の方かと聞いたら犬山ふれあいの森を30年来管理しておられると言うボランティアグループ「犬山エコアップリーダー」の皆さんであった。ふれあいの森のおかげで楽しませて頂いているお礼を申し上げ色々話していたら24から21へ繋ぐ新しい道を造ったばかりとの情報を頂いたので又新しい楽しみができた。
 気の利いた仲間達がボランティアさん達へもコーヒーサービスをしてくれた。コーヒータイム終了後リーダー挨拶を頂き現地解散となった。

写真 ①高社山山頂  ②八曾山展望地から能郷白山  ③枯れ松から高社山
  
 

八曾遊歩道散策

 投稿者:GG-  投稿日:2018年 1月12日(金)20時22分38秒
編集済
   1/4八曾の岩見山散策の帰途に辿った八曾マス池線の廃道分岐の左側の行先が気になっていた。
 1/12は今冬一番の冷え込みで岐阜でマイナス3℃とか。午前中は晴予報であったので懸案解消の為散策に出かけた。

 いつもの亀割駐車場は寒さのせいか1台の先着車のみ。今日は歩道を歩くだけなのでスニーカーのままナップサックを背負ってスタート。寒さで頬がヒリヒリする程だが日射しが心地良い。フリースやマフラー着用のままなのに全然暑くなかった。
 防火管理道の山の神入口までは緩やかな登り、ふれあいの森遊歩道の入口番号毎に時間を計ったが数分程の違いだった。マス池線分岐北の241m標高点がこの日唯一のピークなので神様が祀られているかもと期待して灌木を縫って立ち寄ったが何も無くてすぐに歩道へ戻った。4日にマス池へ向かった分岐を左折、踏まれた平坦な道を進むと5分程で地形図の破線終点となり道は右手の谷へ下り始めた。平坦道の終わる地点からは八曾山が望まれた。植林の右山斜面を緩やかに下ると5分で右山の平坦路と谷へ下る道が分岐していた。谷側が明瞭だったのでそちらへ下ったらキャンプ場手前の路肩に黒平山の標識が立っていた。その下で厳頭洞線脇の広場に出た。先日此処から行けるかもと眺めた場所だったがそこには標識が無いので不親切な事だ。森林管理局の図にも無いのでやむなしか?。辿った道は30年程前にスポーツ少年団で釣りをした後に子供達と八曾の滝へ向かった道と思われた。
 先日下った道を登り返す時に僅かに汗が出た。八曾山を下山した時に防火管理道を又戻るより時間短縮が出来ないかとの期待が有ったが大回りと起伏で余分に時間が懸かるので相応しく無い事が判っただけでも収穫だった。
 1時間程の心地良い周回散策を終えて帰宅した。

写真 ①今日辿った道  ②241m標高点  ③歩道より八曾山

 

クラブ山行 大平山・祐向山

 投稿者:GG-  投稿日:2018年 1月 9日(火)10時27分41秒
編集済
   祐向山は直近では2015/12/29にみのハイクのS氏から忘年山行はどうかと誘われ岐阜の雛倉からのルートを辿って登っていた。その時に大平山からの縦走が出来ると知って何時かはと願っていた。
 本年度のみのハイク新春山行に組み入れられていたので、体力に不安はあるもののせめて大平山だけでもと参加を申し込んだ。
 1/7 路傍の温度計が-1℃を示す寒さの中を走り、関集合時に総計46名と聞いてビックリ。クラブ推薦双葉30山に入っているのと新春登山にはぜひとの意気込みだろう。9台の車を連ねて山県市経由で文殊の森へ向かい現地組3名と合流。

 新年挨拶を交わしストレッチ後コース説明を聞いてスタート。西に綺麗な霊仙山、国見岳、池田山などを眺めつつ柿畑の中の道を進む。WEBでは27鉄塔から大平山への尾根途中の監視哨跡に至る記録が多く計画書に添付された図もそれをコピーしてあったが、行程は南の尾根末端の菩提寺からとあったので事前に調べておいた。本巣小の近くに旧旗本戸田氏陣屋跡の碑が立っていたが痕跡は無い。尾根南端の照空寺(加納藩分家旗本(文殊)戸田氏菩提寺)が登山口。石段を登り唐破風山門を潜り、寺らしく無い本堂脇から尾根に取り付く。石段最上部は戸田氏歴代墓所になっていた。最初の試練と思いつつ急坂を登り二つ目の尾根合流点170mはコンクリート残骸に監視哨跡の標識が有り27鉄塔や本巣小学校からの尾根合流点。大きな桜の木は戦後植えられたのか?。緩やかな尾根道を進み植林の急坂を登った場所が平坦な大平山212.5mで4等三角点がポツンと登山道脇にあった。展望もゼロ、顕著なピークでも無く南方から眺めなければ山には見えそうも無い。稜線は寒風が厳しいのか先行グループは早々に通過した様だ。平坦路を進み西に小津権現山をチラッと見て時々現れる明るい雑木林を抜けて行く。30鉄塔分岐から豚汁奉仕隊?5名が先行下山されて申し訳ない事であった。その近くの日溜まりで先行グループ休憩中、東の展望が開けて岐阜市街が望めた。立ち去る時に珍しい地積図根三角点を見つけた。31鉄塔送電線が尾根を横断する切り開きから御嶽山や城ヶ峰山塊の右に岐阜市街が見えた。240m平坦地で休憩後祐向山への登りが始まった。250mから始まる急坂を終えた標高300m尾根合流点は掛洞城跡。此処からは2015年に辿った道であった。平坦な登山道東の切り開きはこの日一番の展望地で、高賀山方面。天王山、誕生山の彼方に中央アルプスが望まれた。60m標高差を登ってようやく祐向山374.3m。昼食は下山後なので各自行動食などを摂り休憩した。相変わらず展望の無い山頂3等三角点を後にして小さな堀切を2ツ過ぎたら年末の雪が少し残っていた。緩やかな起伏の最後は望郷の展望台341mへの登り。のんびりと展望を楽しむ時間もとらず、先行者は辿って来た大平山に連なる長い尾根を眺めつつ法林寺城南道を下り始めていた。計画書添付図は2015年時と同様に権現山(山口城跡の三角点点名法林寺)経由だったのでオヤオヤ。帰宅後前回の記録を見たらその時も此処から下山予定だった様で自分が権現山三角点を確認したくて変更を願っていた。今回も同様と思い込んでいて体力的に厳しければこのルートで自分だけ下ろうとも思っていたので、結果的にはラッキーだった。急な坂道であったが落葉樹林の明るい斜面で南に拡がる展望を楽しみつつ落ち葉を踏んで下る心地良い道が続いた。登りに使うにはいささかきつそうだが。
 駐車地へ戻ったら先行グルーブは日射しを浴びながらランチタイムを開始していた。バーベキュー舎内では先行下山してもらった豚汁奉仕隊?が活躍中で、本格的な竈と羽釜で作らていた。おいしい豚汁を馳走にして自分も昼食をしていら「コーヒーコーナー」も有るよと告げられて、ヤングウェイトレスのサービスでコーヒーやおつまみも馳走になった。
 昼食後集合写真を撮りCLと豚汁奉仕隊?隊長の挨拶を頂き現地解散となり往路を関へ戻った。心配していた体調も大部隊でペースがゆっくりだったので落伍する事無く付いて行けたのは有り難かった。天気予報も奇跡の晴天となり月曜日からの雨天が信じられない様な一日であった。

写真 ①大平山  ②祐向山  ③法林寺城南道を下る

 

低山散策 岩見山

 投稿者:GG-  投稿日:2018年 1月 5日(金)21時08分59秒
編集済
   元旦の浅間山ご来光登拝は30分の短時間登山なのに息も絶え絶えで、今年は絶不調の年かもと不安になった。4日は晴天の朝を迎え週末のクラブ山行に備えて近場で足慣らしをと思いついて出かけた。
 朝に地形図をブリントして10時過ぎに自宅をのんびりとスタート。いつもの亀割駐車場には5~6台が先着していて閑人も多い。14日にクラブ山行で八曾山は予定されているので今回は未踏ルートを少しでも歩いて岩見山のみ行く事にした。駐車場からマス釣り場を経て今井・八曽野営場線林道への地形図に記されている実線ルートを辿ろうと林道をマス釣り場へ。ところが釣り場からの道が無く経営者のオッサンに聞いたら、背後の橋が崩壊して廃道化しているとの事。犬山キャンプ場へ回ってしか行けないと言われてUターン。駐車地からの道の延長線を下ったらキャンプ場脇の厳頭洞川左岸で遊歩道に合流した。これが結果オーライで川沿いに下り、天狗平の南から分岐する八曾中歩道を使って岩見山へ向かった。初めての道は植林の谷間左岸を緩やか登り230m標高の尾根で岩見山線に達し僅か南で岩見山への分岐、樹間の道を辿って岩見山へ着いた。この山は直近では2016/05にクラブ仲間と八曾山を終えて登り対岸の厳頭洞山へ向かっていた。標高は250m等高線、当時の計測で255.8mと記録していた。晴天の割りに雲も多く遙かな白い鈴鹿山系の頂部は覆われていた。厳頭洞山の背後の本宮山、尾張富士は相変わらず美しく、高社山もドッシリとした姿で横たわって見えた。小憩をとって往路を下り始めたら又体調が悪くなり我慢しながら八曾中歩道分岐までユルユル歩き休憩をとった。体調がやや戻ってから未踏の八曾中歩道を進むと地震観測所との分岐標識に出会った。森林管理局の案内図には無いが八曾キャンプ場500mの標識が立ち明瞭な尾根道が続いていた。ほぼ平坦地形の心地良い尾根を南下すると地形図の破線と違って尾根末端から東の急斜面をジグザグに下って沢と五条川が出会う地点に着いた。下り立った斜面に「岩見山1100m」の標識が有った。八曾キャンプ場に向けての林道歩き途中で散歩のオッサンに出会い、キャンプ場で案内図を眺めていたら又空身のオッサンに出会いしばし話した。帰路はやはり未踏の地形図破線ルートを辿りたいと思っていたのでキャンプ場管理棟背後の植林の踏み跡へ取り付いた。このルートは地形図には記載されているが森林管理局の案内図にも無く、不思議な事に「可児から山登りさん」の概念図にも無いが明瞭な道であった。取り付き直後に№48標識と古い岡崎営林署の標識が立っていた。体調も戻りルンルン気分で落ち葉の道をジグザグに高度を上げ標高差50mを終えると緩やかな巻道や尾根道が続いた。八曽林道合流手前で初めて登山者に遭遇した。林道合流点にもキャンプ場取り付きにも標識が無く、心地良い道なのにもったいないが知る人ぞ知るルートなのだろう。林道脇に綺麗に咲いたサザンカの大木が有り背後に八曾山が見えた。砂利の林道を進むと241m標高点手前に標識が有る。マス池0.6㎞、亀割駐車場1.5㎞の標識が有り往路に辿ろうとしていた道の分岐であった。最後はヤブ覚悟で八曾マス池線歩道へ入った。平坦路を進むと左に道を分ける。直進はマス池へ向かっていたのでそのまま進んだら次第に荒れた道となった。マス釣り場の建物背後の沢の丸太橋は朽ちていたので小さな沢は下りて渡った。不審者に思われたのか余りに犬が吠えるので朝会ったバア様が出て来た。「道の確認に下りて来た」と言ったら「営林署も予算が無いのか橋を架け替えないらしい。通行禁止にするとか。」営林署が作ったので山裾沿いに道がキャンプ場へ出来ていると教えられ、進むと微かな踏み跡が続いていた。キャンプ場まで行くと大回りになり、対岸に林道が見えた位置は小川へ下り易く踏み跡やピンクテープが有り営林署が使っているかもと進み小石を踏んで渡り対岸へ登ったら泥濘で難儀した。もう少し下流まで進めば良かったと反省。駐車場へ戻ったら相変わらず沢山の車が有った。
 登り初めと言うのもおこがましいが、短時間ながら未知のルートを辿れたのが嬉しかった。八曾山周辺もかなり歩いたが未だ知らない道も残っているので、今の体力に合わせて徘徊したい。

写真 ①岩見山山頂から  ②厳頭洞山=焼山と尾張富士方面  ③八曾キャンプ場からの営林署管理道にて

 

おんでこ祭り 2017

 投稿者:GG-  投稿日:2018年 1月 2日(火)14時56分36秒
編集済
   例年1/2はTVの箱根駅伝を眺めながらのゴロ寝正月を送っている。今年の東洋大学の往路完勝は見事であった。

さて、晦日に元旦にご来光が見られるか検索していたら、可児の鬼ヶ島で厄払いの行事「おんでこ祭り」が有るとかの情報にヒットしたので野次馬が出かけて来た。

可児川に設けられた仮設通路を渡って念願だった鬼ヶ島へ初上陸した。時間前なのでに焚き火に当たりながら世話役の人と話していたら10数年前から開催されているそうでPR不足が惜しまれた。ぜんざいを馳走になり開催時間を迎えた。夕刻の小雨も止んで月が顔を出していた中、21時から雨上がりの為に「短縮バージョン」であったが幽玄の世界をちょっぴり味わって来た。来年は公開されている動画の様な本格的な太鼓演奏をぜひ楽しみたいと思った。

鬼神太鼓さんのブログに詳細が載っている。

ネットで見た紹介記事は下記。

「岐阜県一の奇祭、おんでこ祭!」

大晦日の夜
開始8時55分!
終了9時45分!!
鬼ヶ島!!
で行われる厄祓いを行う奇祭です。

鬼神が鬼ヶ島に集い、太鼓を打ち鳴らす事により、祭りに集いし人々の厄を祓い新年の寿ぎを願うものです。

1/1の浅間山ご来光登拝を終えた後、前夜暗くて見落とした鬼ヶ島の「しめ縄岩」の写真を撮りに出かけたら仮設階段、橋、照明設備等は全て撤去されていて、行事終了後の作業と思われ関係者の皆さんの努力には頭が下がった。

 

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