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三角点遊び 保古山 970.1m

 投稿者:GG-  投稿日:2019年 3月23日(土)17時06分33秒
   岩村の三森山へ2/24に登った時に見た三森神社由来で天照大神(あまてらすおおみかみ)が生まれた時、へその緒を切った鎌を祀ったという伝説を知った。帰宅後その時胞衣を洗った伝承の血池神社の事を調べ近々に訪ねたいと思っていた。神社探しだけではもったいないので地形図を調べたら間近に保古山が有る事に気付き久々に訪れる事にした。ついでに前から課題に残っていた点名飯羽間を今度こそ登りたいと願った。
 3/20朝食を摂っていたらしきりにウグイスの声が届き今年の初鳴きであった。絶好の天気で気分良くスタート、往路のみは高速で恵那まで走り、保古山への最短距離は地形図で保古山と花無山の間を抜ける県道407を経由するのが最短と調べていたので国道19の宮の前信号を右折した。東野の地名を見て地歌舞伎の里と思い出しながら走った。記憶は失せていたが昔保古ノ湖や根ノ上高原の往来に通った道であった。阿木の分岐から山側へ登って行くとシロヤシオ渓谷の標識が見えて余程咲くのかと思いながら行くと保古ノ湖キャンプ場管理事務所脇の駐車場に着いた。シーズンオフで事務所も閉鎖中辺りに人影も無かった。
 前夜続ぎふ百山を開いたら保古山は1995/11に20分程で登ったとメモして あったが、果たして今回はと思いながら靴を履き替えた。可児から・・氏のレポで山頂の北側へ林道で向かうと展望台が有ると知ったのでそこを訪れ湖畔の遊歩道経由で戻る事にした。
 無人の保古湖堰堤をアンテナの立つ保古山を眺めながら横断したら小山に鳥居が見えた。帰りに立ち寄る事にして進むと、疑木の広い階段が排水口を迂回する様に設置されていて、923mピークの山腹は階段の登りになった。20m程を登ると平坦な巻き道で、緩やかに遊歩道を登ると尾根末端で左へ保古山への分岐標識が有り手入れされた明るい植林内の登山道で930mのコブを越えて行く。林床の小笹が美しい。鞍部を越えると大きな岩に錆びた鉄鎖が残っていた。昔の登山道はこの岩を越えて進んだ名残かと思えた。岩の左手を巻いて進み960mのコブを越えると道は笹が覆っていた。間近に林道が見えアンテナ群の山頂は間近であった。倒木を避けて林道に出てひと登りし、アンテナ脇の雑木の高台に至ったら三角点が鎮座していた。点の記では何故か「ぼこやま」とされている。1995年の記憶は失せていたが樹間から僅かな展望があった。北に笠置山、西は何故か広い隙間が有って夕立山の彼方に屏風山方面が望まれた。早々に退散して「可児から・・氏」のレポを頼りに林道をジグザグに下って行く。かなり歩いたがと思ったら左へ展望台の案内標識が有り工事中の表示も有った。地道を少し行くと重機を使って作業が行われていた。高台への右手に階段歩道が造られていたので僅かに登ったら絶景の展望台であった。地形図の930mピークで北側は断崖、西の笠置山から御嶽山、中央アルプスまでのバノラマは見事であった。遙か北方に白い山々がボンヤリ見えたが同定は出来なかった。昔ここはパラグライダーの発進基地であったらしい。絶景に満足して舗装林道を下って行き保古湖が近くなると右手に湿地帯が見え、保古山、周遊コースの標識に出会った。右手の保古山コースへ入るとここでもウグイスの鳴き声が響き、湖越しの恵那山が美しかった。湿地帯への進入路は何処にも無くやがて植林帯へ入り右折して尾根を少し登ってから巻くと往路の保古山分岐標識に出会った。
 湖畔に戻り祠に立ち寄ったが神社名の表示は何処にも無く鳥居にも表示がない不思議な存在であった。保古湖は大正10年から築造されたとの石碑が有ったのでその頃に祀られたのかも。工事現場以外では人に会う事も無い静かな散策登山となった。山頂までの時間は23年前の倍40分余を要した。
 駐車場で昼食を摂り、県道413から別荘地の東を抜けて下ると国道363に合流した。道路脇の血洗神社を探しながら下って行くとゴルフ場入口前のカーブ地点に有った。鳥居を潜り石段を登ると古びた建物の中に小さな祠が有った。期待に反した田舎の神社で国道を少し下ると旧跡血洗池の碑が立ち苔むした岩が点在していた。池の痕跡は無いが「安岐明神と旧跡血洗池・腰掛岩の伝承」と言う大きな解説板が有った。三森山以来の懸案解消であったがいささか小規模過ぎて拍子抜けであった。
 国道を飯羽間へ向けて下る途中から点名飯羽間らしき山容がドッシリとした姿を見せていた。今回こそとの積もりで麓の集落へ入ったが細い道を間違えていて、農作業のオッサンに道を尋ねたら現在地を教えてくれ、前回同様地点をうろついていた。地形図を見せて三角点西に至る道を尋ねたが通行は困難との話であった。礼を言って戻ったがもしやの期待で地形図を睨みながら走ったが地形図に無い墓地から先は車道が途絶えてUターン。三角点東の別荘地付近も調べたら途中の排水場脇に微かな踏み後発見、これが地形図の破線ルートと思え次の機会には3度目の正直で達成したいと願いつつ、帰途は恵那から国道19を走って帰宅した。

写真 ①保古ノ湖から保湖山  ②山頂  ③血洗神社

 
 

三角点遊び 点名六本松 287.7m

 投稿者:GG-  投稿日:2019年 3月10日(日)22時22分27秒
編集済
   御殿山や納古山へ登る時には地蔵峠を越える事が多い。下山しての帰途水無瀬地区の県道97を南下する時に目前に見える美しい三角錐の山にいつも関心を抱いていた。2015/06の点名上川辺を計画した頃に周辺の山を調べたら三角錐の山は322mの無名峰と知り、その西に六本松と言う面白い三角点峰が有る事も判った。地蔵峠から尾根を辿って行きたいと同年11月に地形図コピーを保存して機会を狙っていた。
 今年3月はホカホカ陽気が続き芽吹き前は低山徘徊の絶好シーズンなので、好天予報の3/9に思いだして出かけた。点の記は三和小学校から林道を利用して40分と有り自分でも短時間で到達可能と思えたが322m峰も行きたかった。点名六本松を検索したら唯一「美濃の人」氏が2017/01に林道から点名六本松、そして322m峰から沢を下って戻られた記録にヒットした。こんな山に関心を持つ同好者がいて嬉しかったが自分は当初からの地蔵峠からを選んだ。地形図では川辺町と美濃加茂市の境界線か尾根沿いに通っていて、峠から地形図で計測したら1㎞余なので苦労無く登れるだろうと思っていた。
 地蔵峠の祠背後は急崖だが北へ少し下った尾根末端付近から取付可能を確認し、水無瀬集落から322m峰を撮り峠へ戻り川辺町標識手前の路肩に駐車して準備した。323標識電柱の北からヤセ尾根の末端に取り付いたが踏み跡不鮮明、期待の境界杭も見当たらずオヤオヤであった。時々ヤブめいた尾根芯を地形図と睨めっこしながら要所に赤布を結びつつ進んだ。樹間から見える322m峰が随分高く見えた。30分程歩いた尾根で古いコンクリート杭に出会ったが境界杭の表示は無かった。木漏れ日の心地良い平坦な尾根が終わると322m峰への不鮮明な登りになった。322m峰は雑木の明るい台地、近々訪れた人の痕跡でミカンの皮が小枝に刺してあった。踏み跡も無いのでコンパスで方向確認して山頂から南西へ下る。雑木の広い斜面で帰途に迷いそうなので赤布もこまめに結んだ。前方の六本松の背後に山之上富士が聳えていた。急傾斜を終え鞍部を越えたら風に倒れた大木が2本根を晒していた、南面に珍しく雑木の造林地が拡がっていて、かしおGCのハウスや彼方に鬼飛山が望まれた。尾根北側は獣階除けと思われる破れたネットが続き僅かな距離で地形図に無い林道に出合った。地形図の地蔵峠南の沢山有る池北側林道の延長かも、林道は鞍部を越えて更に北側へ延びていた。林道の西から六本松への尾根には明瞭な踏み跡が見え、なんと古いビニールテープが時々残っていて、林道からこのルートを登る人はかなり有りそう。おかげさまで迷い無しに六本松北東の尾根に達し、そこから5分程で念願の六本松4等三角点に着いた。周辺は刈り払われて小広場になっていたが周囲は低木が茂り展望は期待外れであった。松の樹間から笠置山や中央アルプスが青空の下にクッキリ見えたのは収穫。正午を回っていたが休憩は展望地まで戻ろうと早々に退散。三角点を離れてから点名由来の松は何本だったかなー?と思い出して戻ったが顕著な大木は無く、痩せて背の高い松が10本以上並んでいた。林道を越え造林展望地で軽食休憩。景色を眺めながら朝の出立時にちょっと躊躇いも有ったがやはり出かけて良かったと思った。322m峰からの中央アルプスを撮り急斜面を下ったが途中で赤布を見失い北東方向支尾根へ下り初めていてUターンのロスタイム。南の尾根へ戻り記憶に残っていた満開の馬酔木に出会えてホッ。ところが240m標高の南北の尾根で又支尾根に迷い込んだ。前方が谷地形となり誤りに気付いてUターン。道路が見下ろせる尾根に戻れてヤレヤレであった。2度もルートを誤り反省。
 今回は市境界低山なので楽々往復かと思っていたが、久々にコンパスと地形図、赤布必携、感ピーュータに頼った山行となり、予定より時間もかなり要したが自分なりに3年越しの達成感を味わえた。
 峠の地蔵に御礼参拝をしてから三和小学校方面へ向かい「美濃の人」氏と同じ二つのピークが並ぶアングルで登った山を撮り鯉下峠を経て帰途についた。

 

三角点遊び 点名 八百出 237.5m

 投稿者:GG-  投稿日:2019年 3月 6日(水)16時54分1秒
編集済
   今週唯一の好天予報に促されで3/5に三角点探しに出かけて来た。昨年2/17の松鞍山周辺を歩く計画を練っていた時に周辺の低山も調べていた。その時に見つけた、のぞみヶ丘工業団地東、ゴルフ場北に位置する特徴の無い里山だが、点名が八百出(はっぴやくたひら)と言う面白い名前なので関心が高かった。2/17に時間切れで登り残した点名朝ヶ脇262.8mは3/18に単独で出かけ、下山後に点名八百出をしぐら坂トンネル南からの地形図破線ルートで挑んだが道が無く、止む終えず旧道から取り付いたがヤブで途中断念、ならばとのぞみヶ丘側へ移動して偵察したが破線ルートは工場群に遮られていた。南はゴルフ場なので残されたルートは点の記に記載されている北側の白山神社からしかなかろうと機会を待っていた。
 関市役所での所要を済ませて、志津野の白山神社へ走ったら東海環状道ガード手前で道が高い鉄網が括られた柵に阻まれていた。ガードを潜らないと目的地に進めないので、柵を動かしてみたら横からの通行可能が判り靴を履き替えて準備。獣害防止柵かもしれない。ガードを潜ったら荒れた休耕田が拡がり、舗装道路脇に中電北部中濃線の案内標識が立ち、点名八百出が目前で手前斜面に鉄塔があった。地形図通りで期待していた巡視路が利用できるので助かる。休耕田の畦を通り植林の山腹に取り付くと又中電の№6鉄塔巡視路標識が有り、プラ階段も時々有る明瞭な道を登って行く。ホカホカ陽気で汗が滲み鉄塔脇で水分補給しつつ偵察すると道はここで消えていた。直登はヤブの気配だったが西側の植林内は下生えが無いのでこの斜面をテープを結びながら登って東からの稜線に達した。大きな岩がゴロゴロしたヤブ状態なので稜線下の薄いヤブを分け少し西へ進んだら地形図に現れていないが僅かに下った鞍部から又植林帯の急坂が待っていた。そして稜線に達したら目前に白杭と三角点を見つけた。地形図に記されている破線ルートの気配は消えた状態であり、三角点周囲は大きな雑木に遮られて展望は皆無、はっぴやくたひらと言う呼び名から平坦地を想像していたがそんな地形でも無い馬の瀬であった。座る場所も無いので失礼ながら三角点標石に腰を下ろして小憩をとってから、テープを回収しながら慎重に下山した。
 点の記は「白山神社より南西方約0.3㎞農道終点を起点とし小径、尾根沿いは道無し約30分(約500m)」とされていたが、自分は神社下から47分を要した。僅かな時間と距離であったが昨年来の懸案解消が出来て満足できた。

写真 ①のぞみヶ丘工業団地南側から  ②東海環状自動車道南から鉄塔と山頂  ③山頂光景

 

里山散策 再び金比羅山 明王山

 投稿者:GG-  投稿日:2019年 3月 4日(月)15時52分41秒
編集済
   2/17に鵜沼側から金比羅山に登った時に気付いた林道終点のテープからの登山道確認、2/20に関市から回答が有った明王山山頂の山名表示確認、ふどうの森トレッキングマップに記載されている「不動の展望台」「のべぶり岩」の確認と色々な懸案解消に向けて好天に誘われて3/2に出かけて来た。

 前回同様の駐車地からこの日はホカホカ陽気なので長袖のみでスタート。路肩のツバキが散って花びらが美しい。前回に「地形図破線道の最奥部の立木に大きなビニール巻きが見られ、踏み跡もハッキリしていたのでここが金比羅山へのメインルートかもしれない。地形図表示は無いが位置的に谷の上部て「金比羅山→未整備」の道に合流していると推定されたので機会を見て確認したくなった。」と課題を残した取付から谷へ入ったが、踏み跡らしき形跡もビニールテープもすぐに消えていた。荒らされた獣道の痕跡を拾いつつ谷の右岸を登ったが谷が狭まり次第にヤブめいて来た。荒れ谷だったのか古い石垣堰堤が幾つも残っていた。前回同様ヤブ漕ぎ必死かと思いながら、左の急斜面を見上げつつ地形図を眺めたら谷奥で地形図の破線ルートと合流する事に気付いた。ヤブを避けて左岸へ渡った先にピンクーテープが見えたので、もしかしてと期待して登ったらやはり登山道であった。沢筋を長時間辿ったと思われたのに20分程であった。この涸沢ルートはショートカットで酔狂な登山者が辿った跡と推定されたがお薦めは出来ない。出会った登山道は地形図の破線ルートで合流位置が不明、地形図を眺めつつ少し登ったら右への鋭角カーブとなり現在地が判った。両端標識に未整備とされているが良く踏まれた登山道で遊歩道並みでないだけ。やたらとテープが結ばれていて迷う事は無い。カーブ少し上のテープと白いヘルメットが微笑ましい。真上には明王山山頂が有るので人声が賑やかに聞こえる。大安寺川の源流部を巻いてから、体調に配慮しながらノンビリ30分程標高差100mのジグザグ急坂を登り、うぬまの森分岐標識に着いた。そこから3分程軽く登り金比羅山三角点383.0mに着いて脇のベンチで水分補給と小憩。金比羅神社北の最高点385.1m(各務原市都市計画図)を再確認、馬酔木の花がほころび始めていた。
 次の目標は「不動の展望台」、明王山とは反対の西に下り直ぐの迫間山方面分岐を行くと舗装道路屈曲点上の350m等高線上のコブが展望台であった。南、西、北の展望が開け能郷白山が微かに望まれた。道路へ下りて僅かな距離の大岩へ向かう。340m峰東でWEBで335mと紹介されていた場所。手前の標識には「のべふり岩 尾張の小牧山よりの旗信号を中継して美濃、飛騨方面へ伝達した所」と記されていた。電話が通じる100年程前まで各地で米相場の伝達に行われた様で、(旗振り通信(はたふりつうしん)は、江戸時代中期から明治期にかけての日本で、米相場などの情報を伝えるために活用されていた、旗などを用いた通信システム)過日出かけた伊賀上野のガイドも高籏山の話をされたので興味深かった。岩上に上がって本当に小牧山が見えるか確認したら、ぼんやりとした名古屋のビル群の手前にそれらしき小山が見えていた。何度もこの山域は訪れていたのに不動の展望台やのべぶり岩の記憶が無いのは違うルートを登っていたらしく自分にとっての新発見を喜んだ。明王山へは舗装道路を登って行く。路肩に一輪小さなタンポポが咲いていて春を感じた。道路から階段を登り電波塔の脇から明王山山頂へ。真っ先に関市役所から聞いた温度計の脇の標識を確認したら、明王山、その下にMt.Myo-ouと表示されていたので説明通りの呼び方と納得できた。何度も訪れていたのに気付かずは迂闊であったか、近時プラ板標識が追加されたのか?。温度計は13℃を示していた。昼食を摂っているハイカー達の脇から見慣れた光景だがカメラに納めた。御嶽山、タカネの背後の滝波山辺りの白い峰々もボンヤリと望まれた。早々に下山し尾根通しで金比羅山へ戻る。途中の岩上に小さなケルンが積まれていたのも微笑ましい。金比羅神社へお礼参りしたら祠がコンクリート造りに気付き有り難みが薄い。三角点脇ベンチでまた小憩。
 最後は地形図破線ルートの確認、うぬまの森標識から往路を辿ったが喘登の急坂も僅か13分で巻き道へ下れた。登りに出会ったピンクテープからはほぼ平坦な巻き道が10分程続き、風に揺らぐ常緑木の葉音、時々響く野鳥の囀りに心を癒されるプロムナードであった。この下山中に1名だけ登る人に出会った。知る人ぞ知るルートらしい。ハイキングルート合流後は2/17同様ルートで駐車地へ戻った。
 短時間で有ったが課題が解消されて意義有る散策であった。曖昧であった明王山の標高は各務原市都市計画図で384.5mと確認したが、関市の都市計画図ではどうなっているかが課題として残った。

写真 ①登りに辿った大安寺川源流部  ②明王山山頂標識  ③金比羅山への道からケルンと明王山

 

個人山行 三森山 1100.7m

 投稿者:GG-  投稿日:2019年 2月26日(火)11時10分22秒
編集済
   岩村の三森山初登頂は1994/01に新年登山で友人と(岩村ダム工事中手前から歩かされた。)、みのハイクでは1999/07と2007/1の2回でこれから久しく縁が無かった。過日TVで岩村番組を見たり、昨年10月に岩村城から水晶山へ登った時、登山口に表示されていたマップで「鈴ヶ根展望所」の名前を知りどんな場所なのか気になっていたので、2/24日曜日に思いついて出かけて来た。前回の記憶も薄れWEBで所要時間を調べたら健脚揃いの様でのんびりマイペースで行く事にしていた。
 ダムサイトに数台の登山者らしき先着車あり、準備をしていたら岐阜から来たと言う単独のオッサンが語りかけて来た。前週二ツ森で登山者に聞いて来たとか。次は四ツ森山を捜さねばと冗談を言いつつ持参したガイドマップを渡し展望箇所などを話し、水晶の下山ルートも説明したら喜んでもらえたがスマホのヤマップ頼りの初心者の感じであった。
 登山口で三森神社由来などを眺め低い注連縄(WEBを見たら姿勢を低くして通過させる為か?と記されていたが果たして。)を潜って登り始める。参道脇の石仏の年代は読みづらいが書物に寄れば寛政8年(1796年)頃の物が多いらしい。参道は地形図の破線と違い林道カーブ地点から尾根に乗る。標高800mの鞍部で右の谷からの道が合流していた。時々追い抜く登山者を羨望しながら体調を考えゆっくり高度を上げて行く。標高1000m付近で工事中の林道が西側から延びて来ていてビックリ。林道を横切ると尾根東斜面はこれからの工事に備えて伐採されていた。三森山分岐から左へ僅かで三森神社、頭を下げて眺望台地の標識から少しマウンドを登るとベンチの有るマップに展望台とされる所で先客が数名昼食を摂っていた。西の展望が開けて心地良く久々の光景を眺めながら小憩。休憩もそこそこに奥の院を目指す。分岐標識からコブを二つ越えて登り詰めたら小さな祠があったが記憶は消えていた。祠背後の最高点に登ったが展望もいまいち、樹間からの恵那山を撮りUターン、帰途の尾根道で1999年時にササユリを見た事を思いだした。ヤセ尾根を越えて進み「上矢作風車」標識で路肩に登ったら風力発電風車と大船山が望まれた。大船山も展望が開けたと聞いてから久しいので近々にでも訪れたいと思った。ヒメコ松とナラの合体木を右に見て進むと三森山への直登分岐だが道標が分かりにくい。最初の登山時しか訪れていない帝釈梵天は右へ分けていた筈なので細い踏み跡を進むと三十三観音の尾根、「三角点東の斜面26m」の看板が有りこれがメインルートになったかも。山腹の巻き道を進みひと登りした1080m峰に帝釈梵天社の看板と祠が有った。25年前の位置記憶とは違っていた。祠背後に立ったが奥の院同様特段の光景では無かった。巻き道経由より山頂への西尾根が近いと微かな踏み跡を登ったら境界杭が続き山頂手前で三十三観音からの道に合流し目の前が三角点山頂で有った。東の樹間から恵那山、西は屏風山から猿投山らしき山塊まで望まれた。流石に標高も高いので気温は低く感じたが、風もほとんど無かったので丸太に腰を下ろして遅い昼食を摂った。目指す鈴ヶ根展望所は林道の上と思われ遙かな距離に見えていた。食後三角点の向きを確認の為珍しくコンパスを置いて南北ピッタリを確認したが下山途中で忘れた事に気付いたが登り返すのも面倒で諦めた。山頂から水晶山へは2007年以来、標高差80m位は急な下りであった。1030mのコブを越えて進み1033m標高点のコブを越えた辺りが図根三角点位置らしい。ここも大船山が良く見えた。1000m付近からは植林の中の小笹に覆われた平坦な道となり微かな記憶が蘇った。その先が念願の鈴ヶ根展望所であった。すぐ下を巻いている林道工事の際に設けられたと思われる大展望地であった。2007年時には無かった施設で大きな方位版によれば段戸山など奥三河の山々も望まれた。ひと息入れて右下の真新しい林道を横切ると水晶山への標識が有りその下で水晶山と岩村ダムの分岐となっていて石仏が祀られていた。岩村ダムへの道は広い植林作業道の様で落ち葉を踏みながら緩やかに下ると尾根終盤はジグザグの下りであった。堰堤の間近に水晶山の標識が見られたが沢沿いの道なのか?。鈴ヶ根林道に合流して荒れた道を下ると左尾根に又水晶山の標識が有った。1997年に下った地形図の破線。やっとの思いで駐車場に戻ったら登山者の車は皆無で路肩の小枝伐採作業業者のみであった。スタートが遅かったせいか三森神社から下山まで誰にも会わない山であった。又登る機会も無かろうと奥の院、帝釈天も登り、鈴ヶ根展望所も行けて疲労は有ったが満足出来た山行となった。

 帰宅後続ぎふ百山を久々に開いたら、三森山とは三峰鼎立三つ盛山の意味。山上にはそれぞれ三森神社(1020m)、奥の院(1040m)、帝釈梵天(1080m)が祀られ古くから地元の信仰を集めていると記されていて、三森山三角点峰(1100.7m)は本来の三森山の事では無いらしく再発見。

 登山口の神社由来に「阿木の血洗池で天神が子を産まれた時その胞衣を絶たれた鎌をこの山上に祀り胞衣は恵那山に埋めた・・」とあった。これも知らなかった情報であった。翌日検索したら面白い事が記されていた。

この地方には伊邪那美命が天照大神を産み、その際の胞衣(えな、胎児を包んでいた膜や胎盤)を山の頂に納めたことから「恵那山」と名付けられたという伝説が残っている、と述べました。このとき、この場所で胞衣を洗ったために池の水が赤く染まり、以後血洗の池と呼ばれるようになったそうです。昔は深さ5mもある大池だったそうですが、度重なる大雨により土砂が流入し、埋没してしまっています。今は小さな沢の流れを見ることができるのみです。
由緒書によると、血洗神社の御祭神は・・・
★「安気明神(あきみょうじん)」・・・安産の神様
★「天照大神(あまてらすおおみかみ)」
★「大山祇神(おおやまつみのかみ)」・・・山・海の神様
伊邪那美命が天照大神を無事に出産し、岩に腰掛けて安らかな気持ちになられたことから、この地は「安気野の里」と名付けられたのだそうです。その後、安気が安岐に転じ、さらに現在の字である「阿木」になったそうです。

写真 ①帝釈梵天祠  ②三森山山頂  ③鈴ヶ根展望所から
 

里山散策 金比羅山 明王山

 投稿者:GG-  投稿日:2019年 2月18日(月)16時08分17秒
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   2/17は労山の雪上訓練の日、雪山へ行かない人達への配慮からみのハイクのSさんが権現山から御殿山への準山行を企画された。自分も参加したかったが又仲間に迷惑をかけてもと自粛した。ところが天気予報は上々なのでもったいないと思い、何度も訪れているが懸案としていた金比羅山を鵜沼側から登る事を思いだし出かけた。

 金比羅山は地形図では無名峰ながら383.0mの2等三角点、WEBで各務原市最高峰と紹介され「点名・鵜沼村」であるので何時かは鵜沼側から登ってみたいと機会を狙っていた。
 WEBにも情報は無いので地形図の破線を頼りに登る事にしていた。ナビに大安寺川源流のダムをセットして走りバイパス横の道に近づいたら続々と車が下りて来る。待避しつつ走り聞いたらどうも地区共同作業の人達の様であった。車が途絶えてから舗装林道を進むと地道になり林道が二俣に分かれる場所に広い駐車スペースが有った。左の道は狭くチェーンが張られていた。地形図で現在地を確認してスタート。ゲート脇の看板に東町山林組合と記されていて、路傍に刈られた小枝が見られたので先刻の団体は林道整備だったかも。緩やかに登ると左手の立木に黄色のビニールが巻かれ微かな踏み跡が見られ、右前方に堰堤が見られたので地形図の破線ルートと判断して取り付いた。浅い沢状地形が直線に延び落ち葉の下はゴロゴロした石が多く登りにくい。10分程登ったが傾斜もきつくなり足元が不安なので、左手の灌木林に逃げて立木に掴まりながらのヤブ漕ぎ喘登となってしまった。傾斜もきつくヤブの空間を探しながら何度も立ち休憩をして汗だくで1時間程登ったら右手に麓から直線で続いたと思われる道が見えたので合流。誰か仲間を誘おうとも思ったがこんな苦労が有るとは予測出来なかったので単独が正解だった。時々コンクリート境界杭を眺めながら岩の多い道を抜けると傾斜が緩み道も明瞭になって来た。取付から標高差200mの登りを終えて尾根の突端に到着、展望が開けてるかと期待したが梢越しにニンジン畑のビニールが光って見える程度であった。小さなマウンドを下り樹林の明瞭な道を行くと「うぬまの森←未整備」の標識。地形図に記された破線の道らしい。(帰宅後検索したらこのルートの報告が数例有った。)ひと登りしたら金比羅山山頂三角点に着いた。誰もいない静かな山頂ベンチで初の休憩。急傾斜の登りでヒラメ筋が痛くなっていた。ここから眺めた明王山は大勢の人がいて賑やかであった。金比羅神社の旗に夕暮山と書かれていたのでそう言う別名があるかもしれない。祠背後の台地に「金比羅山383m」の標識が立っている。三角点標高383mより1mは高いと思われた。明王山へ向かう尾根道を下る頃は北風が強くなっていた。トレランのメンバーが続々通過、立木に「ふどうの森トレラン」のテープが巻かれていたので大会当日らしい。明王山山頂も関係者で混み合っていた。トレランの事を聞いたら北麓の大雲寺を起点に350人も参加しているとか。好天なのに遠望は得られず写真を撮る意欲も湧かず、金比羅山と登った斜面(傾斜角度30度くらい)だけは撮った。ここの標高はWEBでもまちまちで以前から気になっていたが、写真入りの「ふどうの森トレッキングマップ」に384.3mとなっていた。
 山頂の喧噪を後してに猿啄城方向へ下る。トレランメンバーが続々と来た。平坦な尾根道は静かになり城山からのランナーを迎えるトレラン係員のいる316m鞍部から標識に導かれてうぬまの森方面へ下る。地形図では市境表示のみで登山道記載の無いこの道は2009/02にクラブ仲間と辿って以来10年ぶりであった。標高差100m余ジグザグの細い急坂続き、途中で出会ったリボンの下がった踏み跡が金比羅山へ道かと思ったが少し下で「金比羅山→未整備」の標識に出会った。見える範囲は明瞭な道になっていて地形図184m標高点の少し上である。途中から見下ろせた砂防ダムへの分岐は地形図でほぼ同じ位置なのに少し下の「アルプスハイキングコース」標識の西に見られた。何の表示も無かったが平坦な細い巻き道へ進んだ。ここも刈られた小枝が見られたので今朝の作業かも知れなかった。地形図破線路の最奥部の立木に大きなビニール巻きが見られ、踏み跡もハッキリしていたのでここが鵜沼側から金比羅山へ至るメインルートかもしれない。地形図表示は無いが位置的に谷の上部て「金比羅山→未整備」の道に合流していると推定されたので機会を見て確認したくなった。林道が広くなり駐車スペースも有った。砂防ダムに立ち寄り午前の取付口を確認して駐車地へ戻った。
 旧中山道と21号バイパスの交差点から金比羅山を眺めたら堂々とした姿に見えた。

写真 ①金比羅山三角点 点名鵜沼村   ②明王山から金比羅山  ③旧中山道からの金比羅山

 

おれんじの会 伊賀上野歴史散策

 投稿者:GG-  投稿日:2019年 2月16日(土)15時54分57秒
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   みのハイクの「おれんじの会」は早くも9回となり、2/13に遠路伊賀上野遠征が計画されたので参加して来た。上野は山へ行く時に通過した事はあるが市街や歴史の知識は無かった。にわか勉強で検索して藤堂高虎由来の城、松尾芭蕉の生誕地、伊賀流忍者の事などを確認、直前に「鍵屋ノ辻」を思いだしてぜひ立ち寄りたいと願った。
 関からバスで走り上野城前の駐車場で現地ボランティアの方2名と合流しスタート。上野城は1535年に筒井定次が築いたが関ヶ原合戦後に改易、1608年伊予今治から藤堂高虎が移封となり、故城を西に拡張し五層の天守を築いたが1612年竣工直前に暴風で倒壊し以降築かれずに推移したそうだ。1935年に地元出身の代議士川崎克が私財を投じて3層の木造天守を再建したとか。城は古図も無くこうだったろうとして造った城だそうな。
 最初に導かれた「高石垣」は内堀から約30mそそり立つ日本有数の高さの石垣だそうで美しい光景であった。上野城・忍者博物館・だんじり会館の三館共通券を買ってもらい入城。場内は武具や伊賀焼、藤堂家関係資料などが展示され3階は格天井の大色紙と城下の展望が見所であった。芭蕉翁記念館、茅葺きの忍者博物館は驚く程の内容では無かった。忍者体験館、伝承館は忍者の道具などが展示されていた。俳聖殿は1942年に造られた芭蕉生誕300年を記念する木造建築物、芭蕉は上野から輩出した偉人なのかガイドの説明も力がこもっていた。ここのベンチで昼食、風も弱くて薄日も射してゆっくり出来た。
 食後は内堀沿いに歩んだが見上げる石垣は見事な光景を見せてくれた。健脚のガイドに引っ張られて城下町の雰囲気の残る街並みへ行く。伊賀鉄道の踏切では忍者姿の描かれた電車が見えた。市街では僅かながら時代を感じさせる建物が残っていた。上野市駅はフランス様式の駅舎、駅前には芭蕉の銅像が立っていた。伊賀くみひも館に立ち寄った後に「だんじり会館」へ入場。上野天神祭は岸和田のだんじり、京の祇園祭と並ぶ3大祭とガイドは言われたが、予備知識が皆無であったので展示されていた屋台は高山や犬山を思い出される見事な物であった。この行事は2016年にユネスコに登録された33件のひとつだそうな。
 だんじり会館でガイド付きの散策は終了したが、出立時、リーダーにお願いしていた「鍵屋ノ辻」へ帰途のバスが立ち寄ってくれた。なんと二人のガイドさんもサービースで同行しておられ、鍵屋の辻史跡公園の案内板前で説明をしてもらえた。日本三大仇討ちとなっているが今や知る人や関心の有る人も少ないそうで、バス車内に残った仲間もいた。映画や映像の舞台である茶店鍵屋は辻北西角地の空き地辺りらしいが大きな石柱道標「いせみち、ならみち」、が往時を偲ばせるだけであった。史跡公園内に史跡鍵屋ノ辻石柱と大きな伊賀越復讐記念碑も立っていた。公園内の店舗は数馬茶屋という観光用、資料館も有ったが時間も無くてバスに戻り帰途についた。

 後日「鍵屋ノ辻」を改めて検索したら世情伝えられる話は江戸期の講釈師の作り話がほとんどらしい。鍵屋の向かいに萬屋と言う店が登場しているが果たして?。

 

里山散策 二つの権現山+洞山

 投稿者:GG-  投稿日:2019年 2月 4日(月)15時01分32秒
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   岐阜市野一色に在る白山神社奥の院ピーク190mは2008/12にみのハイク山行で立ち寄った事があった。当初計画の下呂御前山が悪天で転進となり、西山・金華山・鷹巣山・洞山と回遊し奥の院で休憩後琴塚4丁目に下山した。金華山周辺にこんな縦走ルートがあったのかと驚いた記憶が有る。
 後年WEBで奥の院ピークを琴塚権現山として紹介されているのを見て山名が有るならもう一度確認に登ってみたいと思っていた。今年2月に入って天気予報は3日以降はしばらく不安定となっていたので、2/2の好天予報に誘われて思いつきで出かけた。(琴塚)権現山のついでに(尾崎)権現山の未踏ルート東尾根も併せて行く事にした。

 初めて訪れた野一色の白山神社は立派な社であった。由緒によれば養老5年(721年)に白山の開祖最澄が立ち寄った際に創建、慶長18年(1613年)に野一色村の鎮守神として再建されたとあった。
 本殿参拝後左手の奥の院遙拝所の鳥居横から白山大権現参道が始まっていた。木製の案内図があり山頂まで⑱と記されていて18分で登れると言う事らしいが相当な健脚者?。登山案内板には十五曲がり、山頂まで550m、徒歩約30分とされていた。植林、常緑林を緩やかに抜けると落葉のジグザク道が続く。南斜面で汗を掻いてのヨタヨタ歩き、「百米」毎の標識に励まされてやっとの思いで30分を要し野一色権現山に到着した。芥見権現山と思っていたが標識は野一色権現山、標高は190.2mと記されていた。地形図では190m標高点である。展望は360度で気分爽快。金華山が間近、次の目標としていた洞山がかなり遠く感じる。東は三峰山など各務原周辺の山々が間近。残念ながら遠望は雲が多くて叶わなかった。山頂のすぐ下に奥の院白山大権現が祀られ眼下に白山神社の杜、南面には広い濃尾平野の光景が拡がっていた。小憩を終え洞山への尾根道を進む。風の無い落葉の尾根道はまさに木漏れ日ハイクでヤッケも脱いでシャツ姿でルンルン。小さなコブを3ツほど過ぎて洞山の登りにかかる。標高差50mチャート岩の多い登りを終えて4等三角点の洞山205.5mに着いた。灌木に囲まれて展望良好とは言えず。小枝が並べられたベンチでひと息入れてUターン。下山開始してすぐの道から野一色権現山と尾崎権現山が重なる絶景が見られた。少し先の左の踏み跡に寄ったら展望の岩場で三峰山、権現山、日野市街と共に見えた。地形図には載っていないのに良く整備された道を戻り奥の院へ再度立ち寄って下山した。地元の人には馴染みの山の様でチラホラ登山者に出会った。
 名前だけ知っていた「琴塚」へナビに頼って初めて寄ってみた。一帯は公園となっていてフェンスで囲まれ樹木の茂った墳丘は巨大過ぎて実感が湧かなかった。周囲を巡ってみたが解説板に詳しい情報が記載されていなかったので、帰宅後ウィキで調べたら5世紀頃の古墳で、被葬者は景行天皇の后、五十琴姫命と伝えられ、琴塚の名もこれに由来するとあった。

 尾崎権現山の未踏ルートはWEBで知っていたが地形図にルート表示も無くWEBで紹介されていた記録と権現山案内図という看板写真が唯一の資料であった。瞑想の森と言う墓地公園の駐車場から池の北と墓地の中を抜けて最奥の六角堂近くへ進んだら「権現山遊歩道登山口 里山の散歩路」の標識を見た。直進は尾崎南町登山口に向かうと思えたので左のやや荒れた道へ進んだ。山裾を巻くこの道は墓地周回道の様で5分程でWEBで見た案内図に出会った。道は更に東へ進んでいたので駐車場からは大回りした様だ。案内板の下には「この道は多少の危険を伴う山道、自己責任で」と記されていた。これは難路かもと覚悟を決めて登り始めた。このルートの登山者は少ないのかやや荒れ気味だが随所にロープが張られていて迷う心配は無かった。岩下の倒木を跨いで通過したらロープの巻き道が別に造られていた。稜線間近はコシダの群落を行き東へ緩やかに巻き道を進んだら尾根に乗った。先人のWEBデータでは標高170m付近で権現山山頂・展望台・墓地の三方向への派手な色彩の標識が有った。山頂目指して稜線を西に緩やかに登って行く。木漏れ日の心地良い道であったが14時を過ぎていたので西日の雰囲気であった。何度目かの権現山(尾崎)207.9m山頂は感激も無く、落葉林越しの展望も優れずひと息いれてUターン。下山は往路分岐から絵看板の「おんたけ明神」を目指して下る。130mのコブ上かと思ったら南西に折れて僅かに下った道脇に「御嶽大神」の碑と小さな祠が鎮座していた。樹林と南を向いているので御嶽山の遙拝は不可能な位置であった。緑の濃い林を抜けて僅かに登った先端が展望台とされる行き止まりの道。眼下は工場団地造成の為に削られたらしい崖、古いWEB記録では展望が開けていたが樹木の成長で僅かな空間しか視界は開けていなかった。Uターンして戻ったすぐに、行きに気付いていたロープの道が北東へ下っていた。プリントの案内図を取り出して見たらルートは消されて薄い表示であったが、道はしっかりしていてロープも張られているので今も利用されている道と思え又駐車場へ近い道なのでこれを下った。崖の上の樹林帯をロープに導かれながらジグザグに下つたら工場西の歩道に出た。階段横に「権現山登山道入口 展望良し」の標識が立っていたが展望良しは何処の事かと笑えた。
 尾崎権現山は誰も会わない静かな山であった。未知のルートで二つの権現山を歩けた満足感を味わいつつ帰途についたが、久々の山歩きで筋肉痛が出始めていた。

 

里山散策 番場山138m 祇園山65.8m

 投稿者:GG-  投稿日:2019年 1月22日(火)17時51分33秒
   1/21岐阜での所要を終えた後に折角の好天予報がもったいないと思われ、間近な未踏の山を登ってみたいと探したら藍川橋の北の県道94横に「番場山」が見つかり予定していた。
 所要を終えた後みのハイクのSさんが番場山に付き合ってもらえる事になった。Sさんは6~7年前に登っておられたので駐車地も知っておられた。大きな戦捷記念碑(日清・日露戦役)前の空き地に駐車。横には小さな石仏を7体程纏めた祠。背後の尾根末端は地形図の破線路で急斜面に薄い踏み跡が見られた。事前調査でWEBで唯一ヒットした記録は神社西から踏み跡ありであったので神社へ向かう。神社西側斜面の落ち葉の中に踏み跡が見つかり入ったら神社の背後へ登り標高70mの平坦地で尾根に乗った。雑木の間にやや広い踏み跡が続き立木に1ヶ所赤ビニールが巻かれていたのは酔狂な登山者の痕跡かも。標高110m辺りまで登ったら2ツの祠が並んでいた。左はしっかりしていたが右奥は少し倒れかけていた。麓神社の奥の院?、一つはWEBによれば御嶽山が見えるらしいのでその関係か?。何の表示も無いので判らないが新しい注連縄やお供えがあったので地元で護られている。背後の尾根に登り右へ僅かに行くと平坦な山頂となり標高の138とくり貫たプラスチック板にマジックでmと「番場山」が書き加えられていたが古い物らしく薄くなっていた。三角点の無い山頂はやはり達成感が乏しい。西側は植林斜面、東は雑木だったが成長したのか御嶽山は見えず展望は良くなくて樹間から権現山や芥見市街が望まれる程度であった。下山はSさんが以前辿られた破線ルートを直進したが往路合流点を過ぎると急傾斜の道となり短いトラロープも有った。巨岩の北側を巻いて下って戦捷記念碑の背後に下り立った。往復1時間弱であったが懸案解消で小さな満足感を味わえた。神社正面に回ってもらい鳥居と番場山の写真を撮った。
 一山終えて帰る積もりだったがSさんがもう一つどうだと言われた。それは旧リバーサイト道路・県道287のトンネル上の小山「祇園山」で、未だ登る機会が無かったので気になっているとの事だったので軽い山ならとお供する事にした。祇園山トンネルを南下すると右手に遊歩道らしき道が見えたが駐車スペースが無くて清水山トンネルの先でUターン。祇園トンネル北のスペースに戻って駐車。長良川と藍川橋、番場山が美しい光景に見えていた。祇園山トンネルを徒歩で抜けると疑木の階段が県道を跨いで続き神社の背後に出た。神社は後刻として落ち葉の斜面を適当に登って僅かな時間で山頂に着いた。三角点も標識も無いが木立が空いているので番場山より展望は良かったが大した事は無い。早々に山頂を後にして麓の神社へ。立派な由緒碑には祇園天王神社と彫られていた。明和6年(1769年)の棟札が有るとかでかなり古い社であった。脇の石柱に「濃飛十二名所 祇園天王山」と刻まれていたので帰宅後検索したがヒット無く濃飛十二名所が何処なのか不明。山名もトンネルでは祇園山だが「祇園天王山」が正式な名前だったかもしれない。標高は地理院地図で計測したら65.8mと出た。

写真 2枚目 藍川橋下流より番場山

 

クラブ山行 鳳来寺山 684m

 投稿者:GG-  投稿日:2019年 1月15日(火)16時32分37秒
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   2018/10/10の下見にお供したみのハイキングクラブの掲題山行が1/13に行われたので参加させてもらった。天気予報は間近まで曇予報が出ていたのに直前に晴天に変わってラッキーな日和となった。
 今回は参加者が多くマイクロバス2台とマイカー1台総計52名と名簿に記載されていた。可茂地区の会員は美濃加茂で合流OKとなっていて時間的に助かった。自宅を出た時の気温はマイナス5℃、路傍の温度計も-4℃を示していた。旧昭和村に近づくと案内人が数人いて何事かと思いつつ駐車場へ入ったが車も多数で驚いた。暗闇で集合場所が判らず仲間達の声を聞いて行くと既に多数集まっていた。仲間によれば「昭和村ハーフマラソン大会」が行われるとの事だった。
 ここで7名がバスを待ち、関から到着したバスの窓から荷物を積んでもらってスタート。鞍ヶ池PAの休憩を終えて鳳来寺表参道門谷駐車場へ直行した。全員ここで登山準備、体験山行1名の紹介やストレッチ、リーダー挨拶を終えてA~D班のスタートを見送った。長い石段登りを敬遠した我々のEグループはそれぞれの車でパークウェイPへ移動して鳳来寺へ向かった。(由来 寺伝では大宝2年(702年)に利修仙人が開山したと伝える。利修は霊木の杉から本尊・薬師如来、日光・月光菩薩、十二神将、四天王を彫刻したとも伝わる。文武天皇の病気平癒祈願を再三命じられて拒みきれず、鳳凰に乗って参内したという伝承があり、鳳来寺という寺名及び山名の由来となっている。利修の17日間の加持祈祷が功を奏したか、天皇は快癒。この功によって伽藍が建立されたという。) 下見時に閉まっていた本堂は開いていたので仲間達はお参りや朱印を頼んでいた。売店のオバちゃんに背後の建物が旧本堂だったかと聞いたら再三の火災で仮本堂とされていたが、鳳来寺山パークウェイ開通により資材運搬が可能となって再建されたと言われた。(ウィキで調べたら大正3年(1914年)に本堂を焼失したが、昭和49年(1974年)に再建された。 パークウエイ開通は1971年)
 相当時間が遅れるかと思っていたが流石に健脚揃いで長い石段を登って来た仲間達も続々到着。参拝後又班ごとに急階段の続く道を登った。旧本堂前の倒木は伐採して片付けられたが石段は痛んだままでロープが張られていた。自分のE班も元気揃いでついて行けずまたまた最後尾をヨタヨタと登らせてもらったがCLがいいと言うのに付き合って頂き申し訳無かった。白山石塔で休憩でもしてるかと思ったが誰もおらずノンストップで仲間達は登ったのかも、奥の院でE班に追いついたが彼等もすぐ出発、前回見逃した奥の院上の岩場での展望を楽しみつつひと息入れた。クラブ記録の先着組より15分余の遅れでやっと仲間の待つ山頂に到着しすぐ記念撮影となった。その後空身やザックを背負った者まちまちで瑠璃山方向に向かった。自然歩道岩場での展望は相変わらず素晴らしく白い南アルプスも望まれたが山座同定が出来ず残念。前回から日数も経っていないので感動は無かった。一部の者は瑠璃山岩峰にもトライし、鳳来寺山に戻って時刻も11時と言う事でリーダー判断によりランチタイムとなった。風を避けた日溜まりは心地良かった。
 鷹打場への稜線歩行もグループに遅れながらの歩行、南アルプス展望岩の展望もいまいちで期待の富士山はやはり見えなかった。鷹打場分岐で先頭グループの下山とすれ違い。東照宮への巻き道下山も緩やかな登りが今回は辛く感じられた。
 パークウェイPから新城インター近くの「道の駅もっくる」に移動、リーダー挨拶、体験者感想などを聞き解散。その後は女性陣には恒例の買い物タイムであった様だ。渋滞も無くほぼ予定時刻に美濃加茂へ着きここでの乗車組だけ降りて仲間を見送った。

 寒の内と言うのに日中は風も穏やかな日和で絶好の登山日和。人気の里山で親子連れなどの登山者にも大勢出会った。しかし自分は体力的にクラブ仲間のペースに付いて行くのがいかに困難かをまたまた痛感した。

写真 ①仮本堂石段の倒木処理跡  ②奥の院上展望岩から  ③南アルプス展望岩から鷹打場

 

個人山行 百々ヶ峰 不動岩ルート

 投稿者:GG-  投稿日:2019年 1月11日(金)21時46分49秒
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   昨年12月に百々ヶ峰の岩稜直登ルートをWEBで調査していた時に、松籟団地からの不動岩ルートを知った。不動岩の岩壁下に祀られる不動尊にも関心が湧き機会を狙っていた。昨1/10みのハイクのIさんに同行願い二人で出かけて来た。
 12/25の岩稜直登ルートの時と同じ岩舟緑地路肩に駐車。南陵ルート登山口から少し入ったら植林の中に松籟団地へ続く細い道が延びていた。南谷と言うらしいが自然石で造った堰堤が2ヶ所続き倒木や落ち葉で時々道が不鮮明になっていた。やがて地形図の堰堤マークに出会い右岸を巻いて上部へ。大きな堰堤だが上流は植林で土砂は無かった。想像していたよりきつい登りで自然林を行くと平坦な樹林帯、地形図には左右に破線が記されているが標識も踏み跡も判らなかった。すぐ先から下り始め谷を左に見て下って行くがこの道からの破線ルートも気付かず通過し、コンクリート堰堤を渡ってすぐにV字形に松籟からの登山道に合流。分岐に「弘霊不動」の石柱が有り矢印は南谷方向に彫られているのでこれから行く不動岩とは違うので気になった。後日検索したら近くの岩壁に祀られているらしいが気付かずにいた。
 明瞭な踏み跡を登っていくとWEBで紹介されている廃屋、電気が通じていた様でなんでこんな場所に家がと不思議であった。これも後日調べていたら「成田不動明王」の記録が見られたので岩壁不動のお籠もり堂であったかも。それでなければあの山中に家がある理由が無いと思われた。少し登ると松籟ルートの標識、三の谷ルートとも言われる分岐であった。下に板切が転がってたが文字は禿げて判読できず。予備知識通り直進してすぐにWEBで要注意とされていた大きな石に出会った。踏み跡は左の谷を渡りその上部で小休止とした。スタートから1時間汗が噴き出し服脱ぎ休憩。傾斜がきつくなり脹ら脛が痛い、上部を見上げたら樹間に岩壁が見えて来た。岩壁下に到着し見上げる高さは50m近いとかの記録もあったが?。ロッククライミングが行われていた場所らしい。左手に岩窟が有り古びた注連縄の奥に石仏が並んでいた。左端は地蔵、大きな不動様立像、次は役行者らしき像、右端も不鮮明ながら役行者らしき像、隣に小さな鳥居と陶製の狐は稲荷様か?。いろいろ有って笑えた。古びた注連縄や固まった灰などから長らく参拝者は途絶えている感じであった。困難な山中に信仰施設を造った古人に驚きながら岩壁の左を巻く。涸れ沢を渡って斜面に取り付く。木々に掴まってと紹介されている急坂はテープを拾いながらジグザグに高度を上げた。上部は45度位の傾斜と思われた。背後に金華山、左に反射板が見え標高320m付近で稜線ルートに出会った。「不動岩を経て松籟団地 難路」の標識が立っていて下り利用は難しい道だった。「真福寺山三角点を経て反射板の真福寺山」の標識に導かれ下ると広い登山道合流、12月はこの登山道を通ったので標識に出会え無かった。ジグザグに登った西峰標識は点名下岩崎341.4m、稜線途中で見た標識には洞山の表示も有った。鞍部から僅かで反射板の真福寺山頂330m、フエンスで囲まれピークに立てないのが残念。フエンス脇の路肩にヤマザクラ道の解説板があった。春にここを登って松籟ルートを下ってみたくなった。反射板南の休憩地で展望を楽しみながらランチタイム。曇天にも拘わらず伊吹山、鈴鹿山脈も望めた。寒かったが風が無いだけ助かった。食後又の機会は無いかもと尾根ルートを忠実に辿って百々ヶ峰417.9mへ。山頂では夫婦者二人だけ、御嶽山、中アは望めたが前回見られた北ア方面は望めなかった。林道鞍部へ下り権現山巻き道で東海自然歩道へ至り白山展望地に着いた。北の方角は雲が多く白山は望めず残念。白山展望地から松尾池は百々ヶ峰初登頂の1996/10に歩いて以来で記憶も失せていて、標識の松尾池まで1㎞が随分遠く感じた。その時は林道終点まで車で入ったので岩舟渓谷と言われるルートは今回初めて通った。上段、下段に分かれた「萩の滝」(落差10m滝幅1mとされ、岐阜県名水50選)は今回初めて見た。やっとの思いで松尾池に着いたが朽ちた岩舟荘が痛々しい。ネットで「岩舟荘」を見たら1966年に移築された合掌造りで「ぎふ36景」にもなった観光名所だったらしいが目障りな存在になっていた。2008年には営業してたが2010年には休業中の記録があった。松尾池には僅かな水鳥、時間のせいか観察者もいなかった。舗装道路を歩いてやっと駐車地へ戻れた。
 朝自宅を出た頃は-2~3℃、今冬一番の冷え込みに出発を躊躇ったが懸案のバリルートを登れ、展望もまずまずで満足。百々ヶ峰山頂も0℃、曇天と寒さの為か出会った登山者も僅かな静かな山行であった。昨年8/11にみのハイクの清掃登山で登ってから半年に4回も百々ヶ峰山頂に立った。こんな事は近場の低山とは言え我ながら珍しい事であった。

写真 ①不動岩 ②不動岩岩窟内石仏 ③真福寺山からの伊吹山
 

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クラブ山行 滝谷山 398.1m

 投稿者:GG-  投稿日:2019年 1月 7日(月)13時01分16秒
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   滝谷山は2007/02/21に登ったのが最初。当時は花立峠からの遊歩道が順次整備されつつ有る時で工事中であった。みのハイクの2019年新年互礼会山行として企画され昨1/6に実施されたので参加させてもらった。関から9台の車が連なる大部隊であった。
 今回は大野町運動公園から鉄塔巡視路を辿って雁又山へ至り滝谷山と大谷山、花立峠を経て公園へ戻るルートが設定されていた。花立峠から2回登っていたがこのルートは未知で関心は高かった。しかしかなりの強行軍に思えて躊躇っていたら雁又山を外したショートカットプランも加えられたので軟弱な自分はそちらに加わった。
 広大な運動公園で現地集合組と合流。リーダー挨拶、体験山行者3名紹介、ストレッチを終えてスタート。公園脇の獣害予防柵を明けて落ち葉の道へ入る。標高80mの鉄塔切り開きからは眺望が開けていた。30m下り鉄塔沿い切り開きの平坦地を進む。何の手を加えられていない不思議な空間であった。県道を過ぎり再度樹林を抜けて登ると304鉄塔。先行された鍋奉行ご一行は既に次の尾根の303鉄塔に到着されていて韋駄天ぶりに驚く。ここで雁又山へ向かうグループと分かれショートカット組7名は別行動。尾根通しに登るかと思ったら左山でほぼ平坦な巻き道が続いていた。僅かな距離で滝まわりコースの標識の立つ林道に合流してオヤオヤ。滝谷山1300m、金尾滝500mと記されていた。下見の時にCLは途中から微かな踏み跡を登られたらしいが正規ルートが有る筈とやや荒れた林道を進んだ。地形図標高160mの岩場付近で林道は終わり滝谷山700mの標識があり沢の左岸に急坂が続いていた。水量の多い季節なら小滝が続いているかもと見下ろしながら登っていく。登山道は地形図では谷芯に破線が記されているが左岸をジグザクに登っている。水場を過ぎると植林から落葉樹林帯になり急坂続きではあるが心地良く上部はジグザグに遊歩道が作られていた。林道終点から標高差220m程時々立ち休憩で後続を待ちながら登り稜線に達した。その鞍部は滝谷山東僅かな距離であった。滝谷山はこの日唯一の三角点山頂。逆光の中に南面の展望が開けていた。ベンチに腰を下ろして休憩。
 尾根の踏み跡や歩道を辿り350mのコブを越えて緩やかに登ると砲台状の大谷山356mであった。ここは野村城跡で南北朝の頃の野村氏の居城との解説板が立っていた。南側の絶景展望台には数名の登山者。話してみるとほぼ毎日の近在の常連さん達であった。滝めぐりコースを来たと言ったらキツイ所を良くぞと誉めてくれた。下山ルートの情報も色々教えてもらえた。我々軟弱組もクラブの計画書では花立峠を経て公園へ戻る事になっていたが、同じルートより南へ下る未知のルートを歩きたくて分岐から直進。こならコースと名付けられた心地良い道の先に急階段があった。標高160mの鞍部で常連さんが待っていて脇の古墳を教えてくれた。表面がコンクリートで保護されて雰囲気を壊している。10m四方の方墳との解説板が立っていたが築造年代は記されていなかった。ここは4差路になっていて情報を聞き常連さん達と分かれ右に下って県道に下りた。ここがコナラコースの入口であった。県道を200m下り健脚コースの標識から岩稜の僅かな距離を下ったら花立峠から下る森林浴コースに合流。ここで指定コースに戻った事になった。平坦な樹林は名前に相応しい心地良い道であった。運動公園はこちらもゲートを開けて到着となった。駐車地とは少し離れていたが西の芝生広場脇で先着しておられた鍋奉行一行が準備を始めておられた。羽釜2ヶを使った本格的な豚汁、いつもの事ながらSさんには感謝。
 健脚組の下山は雁又山登りの岩場や花立峠下にロープで下る場所も有ったそうで随分遅れた。13時少し前頃からSLの許しを得て行列を作って豚汁を頂き昼食を摂った。豚汁のお変わりもさせてもらい完売であった。
 食事やコーヒータイムを終えて記念撮影。締めの会合では体験山行の3名の感想を聞き全員入会の希望を話され拍手で歓迎した。
 今回辿ったルートは稜線以外は初めての体験で予期せぬ収穫も多かった。単なるピークハントで満足せず種々のルートの体験もいいものだと実感した。

 

ご来光登山? 浅間山

 投稿者:GG-  投稿日:2019年 1月 2日(水)14時53分3秒
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  ことしは好天に恵まれて美濃富士こと可児の浅間山のご来光は見事であった。

伐採で拡がった展望台では例年以上の人出と思われ荘厳な日の出を迎えた。

月と星を(月と金星と火星が一直線らしい)仰ぎつつ、麓の団地からみんなに抜かれながら約40分ヨタヨタの初登山?。
今年も登れた事に感謝しながら朝の冷気の中でご来光を待つ時間は清々しかった。

今年もらくがき帳をよろしく。

 

百々ヶ峰からの北ア展望

 投稿者:GG-  投稿日:2018年12月30日(日)11時46分20秒
  12/25の百々ヶ峰山頂からは素晴らしい展望が得られた。
穂高が見えるとのWEB情報で、毎度で申し訳なかったが「美濃一人さん」にお願いしてカシパード画像を作って頂いた。

肉眼ではハッキリ見えず、コンパクトデジカメの画像もボケ(本人同様?)ているが連結写真にしたら山座同定もバッチリ。綺麗な画像が撮れなかったのが惜しまれてならない。

 

RE・高峰

 投稿者:GG-  投稿日:2018年12月28日(金)22時55分54秒
  美濃一人さん カキコミありがとうございました。御礼が遅くなって失礼しました。

高峰 エエ格好ではないですか。やはり中野方からは目立ってますね。
写真が有ると言う事は貴兄は既に登っておられる様ですね。

機会を見つけて小生もチャレンジしてみます。

今年一年なにかとお世話になりありがとうございました。良い年をお迎え下さい。
 

個人山行 百々ヶ峰 417.9m 3等三角点

 投稿者:GG-  投稿日:2018年12月28日(金)13時02分15秒
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   みのハイクのMさん達が12/22に百々ヶ峰を計画されていて、ルートの一部は松尾池からの直登岩場コースと聞いたので、自分には長年の懸案でもありぜひお供をとお願いしていた。計画書のロングコースは辛いので松尾池からの途中参加の了承をお願いし、楽しみにしていたら前夜から雨となってしまい、当日の状況で山行の参加は各自判断をとメールが届いた。準備はしておいたが22日の朝も雨、松尾池には正午頃の集合となっていたが、回復しても濡れた岩場は危険と判断して参加断念とした。
 仲間達は決行されたそうで判断を誤ったかもと悔やまれた。懸案を残しての年越しも嫌なので好天予報の12/25のリベンジ計画を立て、どうせ行くならとWEBで知った南陵ルートと言われる道を下る事にした。

 WEB資料の所要時間から鈍足でも1時間強で登れるだろうと思い、下山後に何処かでランチを摂る事にして下山口に近い岩舟緑地の路肩に駐車。準備を終えて舗装路を行くとガードレールの先左手に標識も無いが下山口を確認、緩やかに登って行くと松尾池に着いた。初登頂の1996/10以来の再訪だったが記憶は失せていた。合掌作りの建物の背後にドッシリとした百々ヶ峰を仰ぎ、堰堤を回り込んだ東屋はバードウオッチングのメンバーが数名。水量の少ない池に水鳥が少しいたが珍しい鳥はいないのかカメラマンも閑そう。餌場へ立ち寄る小鳥はヒガラだそうな。東屋を出てすぐに登山道が分岐していて樹間の道を登って行く。情報では岩場まで10分の記載もあったが急坂に喘ぎヨタヨタ歩きとなり倍以上の時間を要した。岩場は左を巻くとなっていたので踏み跡を辿ったら赤ペンキの岩場登りとなった。納古山の中級コースよりやや厳しい程度で恐れていた程では無かった。展望岩場は未だか未だかと思いながら行くと標高270m付近で絶壁から松尾池を見下ろす岩場に着いた。池から標高差200mだが随分高く感じる。チャートの岩場に腰を下ろして小憩。谷の向かいは下山予定の南陵とされる尾根。矢印に導かれて登って行くと一旦平坦になったが又急坂となり山頂展望台の基部へポンと出た。何度も訪れた山頂なのにここが松尾池ルートとは今まで知らずにいた。前日に比べてやや薄雲はあったが北には乗鞍や北アルプスらしき山々や御嶽山、東は中央アルプスがうっすらと。南西の金華山の彼方には養老山地や鈴鹿の鋭峰も望まれて満足。展望台下のベンチで山々を眺めながらサンドウイッチを食べてエネルギー補給。スタートしようとしたら2008年頃みのハイクに在籍しておられたと言う方から名前を呼ばれてドッキリ。微かな記憶が蘇りしばらく昔のクラブ山行の思いで話をした。
 思わぬ出来事で時間を取られたが下山ルートへ向かってスタート。クラブ山行時には気付かなかったが400mのコブ分岐に「松尾池南口至」の標識が有り、左手の良く踏まれた尾根道へ入った。マウンドの先で右に分岐している道は地形図に無いが松籟団地への道だろうか。ここにも標識が有り左へ下る。落葉した木々の間の道は心地良い。WEBで見た「丸太のベンチ」を目指して行くと太い丸太の横たえられた空き地が2ヶ所あったが、標高260m付近で数本の丸太を並べたベンチが該当場所の様だった。正面は谷を挟んで百々ヶ峰が見える。急斜面を回り込んだら大きな縦穴が有り張られたロープに「危険 坑口があります 危険ですので立ち入らないで下さい 中部近畿鉱山保安監督部」と表示されていた。WEBでマンガン鉱山跡と見た様な気がしたが山の中腹によくぞ見つけらられたものだ。又下っていくと標高100m付近左手に大きな屏風の様な岩塊、大岩と言われる場所の様だ。沢が間近になると平坦地になり笹の中を僅かで松尾池への車道に出て、間近な駐車地で汗に濡れたシャツを着替えてから帰途についた。

 スタート地点から標高差370mの直登ルートは厳しかったが達成感が有り、山頂では薄雲があったものの北ア・乗鞍・御嶽山・中ア・鈴鹿まで望め、往復初体験ルートを歩けて、今年の締めくくりとしての満足感を味わえた山行であった。帰宅後検索したら今回の松尾池直登ルートを南陵ルートとされた記録も多く、確かに山頂の真南にあたり名称が混乱していた。(各ボイントの標高は親切な先人のWEB資料から拝借した。)
 後日WEBで六本松反射板が真福寺山と称され西峰と双耳峰になっている事、西峰が真福寺城(百々ヶ峰城)跡で織田秀信の家臣、百々綱家の居館であったと知り、山名由来が解ったのも大収穫である。

写真 ①岩場取り付き  ②岩場展望台から松尾池・船伏山  ③山頂から金華山・養老山地・鈴鹿山脈

 

個人山行 捨薙山と新巣山

 投稿者:GG-  投稿日:2018年12月28日(金)12時21分45秒
編集済
   12/24にみのハイク仲間のS・Sさんが「正・続ぎふ百山」255座の完登をされると言うので仲間達とお供して来た。

①捨薙山 983.4m  3等三角点
 黒川の頭谷林道から2009/04に黒川トレッキングクラブの伊藤さんの案内で笠の尾へ登った時が直近。クラブ山行で2006年に訪れたり、個人で1995/4にも登っていたので個人的には東白川側から登ってみたかったが所要時間の少ない頭谷からになった。ところが記憶はほとんど失せていて、上部は地道の記憶なのに舗装された林道をドンドン進むと下り始めたのでUターン。頭谷を鋭角にカーブする地点に駐車スペースと微かな踏み跡が見られここに違いないと思い込んだ。MSさんのリードで踏み跡を辿ったが上部では不鮮明、稜線間際で朽ちた作業小屋を左に見て稜線の鞍部に着いた。記憶では稜線に乗ったら左へ登っていたので、明瞭な尾根道やピンクテープに導かれ2つのコブを越えると道は下り始めたので誤りに気付いてUターン。梢の間に高い山が見えたの目標はあれだろうと戻り稜線鞍部まで26分のロスタイム。緩やかに進むと捨薙山への標識に出合い左折してすぐが山頂であった。相変わらず展望は無く植林の隙間から僅かに白い御嶽山が見えた。気温は零度で寒く記念写真を撮り小憩後下山開始。ルートの誤りは新ルート開拓と言う事でご勘弁をと仲間に告げた。駐車地に戻り以前取り付いた登山口を探しながら林道を下ったがそれらしき気配も見られず心残りとなった。翌日自宅で2009年のアルバムを探したら正規の取付きは一つ手前のカーブとなっていた。

 東白川道の駅に立ち寄り、時刻も昼近くなのでここで昼食をと思ったが屋外は寒風が吹きベンチも無いので何処か日溜まりの場所へ移動しようかと思った。ところが店の横にビニールで囲われた休憩所が有ったので弁当を使っても良いかと聞いたらOKがもらえたのでそこで摂る事になった。ストーブが焚かれ、お茶の無料サービスもあって至れり尽くせりのサービスであった。

②新巣山 973.6m  2等三角点
 ナビに導かれて越道峠に着いたが1994/10の初登頂時の記憶は全く失せていて登山口を探す。中津川市の標識の背後に立派な新巣山登山口標識が有った。道が狭く路肩には駐車スペースが無かったが記憶になかった越原林道(新巣線)ゲート前の路肩に駐車出来た。標識から入った登山道は肩丈の笹が覆っていたが足元の道はしっかりしていた。最初からの急坂には息が弾み830mの平坦地で樹間の御嶽山を眺めひと息入れて仲間を追った。標高850mの尾根に乗ると笹が消えて歩きやすくなったり又低い笹や高い笹が覆ったりの道が続いた。標高910m付近平坦地で「展望地」と言う味気ない名前の標識に出会うと真っ白な御嶽山から奥三界山へ連なる山々がクッキリ望まれてみんなカメラに夢中になった。登りを再開して960mピークに達すると越原からの北東尾根ルートと合流、少し下って登り返すと新巣山2等三角点の山頂であった。寒風の吹き抜ける山頂であったがS・Sさんの正続ぎふ百山完登を祝し握手を交わす。Kさんがケーキ代わりのバームクーヘンとワインを準備してくれていた。ささやかなお祝い品もあった。ロウソクを立てたが強風で着火は断念。予期しなかったがMSさんもやおらケーキを出されたのには驚き、微笑ましいご夫妻の愛情が伺えた。ワインで乾杯、ケーキが崩れると言う事でみんなで馳走になり、バームクーヘンはお裾分けで各自が持ち帰る事になった。記念写真を撮って下山開始。S・Sさんのザックの温度計を見たらここも零度であった。東白川の学校登山にこのルートは使われないのか笹の伸び具合からいずれは登る道が失せるのではないかとも心配をしながら下り、下山後道の駅でコーヒータイムを終えて帰った。

①捨薙山 ②新巣山

 

高峰

 投稿者:美濃一人  投稿日:2018年12月22日(土)20時20分59秒
  こんばんは
私はこの1週間、ギックリ連発で落ち込んでいます。
高峰は中野方から一番いいアングルでも、以下の通りです。
まあ、ちょっぴり出っ張っている程度ですね。
 

個人山行 若山 491.9m 

 投稿者:GG-  投稿日:2018年12月21日(金)18時30分44秒
編集済
   みのハイク仲間のSさんが膝を痛めてからクラブ山行も長らくご無沙汰と聞いて心配していた。他の仲間からも温泉付き低山のリクェストも有ったので負担の少ない軽い山で忘年山行をとアチコチ検討した。
 2017/03に自分は経験したが、参加予定者全員が未踏の掲題の山へと、みのハイクの仲間を誘い12/18に出かけて来た。
 下山後の舗装林道歩きで疲れてもと若山を下山した地点に1台デポする事にして下山地点へ走った。道路脇は広いU字溝が続き駐車出来る路肩が無いので、下山口林道入口の丸太を動かせばなんとか駐車できると判断して天佑稲荷へ向かった。

①紅岩
 天佑稲荷の広い駐車場を拝借して駐車。登山準備を終えてデポ車が往復する間に各自でストレッチ。全員揃ってから舗装道を登ると社務所横に注連縄の張られた巨岩が有り「天洞岩」の標識が立っていた。稲荷の参拝を終えて登山道へ入る。いつもの超スローで先頭を行く。鉄塔越しに紅岩を眺めて案内に導かれて進むと次第に急傾斜となり、最後の急傾斜を木の根を掴みながら終えると紅岩の上に出て眼下に恵那峡が望めた。仲間達の写真を撮ってから最高点を目指す。前回は容易に登れた記憶だったが紅岩からの登り口がハッキリせず皆が難渋、岩の割れ目を縫ってなんとか紅岩の北側ピークへ達した。460mの等高線である。

②若山
 紅岩からはSさんが先導して下さった。明瞭な踏み跡が有った記憶であったのに判然としておらずやや薮の雰囲気の中を進む。国土調査の名残かピンクテープが時々稜線に残っていた。460mのピークは右を巻き鞍部まで間伐の残骸に注意しながら下った。植林の鞍部からの登りは眼前が巨岩に阻まれているので西側を巻いて行く様に案内する。標高差60m程、薮の急坂をよじ登り北側から山頂に立った。雪を纏った恵那山や焼山が望まれた。休憩後三脚を出して記念写真を撮り下山開始。往路を鞍部まで戻り間伐の植林帯から荒れた林道へ下り立ち、僅かな距離で舗装の林道紅岩線に出た。デポしてあった車で二人が天佑稲荷へ。我々は舗装林道を少し歩いたが「豆腐石ため池」下の急カーブ地点で2台の車が待っていた。

 靴を履き替えてから、途中の「象岩」を眺めて紅岩山荘へ向かった。ここでのんびりと入浴を終えて食堂で各自お好みの昼食を摂った。我々以外の客はおらず貸切状態であった。
 時間も早いので笠置の姫栗地区に有る「かかしストリート」へ案内する。笠置コミュニティセンターへ立ち寄ってかかしの案内図は有るかと聞いたが無くて、窓外のビニールハウス近辺からの下り道に有ると教えられた。以前見落としていた「空飛ぶ箒魔女」が見られたがバス停に有った笠地蔵は無くなっていた。近辺のかかしも古いままなので色褪せていた。村興しも長続きは難しい様だ。

 コミュニティセンターでもらった「飯中笠(いいなか)マップ」を帰宅後拡げたら蛭川峠の北に「高峰」と言う山名が記されていた。初めて知った山名なので地形図検索したら3等三角点高峰952.2mが有ったのでこの山の事だろう。来春訪れたいとの楽しみが増えた。この山は鹿遊から笠置山へ繋がる稜線の1ピークで北に高いピークが続くが中野方からは目立つピークなのかもしれない。

写真 ①紅岩からの展望  ②若山山頂  ③紅岩山荘北から若山と紅岩

 

クラブ山行 百々ヶ峰 417.9m 

 投稿者:GG-  投稿日:2018年12月13日(木)21時32分15秒
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   戌年に因んで養老山地の犬の尾(別称梵天)がみのハイキングクラブの忘年山行として12/09日曜日に企画された。梵天は1998/01に単独で登っていて20年ぶりの再訪に期待大であった。
 忘年山行と言う事でキャンセルも数名あったらしいが総勢48名の大所帯でスタート。県庁組と合流して21号を走っていたら、今冬一番の冷え込みのせいか池田山が雪景色で驚いた。窓を打つ小雨に心配しつつ養老SAを外から入って休憩。国道365を経由して勝地峠への林道を走る頃にはみぞれ模様となった。林道カーブでリーダー連が協議してこの悪天で登るのは無理と判断し岐阜の百々ヶ峰へ転進する事になった。登山口のふれあいの森へ着いたのは関を出て4時間近くかかっていた。
 ストレッチを終えて東海自然歩道ルートでまずは権現山を目指した。このルートを登るのも久々(2011/11/20のクラブ山行で展望芝生広場まで行って昼食)であった。駐車場からの標高差245mに大汗をかいた。権現山は標識に375mと記されていたが地形図370m地点。祠が有った筈だがと東へ少し下ったら最近改築された姿で白山神社の標識が立っていた。仲間を追って340m鞍部林道へ下ったら東屋に全員が集まっていた。ここで今年最後の山のセレモニーが始まった。代表世話人の挨拶、当日誕生日のMHさんの祝、メインは1週間後に傘寿を迎えられるMNさんの祝であった。ワインで乾杯、女性陣の作られた沢山のケーキや菓子を馳走になってランチタイムに移った。食後ここで記念撮影を終えて百々ヶ峰へ向かった。山頂展望台に登って休憩。養老山地は相変わらず雲に覆われていた。恵那山や中央アルプスはなんとか見えたが御嶽山は隠れていた。下山ルートは反射板へ立ち寄って下る事になり管理道や山道を下って行く。記憶より西峰341.4m(点名下岩崎 4等三角点)は随分遠く感じた。六本松反射板の展望地で金華山を間近に眺めてUターンして西峰へ戻り反射板巡視路を辿って駐車地へ戻り、CL挨拶をもらって解散となった。

写真 ①上石津の雪景色  ②百々ヶ峰三角点  ③百々ヶ峰から金華山

 

個人山行 高天神919mと三角点巡り7座

 投稿者:GG-  投稿日:2018年11月28日(水)10時56分26秒
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   高天神の山名は2002年発刊の「岐阜の山旅」で初めて知った。紹介ルートは春日から4時間を要する厳しさであったが、2013/12に「みのかもからの山登り」さんが山頂間近に達している林道から短時間で登頂された記録をWEBで見て何時かはと思っていた。伊吹山で遊んだ2015/8の下山時にドライブウェイから眺めた高天神の雄姿に益々憧れが強まっていた。地形図で調べたら池田山の西山域の最高峰でもあった。昨年11/03に池田山へ登った後作業中の人とふるさと林道の開通時期を話して高天神への思いが益々強くなっていた。今回の山行計画に入れた9峰のうち山名が知られたのは高天神、明神山の2峰のみ、だがこの2山も地形図では無名峰である。
 体力不安も残っていたが林道情報を池田町建設課へ問い合わせ林道が閉鎖される前にと思い立ち、何年も前から課題としていた林道沿いの三角点巡りと合わせてみのハイク有志を誘って11/25に出かけて来た。
 今年7月に開設された「道の駅パレットビアおおの」に集合しスタート。池田温泉から林道を走ったが上部の紅葉は終わりかけていた。これから登る山々の展望は無いかもとパラグライダー基地に立ち寄り眼下の景色を眺め、森の駅を通過して初めて「ふるさと沙羅林道」を進む。同乗の仲間に地形図を見ながらのナビを依頼し送電線の通過地点を確認しながら進み点名境の登山口を探す。送電線を過ぎた西に巡視路入口を見つけて路肩に駐車。登山靴に履き替えて西部幹線L68標識から入山。登る途中に前日に雪を纏ったと言う伊吹山や高天神らしきピークが眺められたのはラッキー。樹間の点名境770.9m三角点に着きひと息入れて下山。
 点名西谷は行き過ぎて戻り、道路脇の垂井町標識近くに「ドードコ奥の綱谷」と記されたカラフルな標識横の尾根から南西に僅かな距離で点名西谷728.6mの三角点に着いた。
 西谷を過ぎた急カーブ林道から分岐する林道は急傾斜で始まり、地形図を確認しながら荒れ気味な道を進んだ。林道分岐や送電線に注意しながら行き、林道カーブ脇に駐車し林道南の尾根末端から僅かな距離に点名奥春日809.9mは有り、落葉の木々の間からの展望もまずまずであった。
 このピーク南から分岐している林道は更に荒れていて車幅ぎりぎりの狭い場所も有った。高天神南東尾根の林道が分岐する鋭角カーブからの道は急坂と落ち葉で不安になり、ここから歩いた方が良いかもと思ったが、行ける所までと少し進み北東尾根のカーブ地点路肩に駐車した。目の前は急崖で取り付けそうにないので少し戻って南東尾根に取り付いた。最初は植林尾根であったが上部は落葉の灌木になり心地良い。立木を縫って緩やかな尾根を進んだ石灰岩の多いピークに色鮮やかな高天神山名標識が括られ、近くの立木に黄色ビニールテープが巻かれていて三角点は無いが山頂の雰囲気があった。落葉のおかげで西に伊吹山が大きく迫って見えた。念願の山へ立てた事を喜びながら記念写真を撮り小憩後下山開始。尾根の数ヶ所でビニールを見たのでこの山へ登る物好きも時には有るらしい。駐車地へ戻ってからランチタイムを終えた。
 難路を戻りふるさと沙羅林道へ戻ってホッとする。林道を下り春日からの林道と合流地の林道案内看板で現在地確認。押又谷の表示から目前の尾根が点名谷奥へ続くと判断できた。計画では谷奥の南西尾根が距離的に短いと考えていたが、南東尾根は距離は少し長くなるが傾斜も緩やかで鮮明な踏み跡が見えたのでここから取り付いた。植林の尾根だが所有者矢橋林業の杭が続いていた。点名谷奥610.1m三角点は植林の中に鎮座していたが最高点の数m南であった。
 点名五字谷登山口を探しながら作業道押又西平線のゲート前広場まで進んだ。取付は少し西が良さそうで車を進めた。事前の地形図計測で400m強で近いと判断していたが現場の斜面は手強そうだった。車のナビで現在地が判ったので取付きの楽な場所を探しながら車を進めたら紅葉の美しい南東尾根が望まれた。道路からは崖で取付不可能なので尾根末端まで進んだ。地形図に無い作業道が尾根の西側に出来ていて入口はテープで閉ざされていた。地形図を見ていた仲間から「点名岩手」の前と指摘され驚いた。五字谷南東尾根は距離的に1㎞程と遠くなるが山頂まで緩やかな尾根が続く。作業道を少し進んで鞍部から右の尾根に取付いた。登りながら女性陣が赤布をこまめに結んでくれる。690mの尾根分岐を左へ進みかけて女性陣に呼び戻され、そこの樹間から五字谷が随分遠くに見えた。境界尾根のおかげか踏み跡がハッキリ。少し下り緩やかな台地を行く。左側の春日側は植林だが尾根芯境界垂井側は自然林で落葉樹林や名残の紅葉が美しい。途中から三岐幹線巡視路になっていてプラ階段が現れた。ルートが長くなり予定外の時間を要したが、やっとの思いで雑木林台地の点名五字谷726.1m三角点に到着した。ここは登山口から自然林の中を緩やかに歩けて心地良く拾い物の山でもあった。
 駐車地へ戻り路肩の垂井町標識から尾根に取付き点名岩手681.4mまでは100m程の僅かな距離であった。
 計画では15時に終了して帰るとしていたが既に予定時間を過ぎていた。しかし折角だからもう一つ山名が有り、車で行ける明神山だけはぜひ行きたいと思い訪れる事にした。名前で興味が有った岩手峠は何の特徴も無かった。林道を登り返し明神神社への標識に導かれて進んだ細い道の終点が神社の駐車場であった。帰宅後検索したが祭神等不明、地形図に神社マークが有る割りに祠を少し大きくした程度で拍子抜けした。参拝後遊歩道を僅かに登った左手に点名明神(明神山)658.7m三角点が有ったが標識も展望も無かった。明神山の名前は随分昔から何かの書物で知っていたが登山対象の山では無かった。WEBでも菩提山からの縦走記録が散見される程度で、一帯は「関ケ原明神の森」と言う生活環境保全林として整備された施設らしい。
 時間も遅くなり予定していた点名明神下(明神山より標高が高いのに明神下?)はカットして帰途につく。ナビでは往路を戻るか、春日経由らしいが明神山から関ヶ原へ下った方が早そうに思えて僅かに走ったが工事中通行止でUターンし往路を戻る事になった。森の駅で伊吹山の落日光景を見たが寒くて早々に退散。道の駅おおのまで約1時間を要した

 

みのハイク 山行700回

 投稿者:GG-  投稿日:2018年11月20日(火)10時30分52秒
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   自分がお世話になっているみのハイキングクラブの山行が設立23年を経て700回の山行を迎えた。大勢の参加者を期待して11/18実施計画の「船山」を700回記念山行とすると10月の世話人会で決まっていた。
 自分は体調不安から迷惑をかけてもと不参加としていたが、直前にリーダーから電話が入り記念山行なので古い会員に参加願いたいと言われ山上まで車で登るメンバー数名にお供して来た。
 久々の41号線の紅葉を期待していたが既に終わりかけていて残念。スキー場を越えた上部の林道は前回船山へ向かった時と様変わりした伐採地帯があった。やっとの思いで駐車場標識の広場に着いたら既に登り終えた仲間達が祝賀会荷物搬送の為に待機しておられた。アンテナ群の最上部まで行くからと伝えて車を進め軽いザックを背負って歩行開始。すぐの三角点は看板で良く解るが上部欠けて痛々しい。前回の記憶は無かったが何時壊されたのだろうか?。船山神社を参拝して道を進んだら台地地形先端部から左折していて前回はここで戻っていた。地形図に現れていないが急な下りの後に又少し登ると北アルプスの山々が目に飛び込んで来て驚いた。車中で渚山の大展望を話して来たのにそれ以上の光景。少し先が東屋の立つ展望台で1450m標高点。先着した仲間達がワイワイと賑やかであった。スキー場の最上部で若かりし頃スキーを履いて来た事もある筈だが記憶は無い。北アルプスの大展望台となっていて、天気も幸し薬師から北ノ俣、黒部五郎、笠、三俣蓮華、双六、槍・穂高、十石山、乗鞍、そして御嶽と続きこれだけの展望を得られる場所は余りなかろうと感動した。今年は雪が遅いので僅かに彩る程度が惜しまれた。後刻Mさんが望遠レンズで覗いたら水晶岳も見えると言ったので改めて見たらそれらしきピークが確認できて又感動。

 50人近い参加者で新しい会員も多く知らない顔、名前も知らぬ人も多く、山行機会の減った自分は余所者の雰囲気だった。準備も整い全員揃ったところで700回の祝セレモニーがSさんの司会で始まった。創設者のSZさんの挨拶では創設メンバーも5人ほど参加との事。ワインで乾杯、くす玉割りなどが続く。有志手作りのケーキもおいしく頂いた。新会員紹介や代表世話人の挨拶、記念撮影等を終えてから絶景を肴にランチタイムとなった。標高も高くフリース、ヤッケにマフラーで寒さを凌いだ。展望に名残は尽きないが予定時間となり登山グループは予定外の花木園遊歩道を見て下山すると言ってどんどんスタート。自分も遅れながら山頂へ登り返したが、僅かな急坂に息が切れるお粗末さであった。セレモニーの歌も音頭取りのTさんが「みのハイクの歌」以外としたそうで時代交代しつつあるとぼやいていた仲間の声に時の流れを感じた。
 山登りには残念ながら参加出来なかったが、節目のセレモニーに参加出来た事と、なにより久々の北アルプス展望を良しとしようと思いつつ帰途についた。

 

テストウォーク 鳩吹山

 投稿者:GG-  投稿日:2018年11月13日(火)22時12分4秒
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  11/01に一泊入院をしたが、経過が心配で体調チェックをと思い立ち11/12近場の鳩吹山へ出かけて来た。
 曇天の午後なのに駐車場には数台。久々に大脇ルートを体調を試しながら牛歩登行開始。下山者チラホラ、スピードで追い越すオッサン、やはり市民の山だ。ジグザグの急坂に汗が噴き出したがなんとか登れて小天神展望台でひと息入れた。ここから山頂までは傾斜が緩んだせいかほぼコースタイム通り。歩道脇に狂い咲きのツツジが1本。313.3m3等三角点山頂からの光景も曇天では絵にならず。休憩していたら若い親子連れが到着。みのハイクの大先輩S氏の記念標柱がクラシックで良いとそこで記念写真を撮っていて、存在感があるのだなーと感心した。良く見たら標柱上部がトタンで覆われ雨対策されていた。今まで気付かずにいたが釘の錆があるのは相当以前の補修と思われご本人が行われたのだろうか。体調次第で両見山方面へ少し回り道もと考えていたが曇天では気分も高まらない。同じルートを戻るのもつまらないので久々に南東尾根を下ってみる事にした。錆びたゲート横を抜けるとしっかりとした踏み跡が有り今も辿る人がありそう。2.5万図にもこのルートは載っているが一般遊歩道では無い。旧パノラマコース岩場から下を覗いてみた。荒れた感じがしたが帰宅後WEBをみたら未だ挑んでいる人が有った。この先は台風の余波か倒木が多く道も不鮮明で誤りそうになった。踏み跡を辿ったら岩場で終わり、いつも登る時にこの分岐の先は?と思っていた場所らしい。下るのは十数年ぶりで、度々通った登りと光景が違うので慎重にルート確認。そのうち小雨も降り出した。尾根先端からは馬頭観音へ下った方が安全と思い進んだら踏み跡が消えて立木に掴まりながら僅かな岩場を下りた。
 雨も酷くならずに下山でき、2時間程のテストウォークは無事終わった。

写真 ①山頂  ②倒木の下山尾根

 

おれんじの会 高賀六社一観音めぐり

 投稿者:GG-  投稿日:2018年11月 6日(火)22時30分1秒
編集済
   高賀山系を囲む神社群信仰については朧げな事しか知らずにいたが、数年前みのハイクのSさんから郡上市が主となって毎年巡る企画があると聞いていた。自分で巡っても回るだけに終わってしまうのでに郡上市へ紹介したら、美並の団体が主催し郡上市美並振興課が事務方を務めていると教えられた。6月に概要を入手しみのハイクのブログで予告しておき8月末の締切で希望者を募ったら20名に達した。マイクロバス2台の人数制限の中へなんとか組み入れてもらえて11/03の開催日を迎えた。
 関に集合し4台で美並の日本まん真ん中センターへ。時間が早かったがタイミング良く開館してくれたので寒さを避けて室内で待機できた。事務局のKさん、六社一観音めぐり連絡協議会会長のIさんに挨拶ができた。渡された資料で総勢41名となっていてみのハイキングクラブが半数も占めて申し訳なかった。
 センター前で開会挨拶後ペットボトルを1本頂きマイクロバスに乗って星宮神社へ。地元の方から由緒などを聞く。やはりウナギは食べないそうだ。宝物殿無料開放で貴重な文化財を拝観。自分としては掛仏は初めて見たので感動した。ふるさと館も開放されていたが時間的に断念した。林道を登りニリンソウが美しいと聞いていた八王子峠へ。花、新緑、カルスト地形など見所豊富らしい。峠の八王子神社は車窓参拝して狭い林道を下り新宮神社へ。色づいた紅葉と見事な県天然記念物に指定された神社社叢の杉林の参道を登る。古色を帯びた社殿に往時の信仰が伺え、横手の小さな宝物館には重要文化財の掛仏を含む宝物が沢山。珍しい掛仏についてIさんに聞いたら熊野権現信仰には多いと教えられた。又配布してもらった朱印帳の「聞持不忘」の下に「聞き識ったことを忘れないこと。記憶力増進。」と小さく印刷されていたので聞いたら、神社は全て虚空蔵菩薩信仰と繋がっていたそうで虚空蔵菩薩は智慧の仏様と教わった。又新宮神社と本宮神社は珍しく北向きに建てられているがそれは高賀山を背後に祀られたからと。又両社の祭神は不明で「那比大神」とされているそうな。国道256へ出て狭い林道を進み本宮神社へ。神社よりかなり手前から草の生えた参道を歩かされたがここも杉の巨木に挟まれた雰囲気のある道であった。元々の神社はもう少し山側に有ったが土砂崩れに遭ったので宝物類は失われとか。ここでは地元の皆さんが焚き火で迎えてくれて心遣いが嬉しかった。少し上の県重要文化財の五輪塔と宝篋印塔を拝観。盗難防止の鉄柵が痛々しかった。国道256へ戻り長いタラガトンネルを抜けて板取へ出て南下。モネの池の観光客が溢れる中の狭い道を入り白谷観音(浄念寺)へ到着。今回の企画まで知らなかったが美濃三十三観音の一番札所とか。迎えてくれた瓶居玄崇老師94才によれば観音の三十三変化身の数字に意味を持たせて観音三十三霊場、三十三間堂などがつくられるようになったとか。 ここで昼食となり建物内では地元オバサンの接待が有り、板取名産芋餅を馳走になった。予定を早めて各自で間近なモネの池を往復。池周辺の紅葉は未だこれから、溢れる人だかりで絵にもならず感動も無い。12:30にバスはスタートして高賀神社へ。祭礼が始まっていて宝物殿を覗いていたら笛の音が聞こえたので巫女さんの舞を見物。時代のせいで音曲がカセットから流れていたのには興醒めであった。祭の餅投げには時間が有ったので各自2ヶ入り袋を配ってもらえた。滝神社は拝殿まで車で上がってもらえて楽々。地元の方の解説が色々有ったが賽銭箱が無いのが特色と聞いたのが印象に残った。昔賽銭箱を設置したら疫病が流行ったので無くしたら治まった事に由来とか。皿の賽銭は子供達の小遣い、今では子供がいないので大人が頂くと笑わせた。滝へ下り受験参りに人気の落ち口中央の「落ちない石」を改めて眺めた。石段下で待機バスで最後の金峰(カネミネ)神社へ移動。瓢ヶ岳へはいつも前を通過するのに訪れるのは初めて。意外に奥行きのある神社だった。藤原高光が初めて妖魔の形を知ったので「片知」との地名なったそうな。日本まん真ん中センターへ帰着、コーヒーを頂きながらアンケートを記入して解散となった。
 主催された六社一観音めぐり連絡協議会の皆さんの細かい心遣いに感謝すると共に、それぞれの神社仏閣関係の皆さんの暖かい心配りに感動した一日であった。

写真 ①星宮神社  ②高賀神社にて  ③朱印帳
 
 

リベンジ三角点探し + 水晶山

 投稿者:GG-  投稿日:2018年10月29日(月)16時24分22秒
編集済
   10/25に点名鍋山と点名東濃牧場を見つけられず心を残して帰宅。帰宅後点の記を拡げ拡大地図もコピーしておき、昨10/28リベンジに出かけた。
 二つの三角点だけの為に遠出ももったいないので三峰山から城山へ繋がる尾根上の水晶山を目指す事にした。この山は2007/01にみのハイクのクラブ山行で岩村ダムから三峰山を経て訪れていたが、山頂から西へ城山までのルートは未体験なので以前からの懸案でもあった。三峰山と水晶山の間の特徴の無い場所に4等三角点水晶山960.6mが有り、地形図の水晶山は三角点無し、城山との間には点名水晶があり、地理院の命名のいい加減さ?に呆れる。

 何度も訪れた岩村城跡へ寄る必要は無かったが水晶山の山様撮影のため短時間の登城。朝早いのに遠隔地ナンバーを含め観光客やハイカーがかなりいた。
 水晶山登山口近くに空き地が有ったのでそこまで下って駐車。城山自動車道の鞍部は標高670m、水晶山への道標に導かれて行く。地形図は尾根通しに破線が記されているが700m鞍部まではほぼ平坦な巻道が尾根の南についていた。良く踏み込まれているがかなり細い所もあった。鞍部から本格的な登りとなりジグザグに高度を上げる。道は整備されているので地形図を開く事も無く植林内の尾根道を行く。北側は時々自然林で色づいた木々が見え、南の植林帯も間伐の進んだ所は茶臼山か段戸山方面が樹間から望まれた。登る途中で下山する若い親子に会う。「水晶が採れたのでしょうか?」と挨拶後会話を交わす。山名の謂われも知りたいものだ。彼等は岩村ダムから三峰山を経由して来たそうで子連れにしては元気だ。南の間伐の進んだ明るい尾根を登り詰めたら「水晶山958m」の標識に出会いオヤオヤ。途中の「三角点水晶」に気付かずに山頂へ着いてしまった。11年前の山頂は植林の中で展望無く暗かった記憶だったが、南側が少し間伐されて遠くの山が見えていた。ひと息入れて下山開始、
 今度は三角点を見つける為に地形図を睨みながら下った。坂道の途中の登山道南側に倒れた白杭を見つけ、傍に「点名 水晶871.0m 4等三角点」石柱も見つかってヤレヤレ。幾つもピークが有るのに中途半端な位置の設置理由が不思議であった。途中で2ツ程見かけた宮三角点の様な石柱は何だったろう。村の文字が見えたので帰宅後村境の印かとネットで調べたら登山道は岩村町の範囲であった。
 下山後見晴無しの駐車地で昼食も味気ないので、持参していた恵那市山歩きマッププリントを開いたら城山自動車道を下った位置に「姥ヶ洞ため池」の表示があったのでそこまで下った。蓼科の御射鹿池に似た雰囲気で、畔のススキが美しく始まった紅葉が水面に映りなかなかの光景であった。湯を沸かしてラーメン、コーヒーでのんびりと昼食を摂った。
 ついでにと思った点名飯羽間へは集落内の道が複雑で偵察のみで断念し東濃牧場へ向かった。リベンジの点名鍋山686.7mは25日と同じ場所に駐車。林道も走れそうに見えたが心配なの徒歩でスタートしたが間近な所に倒木が有って通行できず歩いて正解だった。緩やかな登りの先カーブ地点から植林内を覗いたら白杭らしき物が見えた。林へ入ってすぐ三角点発見。先日の苦労が報いられた。立派な点名をもらいながら何の特徴も無い斜面に有るのが不思議。写真だけ撮って退散した。先日電波塔と誤認したのは送電線鉄塔であった。ならば前回誤った地形図の電波塔はと林道薙の根線へ移動して南のピーク付近まで登ってみたが発見出来ず地形図の誤りでは無いかと思った。
 牧場館への道から路傍のススキや恵那山、中央アルプスを撮り、東濃牧場へ向かう道では始まった紅葉も楽しみながら走り、前回未発見の三角点を探す。拡大地形図や点の記の図面メモを片手に交差点路傍をウロウロ探したがなかなか見つからない。図面位置と少し違うと思われた三叉路の草むらを掻き分けてやっと「点名 東濃牧場668.6m 4等三角点」を発見。白杭は朽ちかけて近くに転がっており、コンクリートの三角点杭は倒れかけていて最近見た三角点では最悪の状態、苔むした保護石だけ目立っていた。つまらぬ金属製だが懸案解消を喜んでから、南東へ少し走り牧場の悪臭に悩まされながら鍋山全体光景や恵那山、中央アルプスを撮って帰路についた。

写真 1枚目 水晶山山頂

 

三角点遊び 続

 投稿者:GG-  投稿日:2018年10月27日(土)16時16分10秒
編集済
  点名 上平   うわだいら  657.3m  3等三角点
点名 古野川  このがわ    654.3m  4等三角点
鍋山      なべやま   770.7m  2等三角点 点名 野井

10/14の「諏訪が峰」のついでに行きたいと願いながらも実現出来なかった三角点探しに、好天の10/25に出かけて来た。

点名 上平
 稲津から県道66を走り「道の駅らっせいみさと」に近づくと眼前にデンと聳えているので以前から気になっていた山。地形図を見ると道の駅近くから破線のルートが有るが、国道418の古野川集落からの道が三角点間際へ通じているのでこれを利用する事にした。県道から山容を撮ったら植林の気配、残念だがどんな所かと道を急ぐ。国道沿い集落内への道に入りUターン、少し南の舗装された広い道を登ったら山上の平坦地で東山上ヶ平集落であった。牧場やら民家やら点在していて道が判らず右往左往したが細い地道へ入ったら東海自然歩道の標識に出会った。お茶場跡で大名街道一つ目の休憩所であったとか。この辺りの自然歩道は歩いた事が無いので何時か辿ってみたい。幸な事に車のナビは林道も出て来るのでそれに従ったが、ここから先は草も伸びた林道が続いた。林道が二股に分かれる広場に駐車。すぐ脇の平坦な植林の中に三角点が有る筈なので近辺を探す。地形図では林道脇なのになかなか見つからなかったが林道から見えない灌木の中に発見できた。展望無しの平坦な人工林の中では山頂の雰囲気も湧かず早々に退散した。

点名 古野川
 上ヶ平集落へ戻り次の目標を探すも進入林道の位置が判らず一旦は諦めかと思ったが、近くで畑仕事をしていたオッサンに情報を聞く。ここはやはり開拓部落で当初は8軒有ったそうな。三角点はご存じなかったが地形図を見せて林道と池の事を言ったら少し下った所に入口が有ると教えられた。礼を言って向かったら上平への林道より少しは良好な細い林道であった。1㎞程入ったら小さな溜池があり車は此処まで。地形図で方向の見当を付けて池北の作業路らしき道を登り尾根に乗る。倒木の多い平坦な尾根を縫って南下し最高点らしき台地に着いた。最高点付近をここでも右往左往して探す。諦め欠けた時低木の陰に白杭と三角点が見つかりヤレヤレ。最高点より20m近く離れていて低木に遮られて発見が難しかった。ここも展望無く三角点を見つけられた事を良しとして退散した。

鍋山=点名野井
 点名野井は2等三角点で三角点遊びでは大きな目標だ。点の記によれば明治36年に設置であるが昭和50年7月に4等から2等に格上げされたのも興味が湧いた。いつもお世話になる美濃一人さんのHPを拝見したら「恵那地域誌」や「恵那市誌」では鍋山の標高770m,770.4mとなっているとかで、ここを鍋山山頂とされていた。地形図を見ると北麓には鍋山集落や「鍋山のメンヒル」などが有り「山域を表す地名だろう」との記述に同感。
 畜産試験場脇から北へ進み大沢谷林道の看板を見て走ったら左手に池が見えた。池の北に野井助郷坂道の標識を見てから池南の空き地に駐車。久々にコンロで湯を沸かしラーメンとコンビニ弁当で昼食を終えた。ルートは目前の尾根末端に取り付きひたすら植林の高みを目指した。林に入ってから赤布を忘れた事が悔やまれた。立木の間の草はほとんど無いが踏み跡もはっきりしておらず、幅広の尾根はアチコチへ分派していた。時々現れるヤセ尾根の道は鮮明だが他はどこでも歩ける状態。それでも往路は高い方向へ向かえば良いのでなんとか山頂台地に到達できた。HPに掲載されていた通り植林の平坦地の中にポツンと三角点があった。白杭も保護石も無く国土調査の赤リボンが近くに括られていた。写真を撮って帰ろうとしたら破れた地理院の旗が落ちていて、付近に赤白ポールも横たわっていたので美濃一人さんに倣ってポールに縛り三角点脇に立てておいた。下山時は注意をせねばと思っていたのに方向違いの北へ下っていて10分程ロスタイム。尾根へ登り返したが往路の記憶はほとんど失せていて、枝折りや地面の目印を残した積もりなのにそれも見つけられず不安に駆られながら下った。案の定、後から地形図で再確認したら最終地点で尾根の向きを誤っていて地形図に無い細い水路に出会った。水路沿いの平坦な小径を辿ったら駐車地の南へ戻れてホッ。里山も舐めてはアカンとまたこの日も反省。地形図読みも感ピュータも相変わらず頼りなくて我ながら恥ずかしき限り。

 溜池の先から鍋山の西北を走る林道は草が少し伸びた地道となった。曲がりくねった道を不安を感じながら走ったら「鍋山メンヒル」の標識に出会った。東濃牧場まきば館を訪れる度にメンヒル標識は見ていたので何時かは訪れたいと思っていた。広場に駐車して踏み跡を登ったら標識は無かったがWEBで見た事の有る「馬禿」の展望地であった。( WEB = 馬禿は、かつては麓から見ると馬の形をした崩壊地でしたが、植生が回復し回りの松やヒノキが大きくなって今ではその姿が隠れてしまっています。)地元が立木を伐採されたので笠置山や恵那市街が望め、崖にしがみついた木も見事であった。広場から歩道が続いていたのでそこを下ったらメンヒルに着いた。(WEB = メンヒルは立石ともいって、巨石記念物、原始的な呪術・儀礼、あるいは信仰と深い関係をもった遺構であるとも考えられている。最近この2つの立石の間から夏至の日の出が確認されている。)
 次の目標としていたこの山塊ズバリの点名鍋山は、地形図を見誤りウロウロしただけで発見できず断念、帰りにと思っていた路傍の三角点東濃牧場も見つけられず又々悔いが残った。

 

労山 山まつり 各務原アルプス

 投稿者:GG-  投稿日:2018年10月22日(月)12時56分49秒
編集済
  みのハイクがお世話になっている岐阜県勤労者山岳連盟(労山)恒例の山まつりが10/21好天のもとに各務野自然遺産の森をベースにして行われた。

昨年は雨天中止となり我がみのハイキングクラブが今年も担当となり、CLのSさんの指揮のもとに諸役を担った。みのハイクの45名、県内山岳会の仲間を加えて総勢70名程となり、6グループに分かれての各務原アルプス周回、とん汁サービス、宝探し、郡上踊りなどで秋の一日を楽しんだ。

自分は体力も無いので、本部・アトラクション係としての参加であったが、それも又楽しい経験だった。

写真 ①開会式  ②豚汁準備中  ③閉会前に郡上踊り

 

山の話と播隆さん

 投稿者:GG-  投稿日:2018年10月19日(金)10時43分58秒
  10/16に太田宿小松屋で行われた播隆忌に因む毎年恒例の話を聞いて来た。
播隆上人没後178年になるそうで、来年が180回忌とか、播隆さんが開いた揖斐の一心寺で2020年に180周年法要を計画していると正道院住職が話されたので楽しみ。

会場でこの講演を長年共催してこられたネットワーク播隆黒野代表の著作が発売されていたので購入した。
近くにおられた黒野氏にせがんでサインをお願いしたので貴重な本になりそう。
「ただ歩くだけのことだが山登り」と書いて頂いた。

宣伝を頼まれた訳ではないが紹介しておく。

写真 ①小松屋での黒野氏挨拶
 
 

三角点遊び すわがね 732.2m

 投稿者:GG-  投稿日:2018年10月16日(火)12時27分14秒
編集済
   「諏訪が峰」この山名を知ったのは美濃一人さんのHPからであった。山名と山容に魅せられて何時かはと思い資料としてプリント保存した2013/02以来5年ぶりの懸案であった。美濃一人さんは大泉集落の春日神社から登っておられたので自分も辿ってみたかったが、時間の都合で点の記で見た林道からの最短距離を行く事にした。
 午前の雨模様が回復した10/14の午後に思いついて出かけた。山容確認の為まずは明知の千畳敷公園へ走った。駐車場から舗装歩道を登り始めたら「光秀産湯の井戸」が有り可児市にも有ると聞いていたので驚いた。最上部はパノラマ広場と言われ明知市街が見下ろせる高台で鎌倉時代に明智城と共に築かれた「千畳敷砦」だそうな。美濃一人さん同様のアングルで諏訪が峰の山容を撮り、ついでに地形図で知った三角点を探したら東端の生垣際に有った。四等三角点千畳敷公園494.6mであった。金属製で感激も無い。帰宅後点の記を見たら平成10年設置となっていた。
 国道363を戻り吉良見集落を過ぎ右折して舗装した山道へ入る。林道表示は無いので市道かもしれないが狭かった。3㎞程走ると710m標高付近で峠地形、右にチェーンゲートの地道林道が見えて地形図で見た登山口だと思われたがUターンできず少し下って戻りチェーン前に駐車した。
 チェーン左右に「すわがね山頂→」の案内板が設置されていてオヤオヤ。平仮名表示は地元小学校の登山対象の山かもしれない。ルートは尾根通しかもと覚悟していたが、これは助かるとチェーンを跨いでやや荒れの林道へ入った。すぐの所が9月の台風の影響か倒木で塞がれていて跨ぎながら通過、次の場所の倒木は潜る。林道が下り始めた場所右に又山頂への案内。植林の中の歩道を少し下ると左への案内、この辺りから自然林となり気持ちが良い。標識やテープに導かれたので地形図を出すまでも無かった。緩やかに登り詰めたら台地状の山頂となり真ん中に石祠が見えた。碑の正面には「諏訪大明神」と刻まれこれが山名由来と思われた。横には文化4年(1807年)9月。正面は東向きなので美濃一人さんの辿られた尾根が参道であったかも。広い台地の何処に三角点が有るのかと見回したら、祠背後に見られた倒木の枝の間に白杭のみ見えた。回り込んで小枝上から覗いたら綺麗な三角点が見え、2等だけあって貫禄が有る。帰宅後点の記で確認したら明治20年選定だが昭和50年設置となっていて真新しく見えた筈だ。美濃一人さんのレポと標高が違うのは平成27年9月改則の結果であった。三角点を覆う大きな倒木は2本、元々南西方向が伐採されていて展望が開け茶臼山や屏風山方向が望まれた。小憩を終え短時間ながら念願だった山頂を踏めた事に感謝しつつ駐車場へ戻った。
 午前が悪天で断念したが、近くの2等三角点野井、4等三角点鍋山、3等三角点上平など次の機会にはぜひ訪れたい。

山名について
 美濃一人さんがパノラマ広場で「鶴岡山、諏訪が峰山」を聞いておられた。山麓の吉田小学校校歌は「すわがみね」と歌うそうだ。点名の「大泉村」は山域の旧地名。
 鶴岡山は旧鶴岡村が由来と思われてウィキで調べてみた。そこには村名は鶴岡山に由来すると記されていて逆であった。村の行政区分を見ると三角点は鶴岡村の区域からやや離れて大泉村に有る。
 山頂付近は天正2年(1574年)、武田勝頼が明知城を襲撃したさい、明知城主遠山一行・叔父利景を救うために織田信長、信忠、明智光秀が布陣した場所と記されていた。

写真 1枚目 千畳敷公園パノラマ広場からの諏訪が峰

 

鳳来寺山 684.0m  三角点なし  以前あった三角点は廃止

 投稿者:GG-  投稿日:2018年10月14日(日)12時04分10秒
編集済
   2019/01に予定されているみのハイク山行のリーダーK氏に誘われ、10/10好天の日の下見山行に同行して来た。
 豊田東JCTからの新東名は初めて通るので興味津々だったが山間部ばかりで展望の無い高速道路であった。新城ICを出て間近な道の駅を偵察後、国道151を北上し長篠信号を左折して鳳来寺へ向かった。クラブ山行時は表参道から登る予定なので門谷(かどや)駐車場を偵察。道路脇で交通指導をしておられた地元の人に駐車場情報を聞いてから鳳来寺山パークウェイを走った。ところが本線から山上Pへ向かう分岐にゲートが有り開門は8:00からとなっていて待機となった。7:40頃管理人が開門に来て7:45になったら入って良いと言って戻られた。時間を待って入ったら駐車料金徴集人であった。駐車場からの展望も良くて見える街並みを聞いたら豊川・豊橋と教えられた。登山準備をしていたら関係者と思われるオバチャンから鳳来寺からの登山道は倒木で通行止め、東照宮経由でなら可と伝えられた。1月の登山下見なのでと言ったら自己責任でと言われた。
 緩やかな車道を下って東照宮を右に見てすぐに大きな鳳来寺本堂へ。案内板には鳳来寺山の標高は695mとされていた。WEBでも新城市役所など695m標高を採用されている事が多い。(695m表示は瑠璃山の位置であるが、後日地理院地図を拡大検索したら瑠璃山の位置が鳳来寺山となっていた。)門谷からの名物石段は何処かと探したら本堂の西へ上がって来ていた。本堂の西側の岩壁が鏡岩(屏風岩)か?。背後の石段脇に山上への標識が有るがテープが張られて通行止め。見上げれば巨木が石段に倒れかかっていて東照宮経由での誘導案内が掲示されていた。ここからは自己責任と言う事でテープを跨ぎ倒木を潜り石段の上に出た。小さな古いお堂が有り鳳来寺の看板が有ったので此処が本来の寺かも。時々小さな倒木も有ったが急階段の多い自然歩道を登って行く。30分程急坂を登り展望の有る白山石塔の岩場で小憩。又急坂を登り勝岳不動の小さな滝や石仏群を見ながら進む。六本杉は大きな切り株が1ヶのみ。その少し上で倒壊しかかった奥ノ院に到着。その上で尾根に乗り自然歩道のベンチや休憩舎を横目に急坂を登り詰めると鳳来寺山山頂であった。標識は11年前に訪れた時同様の684mが立っていた。2007年に訪れた時は684.2mの3等三角点が有った。帰宅後古いアルバムを開いてみたらベンチ脇にデンと立っていたのに、いつのまにか廃止になった様で今は地理院検索にも三角点は出ない。(廃止になっている事は山たまご氏のWEBで行く前に知っていたが。)ザックを置いて少し北の瑠璃山へ向かう。岩峰の下に以前有った山名標識が無く不安であったがチムニー状の隙間を登り岩上に立った。頂上も標識無しであった。雄大な棚山から宇連山に連なる展望を楽しみ、別ルート隙間から歩道へ戻り、棚山への道の岩稜まで進み又展望を楽しんだ。ここなら危険性は無いので多数が楽しめる。三ツ瀬明神、冨幕山、坊ヶ峰なども望め、又この光景が見られた幸せを感じ、心地良い風に吹かれながら、下見に同行させてもらえてリーダーに感謝を伝えた。山頂へ戻り小憩後鷹打場への稜線遊歩道を下る。2ヶ所文部省の名勝天然記念物境界碑が立っていた。起伏を繰り返し天狗岩へ着きここも大展望。岩壁際の岩上に天狗岩の木札があったが何処から見ても天狗には見えない。東屋は崩壊しつつあった。少し下り南アルプス展望台標識に導かれ岩場に上がったが雲に隠れて見えなかった。WEBでは富士山も条件良ければ見えるとあったのでクラブ山行当日を期待したい。東照宮経由の登山者数組とすれ違い挨拶を交わす。彼等は我々の様なへそ曲がりでは無いのでピストン登山。577m峰への急坂を登り終えてほぼ直角に南下するヤセ尾根は急であった。賑やかな若者グループが鷹打場分岐で休憩中、少し会話を交わして下り鷹打場到着。途中で会った先客が食事中、我々も展望を楽しみつつランチタイムとした。先客がいた石のテープルは便利。ここから見上げる稜線の岩壁は人面にも見えたのでそれが天狗岩なのだろうか?。食後にリーダー提供のコーヒーを馳走になり下山開始。分岐から下った記憶だったが天狗岩から南下する尾根まではほぼ水平の巻道であった。下りになって苔むした東照宮が見え始めたが余りにも小規模で、もっと鮮やかな色彩の記憶だったが平凡な姿。三大東照宮とされていて、三代家光建立とされる古い社である。石段を下って往路に戻ったが駐車場まての緩やかな登り道は疲れの出た身体には負担であった。路傍のモミジもそろそろ色づき始めていた。 駐車場へ戻り濡れたTシャツを着替え、湯屋温泉への鳳来寺山パークウェイ経由で帰路についた。

写真 ①鳳来寺山頂光景  ②山頂付近の案内板  ③瑠璃山岩峰から宇連山

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